第8話 待っていてください
「お食事をお持ちしました、飛龍様」
「……お前に頼んだ覚えはないが?」
昼餉をのせた盆を持って部屋へ入ると、飛龍はあからさまに嫌そうな顔をした。そのこと自体に傷つくが、だからといって帰るわけにはいかない。
「昨日まで食事を運んできていた人が、腰を悪くしたんですよ。今日からは私が飛龍様の食事係です」
嘘ではないが、事実とは程遠い。
飛龍にいつも食事を運んでいる下働きの男に頼み込んで、仕事をもらったのだ。男はかなり年をとっており、腰が悪い……とぼやいていたような気がする。
「……用は済んだだろう。帰れ」
小鈴から盆を奪うと、飛龍は冷ややかにそう言い放った。
これで帰る私じゃないんだから!
「嫌です」
「……は?」
「飛龍様とお話ししたいので、帰りません」
断言し、じっと飛龍の瞳を見つめる。無言のまま飛龍は目を逸らし、深い息をもらした。
「どうしてそこまでして俺に会いたがる。金でも欲しいのか?」
「飛龍様が好きだからです」
はっきりと伝えれば、飛龍はバツが悪そうに下を向いた。
突き放されないことに安堵しつつ、飛龍の顔を覗き込む。
「飛龍様。私、飛龍様が大好きで、飛龍様の力になりたくて……傍にいたくて、ここにきたんです。できることは、なんでもします」
「……小鈴」
いろいろ考えたって、たぶんいい考えなんて浮かばない。だって私、あんまり頭はよくないから。
それよりも、ちゃんと思いを伝える方がいいはず。
「お前にできることなんて、なにもない」
冷たい声に、心臓がきゅっと締めつけられた。でも、泣かない。ここで泣けば、これ以上話を聞けなくなってしまう。
「どうしてですか。私、本当になんでもします」
「……もう、お前に支えてもらうような夢がないからだ」
ふっ、と飛龍は自嘲気味に笑った。
私は、こんな笑顔を見たいわけじゃない。
「……どうしてです。人も妖も……半妖も、みんなが幸せに生きられる国を作りたいって、そう言っていたのに」
今考えれば、無謀で、子供のような理想だとも思う。でも、眩しくて尊い理想だ。それに、飛龍ならできる、と小鈴はずっと信じてきた。今だってそう信じている。
なのに、本人が諦めてしまうなんて。
「お前も知らないわけじゃないだろう。兄上が、俺を嫌っていることを」
「……それは」
「俺も分かっている。嫌いじゃなきゃ、健康な弟を閉じ込めようなんて思わないさ」
やっぱり、飛龍様は病気なんかじゃないんだ。
そして、佩芳様が、飛龍様を病気だってことにしてるんだ。
「……でっ、でも、佩芳様と一緒じゃなくたって、飛龍様の夢は……」
「小鈴」
腕を掴まれ、真っ直ぐに見つめられる。夜空のような瞳にはもう、星が宿っていない。
「俺の夢は、兄上を支えて、この国をよくすることだった」
「……飛龍様」
「俺の夢も、昔の俺も、もう死んだんだ」
飛龍は部屋の隅にある棚の中から、宝石が大量にはめ込まれた腕輪を持ってきた。見るからに高価だと分かる品を、躊躇いなく小鈴に差し出す。
「お前にやる」
「……どうしてですか?」
「謝罪に。待っていろ、なんて言って悪かった」
おそらくこの腕輪を売れば、かなりの額になる。そのお金を持って林杏のところへ帰れば、一生生活に困らないかもしれない。
だけど。
「こんなの、受けとれません」
差し出された腕輪を、ぐっと飛龍に押しつける。
「謝罪なんて、いらないからです」
飛龍との思い出に、何度も救われた。飛龍と出会えたから、今の小鈴がある。
「飛龍様。今度は、私に言わせてください。待っていてくださいと」
「……なんだと?」
「死んだというのなら、私が蘇らせてあげます」
馬鹿なことを、と言いかけた飛龍の口を、右手の人差し指で閉ざす。鼓動がどんどん速くなって、興奮しているのが自分でも分かった。
「私は、半妖です。人間にできないことだって、できちゃうんですから」
返事を聞く前に、部屋を飛び出す。小鈴! という飛龍の声は無視した。
◆
「お願い、鳥さん。知っていることを、なんでもいいから教えてほしいの」
食事の残りをばらまいて、寄ってきた鳥たちに声をかける。
「飛龍様のこと、佩芳様のこと……どうして、佩芳様が飛龍様を嫌いになったのか、ってこと」
夢も、昔の飛龍様も、もう死んだと言っていた。それはきっと、佩芳様に嫌われたから。だとすれば、佩芳様と仲直りできたら、飛龍様は昔のように戻ってくれるはず。
飛龍の話を聞く限り、不仲というより、一方的に佩芳が飛龍を嫌っているのだろう。
佩芳が飛龍を嫌う原因が分かったら、仲直りできるかもしれない。
「原因を突き止めて、絶対、仲直りさせてみせる……!」
だから、それまで待っていてください、飛龍様。
今度は私が、貴方を救う番です。
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