第3話 待つだけじゃ終われない

 温かい寝床と食べ物、そしてなにより、小鈴、と優しく名前を呼んでくれる飛龍。

 怪我が治るまでの日々は、小鈴にとって満ち足りた日々だった。


「そろそろ、怪我は治ったか」


 傷一つなくなった小鈴の足を見て、飛龍が穏やかに微笑む。

 しかしその笑顔はいつもより寂しげで、胸が騒いだ。


「……飛龍様」


 怪我が治るまで、ここにいていい。


 飛龍はそう言ってくれた。それはつまり、怪我が治れば、小鈴はここにはいられないということだ。


 仕方ない。

 なんとなくだけど……私も、状況は分かってきたもん。


 小鈴に食事を用意してくれる女の人も、小鈴の怪我を治療してくれた人も、みんな小鈴を見ると怯えた顔をしていた。

 丁寧に接してくれているのは、飛龍が命じているから。


 それに、いつまで化け物の世話をするのか、って飛龍様を悪く言っている人もいた。


 私がこれ以上ここにいたら、飛龍様に迷惑をかけちゃう。


「……私、そろそろ、出ていかないと駄目ですよね」


 飛龍は黙ったまま、じっと小鈴を見つめ返した。そして、ゆっくりと息を吐き、頷く。


「すまない」

「謝らないでください。こうやって、助けてくれたんですから」

「……今はまだ、お前をここにおいてやれる力はない」


 夜空のような瞳には、泣きそうな顔をした小鈴が映っている。


「妖だから、人だから……なんていがみ合っても、何の意味もないのにな」

「飛龍様……」


 飛龍様は、なんて心が綺麗なんだろう。

 妖たちは、半分人間だという理由で私を拒み、人間たちは、半分妖だという理由で私を拒んでいるのに。


「人だろうが妖だろうが、化け物だろうが幽霊だろうが、この国で暮らすものにはみんな、幸せになってほしい。それが俺の願いだ」


 飛龍は力強く言った。


「馬鹿げた理想だと思うか?」

「……いえ、思いません。そうなったらいいなって、私も思います」

「そうか」


 くすっと笑うと、飛龍は小鈴の手をぎゅっと握った。


「俺の兄も、そう言ってくれたんだ」

「……お兄さん?」


 飛龍には兄がいる。この国の第一皇子だ。小鈴は会ったことがないけれど、二人はすごく仲がいいらしい。


「ああ。兄を支えて、この国をもっといい国にする。それが、俺の夢なんだ」

「自分が王になりたいとは、思わないのですか?」

「滅多なことを言うな、小鈴」


 鋭い声で小鈴を咎めた後、すぐに飛龍は穏やかな笑みを浮かべた。


「兄上は、王になるべくして生まれた御方だ。俺には分かる。それに俺は、王にはなりたくない。王になれば、自由に出かけることもできないだろう?」


 悪戯っぽく笑うと、飛龍は立ち上がり、棚から一本の簪を持って戻ってきた。

 朱色の簪で、綺麗な黒色の石がついている。まるで、飛龍の瞳みたいだ。


「これをやる」

「……これを?」

「ああ」


 簪はずっしりと重かった。きっと、質のいい材料でできているのだろう。


「小鈴」

「はい」

「俺は、妖だろうが人だろうが……半妖だろうが、好きなように生きられる、そんな国を作るつもりだ」

「はい」

「その時がきたら、お前を迎えに行く」


 どくん、と小鈴の心臓が跳ねた。鼓動が速くなって、なぜか、飛龍の顔がまともに見られなくなる。


「だから待っていてくれ」


 そう言って、飛龍はそっと小鈴の額に口づけた。


「……はい。飛龍様」


 本当は、待っているだけなんて嫌だ。

 飛龍様の夢を、もっと近くで支えたい。


 でも今私がそんなことを言っても、飛龍様を困らせちゃうだけだよね。

 だから、今は言わない。

 だけど、ただ待っているつもりはない。


 いつかちゃんと、自分の力でお城に戻ってくる。そして、飛龍を支えてみせる。


「お前を受け入れてくれる家はもう探してある。これからのことも、なにも心配しなくていいからな」

「……あの、飛龍様」

「なんだ?」

「一つだけ、言わせてください」


 絶対会いにきます、とか、本当にありがとうございました、とか。きっと、伝えたい言葉はたくさんある。

 だけど、これだけは必ず言わせてほしい。


「小鈴は、飛龍様が大好きです」


 飛龍は目を見開き、そして、声を上げて笑った。


「そんなこと、出会った時から知っているぞ」





 あれから七年が経ったけれど、飛龍からは何の便りも届いていない。

 でも小鈴は、一度だって飛龍のことを忘れたことはない。


 病で幽閉されているなんて、きっとすごく困っているんだわ。

 私のことを忘れたわけじゃない。飛龍様は、そんな人じゃないもん。


 そっと、髪にさした簪に手を伸ばす。いつもは大切にしまっているけれど、今日はちゃんと髪にさしてみた。


「おばあちゃん、行ってきます」


 大きな鞄には、着替えと、道中の食料、そして紹介状が入っている。

 なにかあった時のために、とお金だってもらった。


「いってらっしゃい、小鈴。気をつけて」


 深く頭を下げて、家を出る。林杏のところへきてから、一人で王都へ行くのは初めてだ。

 すう、と息を吸い込む。

 王都には、林杏はいない。城には、飛龍以外の知り合いもいない。その飛龍だって、今はどんな状況か分からない。


 でも、行くの。私が、行くって決めたんだから。


「待っていてください、飛龍様!」

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