第5話 仕事、開始
「飛龍様はね、今はここにはいらっしゃらないのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。今、飛龍様が療養中ということは知っているでしょう?」
「はい。その……精神的な病だとか」
飛龍様が精神病になるなんて、想像できない。
でも、時が経てば人は変わるよね……。
「そうよ。といっても、詳しいことは私も知らないの」
ちょっときて、と美雨に手を引かれた。近くを役人が通り過ぎていく。柱の陰に隠れてから、美雨は話を再開した。
「陛下がいきなり病で倒れてしまって……その10日後くらいだったかしら? 飛龍様が精神病のため、しばらく療養することになった、と聞いたの」
「……陛下が倒れてしまったことで、気を病んでしまったんでしょうか」
飛龍と皇帝の親子仲がどうだったかは、小鈴には分からない。昔も、兄の話はよく聞いていたが、父親の話はほとんど聞くことがなかった。
「そうだ、と主張する人もいるわ。もちろん、他の主張をする人もね」
「他の主張、というのは?」
「ここから先は、ただの噂。それでも知りたい?」
喋りたくて仕方ない、と美雨の顔に書いてある。どうやら、美雨はかなり噂好きな性格らしい。
「はい、教えてください」
ふふ、と微笑んで、美雨が話を続ける。
「飛龍様が病というのは、佩芳様……第一皇子のでっち上げ、という噂よ」
「第一皇子……えっ、というと、飛龍様のお兄さんの?」
「ええ」
嘘。どうして?
飛龍様は、お兄さんとすごく仲がよかったんじゃないの?
母親こそ違うものの、血が繋がっている家族で、尊敬できる人物だと言っていた。そんな兄を支えるのが夢だと、きらきらした瞳で語ってくれた。
それなのに、どうして?
「だって、考えてみて? 陛下は、跡継ぎを指名する前に倒れたのよ。この状況で飛龍様が病になって、一番得をするのは?」
「……佩芳様、ですか」
「ええ。とまあ、状況から推測されただけの、根拠のない噂よ」
そろそろ行きましょうか、と美雨が歩き始めた。
でも、どうしても聞きたいことがあって、美雨さん、と呼び止めてしまう。
「お、お二人は、仲のいい兄弟……ですよね?」
小鈴を見て、美雨はゆっくりと首を横に振った。
「お二人の仲がよかったのなんて、もう、昔の話よ」
◆
「ここが、今日から貴女の家よ」
城内をあらかた見てまわった後、後宮の端にある小さな建物に案内された。煌びやかな他の建物とは違い、急遽建てられたような、質素な造りである。
「翠蘭様が正式な妃になれば、翠蘭様のお部屋も変わるから。そうなれば、小鈴も引越しね」
「はい。分かりました」
「明日の朝、また迎えにくるわ」
そう言い残し、美雨は去っていった。彼女にはまだ大量の仕事があるようで、これから暁東のところへ戻るらしい。
ここが、今日から私の家。
建物内にはいくつか部屋があって、どれも後宮で働く女の部屋だ。しかし空き部屋も多い。
一人部屋で助かった。
ここなら、本当の姿になっても問題ないもん。
変化の術が上手くなったとはいえ、睡眠時も含め、ずっと人間の姿を保つことは難しい。もし複数人部屋だったら、かなり苦労したはずだ。
「……これから、どうしようかな」
床に座り、両膝を抱える。
飛龍は現在、敷地の外れにある小さな離宮で療養しているらしい。療養といっても幽閉のようなものだ、と美雨は言っていた。
もちろん、病のせいで暴れてしまうようなら仕方がない。しかし、そのような話は聞いたことがないそうだ。
「飛龍様に会いにいきたいけど」
小鈴は、飛龍とは何も関係がない仕事についている。そんな小鈴が会いにいっても、見張りに拒まれるに違いない。
直接飛龍に会えれば話は別だろうが、なにせ、飛龍は四六時中部屋の中に閉じ込められているのだ。
「うーん……」
考え過ぎて、頭が痛くなってきた。それに、旅の疲れもたまっている。
「とりあえず、今日は寝よう」
明日からは仕事も始まる。飛龍のことは大事だが、仕事がおろそかになってしまえば、飛龍と会う前に追い出されてしまうかもしれない。
「よし、明日から、いっぱい頑張らなきゃ」
◆
太陽が昇るのと同時に、小鈴は目を覚ました。元々山で暮らしていて、狐としての感覚もある。早起きは得意なのだ。
昨日、翡翠色の袍と袴を渡された。翠蘭、という名前にちなんで、彼女の部下は翡翠色の衣服を着ることになるらしい。
着替えて、鏡を見ながらなんとか簪を髪にさす。いつどこで飛龍会ってもいいように、常に簪を身に着けておきたい。
だって、あの時の私だって、顔を見ただけじゃ分からないかもしれないもん。
「よし、ばっちり」
小鈴が頷いたところで、部屋の扉が二度、叩かれた。ゆっくりと扉を開けると、美雨が立っている。
「……もう起きていたんです?」
「はい。早起きは得意ですから」
意外そうな顔で頷くと、こちらです、と美雨は歩き始めた。いよいよ、主である翠蘭に会うのだ。
◆
「翠蘭様。新しい侍女をお連れいたしました」
美雨が扉の前で言うと、扉が開き、小さな足音が聞こえてきた。翠蘭だろう。
顔を上げることを許可されるまで、翠蘭の前で顔を上げてはいけない。じっと地面を見つめながら、翠蘭の返事を待つ。
「顔上げて」
柔らかい声だ。安心して、ゆっくりと顔を上げる。
「小鈴、というのよね。貴女は」
真っ白な肌、触れるだけで折れてしまいそうなほど細い手足。そして、薔薇色に染まったふっくらとした頬。
なんて美人なの……!
「は、はい。小鈴と申します」
「きてくれてありがとう。年の近い子がきてくれて、すごく嬉しいのよ」
ゆっくりと周囲を見回す。確かに、翠蘭の背後に控えている侍女たちは皆、小鈴よりも一回りも二回りも年上に見える。
「本当は歓迎会でもしてあげたいのだけれど、そういうわけにもいかないの」
残念そうに呟いたかと思うと、翠蘭はうっとりとした表情になり、両手で頬を挟んだ。
「午後には、佩芳様がきてくださるのよ。お茶会の準備をしなくちゃ」
佩芳様って……飛龍様のお兄さん、だよね。
どんな人なんだろう。どうして、飛龍様と仲違いしてしまったんだろう。
「佩芳様にも、小鈴を紹介しなきゃね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます