第7話 単純な答え

 精神的な病で療養中……というわりに、飛龍は健康そうだ。心の病は目に見えないとはいえ、元気そうな姿に安心する。


 それにしても、前以上に美しくなってる……!


 年を重ねたからか、色気も増している。どこか陰のある瞳に見つめられるだけで、全身の血液が沸騰してしまいそうだ。


「狐なんて珍しい」


 小鈴を地面に下ろし、飛龍は顎に手をあてた。もしかしたら、狐をどうするか考えているのかもしれない。


 よし。ここで、変化の術を解かないと!


 覚悟を決めて、小鈴は変化の術を解いた。

 人間の姿に、狐の耳と尻尾。本来の小鈴の姿に戻り、じっと飛龍を見つめる。


「飛龍様! 小鈴です!」


 会いたかった、久しぶりだな、大きくなったな……そう、笑顔で言ってくれると思っていた。

 でも、現実は違った。


「……は?」


 穏やかな表情が一瞬で変わり、飛龍は冷たい目で小鈴を見つめた。


「出ていけ」

「……え?」

「今すぐ帰れ。どうやってここまできたかは知らないが、お前を呼んだつもりはない」


 嘘。どうして? どういうことなの?


「ふ、飛龍様、その、私は……」

「帰れと言っている。見張りに追い出されたいか?」


 椅子に座り、飛龍は長い足を組みながら高圧的に言った。


「……飛龍様は、私に会いたくなかったんですか?」


 声が震えた。足も、手も震えて、立っているだけで精一杯だ。それでも、何も聞かずに逃げ出すことはできない。

 ずっと、飛龍に再会することを夢見ていたのだから。


「とにかく出ていけ。もう少しすれば、人がくる。騒ぎになるぞ」

「でも……」


 動こうとしない小鈴に舌打ちし、飛龍が立ち上がった。そのまま小鈴の近くにきたかと思うと、一瞬かたまる。

 飛龍の視線は、真っ直ぐに小鈴の簪へ向けられていた。


「これ、飛龍様がくれた物です。私、ずっと飛龍様のこと、大好きなままですよ!」


 早口でまくしたてる。飛龍は変わってしまったのかもしれないけれど、自分の気持ちは変わっていない。

 それを、ちゃんと伝えなきゃだめだと思った。


「……出ていってくれ」


 廊下から、バタバタと足音が聞こえてくる。見張りが戻ってくるのかもしれない。


 これ以上ここにいたら、飛龍様に迷惑をかけちゃう。


「……分かりました」


 再び狐の姿に戻り、小鈴は飛龍の部屋を後にした。





 部屋へ戻り、元の姿になって布団の上に寝転がる。頭の中は飛龍のことでいっぱいだ。


 会いにいけば、喜んでくれると思っていたのに。

 まさか飛龍様に、あんな風に拒まれてしまうだなんて。


「でも、私のことは忘れてなかったよね」


 覚えていた上で、はっきりと拒絶された。これからどうすればいいのだろう。

 じわ、と視界が涙で滲む。泣きたいわけじゃないのに、瞳からどんどん涙が溢れてきてしまう。


「待っていてくれって、言ってくれたのに」


 目を閉じれば、昔の飛龍を思い出す。


「……佩芳様と仲違いしたから?」


 なにがあんなに、飛龍を変えてしまったのだろう。飛龍がそれを打ち明けてくれなかったことが悲しい。


 そろそろ寝なければ、明日起きられなくなってしまう。分かっているのに、小鈴は眠ることができなかった。





「小鈴」


 床を拭いていたら、いきなり声をかけられた。慌てて顔を上げると、美雨と目が合う。彼女に会うのは、五日ぶりくらいだろうか。


「美雨さん。どうかしましたか?」


 小鈴が立ち上がると、美雨は深い溜息を吐いた。


「それ、こっちの台詞よ。顔色も悪いし、クマも酷いし。なにがあったの?」

「あ、えっとその、ちょっと……いろいろ、というか」

「翠蘭様に相談されたのよ。貴女の様子がおかしい、ってね」

「……ごめんなさい」

「とりあえず、きなさい」


 呆れた顔の美雨に腕を引かれる。抵抗する気力もなくて、小鈴は黙って歩いた。





「とりあえずこれでも食べなさい」


 押しつけられたのは、桃だった。


「……え?」


 果実なんて、今まで数えるほどしか食べたことがない。かなりの高級品だ。それをいきなりもらえるなんて、想像もしていなかった。


「い、いいんですか?」

「いいのよ。仕事を頑張っている差し入れに、ってもらったんだから」

「もらった?」

「そう。飛龍様にね」

「え!?」


 思わず大声が出てしまった。飛び上がった小鈴を見て、やっぱりね、と美雨が頷く。


「初日からやたらと飛龍様のことを気にしていたから、名前を出せば動揺すると思ったわ」

「じゃ、じゃあ、飛龍様がくれたっていうのは、嘘なんですか!?」

「ええ。私がこっそり食堂から持ってきたの」


 くすっと笑うと、美雨は器用に片目を閉じてみせた。真面目そうな人だと思っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。


「なにがあったの? 話してみなさい」

「……でも」

「安心して。私、噂好きだけど、口は堅いの」


 美雨の真っ直ぐな瞳に、嘘はない気がする。


「……実は私、小さい頃、飛龍様に会ったことがあるんです。その時からずっと飛龍様のことが好きで、なのに、お会いしたら、すごく変わっちゃってて……」


 半妖だ、とはさすがに言えない。でも他のことは、話しても問題ないだろう。


「なるほどね。それで、小鈴はどうしたいの?」

「どうしたい、って?」

「ほら、あるでしょ。昔みたいに戻ってほしいとか、恋仲になりたいとか、いろいろ」


 私が、どうしたいか……。

 どうすればいいかじゃなくて、どうしたいか、ってことだよね。


「一番大切なのは、自分がどうしたいかよ」

「美雨さん……」


 軽く目を閉じて、大きく深呼吸する。

 頭の中を整理してみたら、単純な答えにたどり着いた。


「私は、笑顔の飛龍様とお話がしたいんです」


 大好きな笑顔でまた、小鈴、と名前を呼んでほしい。瞳を輝かせて、楽しそうに夢を語ってほしい。

 そして、近くで、飛龍様を支えたい。


「じゃあ次は、どうすればいいかを考えないと。落ち込んでいる暇なんて、ないんじゃないの?」


 美雨の言う通りだ。小鈴がうじうじしていたところで、状況は何も変わらない。


「はい! 私、ちょっと行ってきます。あっ、桃は食べます!」


 勢いよく桃にかぶりつきながら、小鈴はその場から駆け出した。

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