第2話 優しい人間

「おやすみなさい、小鈴」


 いつもと変わらない挨拶に、今日だけは泣きそうになる。だけど、林杏にこれ以上心配をかけるわけにはいかない。


「おやすみなさい、おばあちゃん」


 明るい声で返事をし、ゆっくりと目を閉じる。いつもならすぐに眠れるのに、今日はなかなか睡魔が襲ってきてくれない。


 飛龍様が、精神病? それって、本当なのかな。

 病気だとしても、どうして幽閉されているの?


 不安で胸が騒ぐ。小鈴、笑顔で名前を呼んでくれた飛龍を思い出すと苦しい。


 一時でも早く、あの人の傍に行きたい。





 小鈴が飛龍と出会ったのは、10年前のことだ。

 当時、小鈴は7歳、飛龍は14歳。

 忘れられない、大切な記憶である。





 どうしよう、どうしよう、どうしよう!?


 必死に足を動かしているつもりなのに、身体が重くて動かない。矢が刺さった左足から、どんどん血が溢れてくる。

 意識も薄くなっていく。しかし、ここで倒れたら、間違いなく死んでしまう。


 こんなところになんて、くるんじゃなかった。


 どれだけいじめられても、虐げられても、山奥にいればよかった。そうしたら、こんな目に遭うことはなかっただろうに。


 生まれた時から、小鈴は一人ぼっちだった。

 両親の顔は知らない。生きているのか、死んでいるのかさえも分からない。

 ただ一つ分かるのは、どちらかが人間で、どちらかが妖狐だった、ということだけ。


 半妖の私には、山の中に居場所なんてなかった。

 だから、変化して、人間の姿になって、人間と暮らしたいと思った。


「でも私、人でもないんだもん……」


 変化の術は完璧じゃなくて、山を下りる途中で、本来の半妖姿に戻ってしまった。

 そして、化け物だ! と狩りにきていた人間たちに追われることになったのだ。


 このまま、死んじゃうのかな。

 もう動かないし、すぐそこまで、足音が聞こえるし。

 やっぱり私って、どこにも居場所がないんだ。


 諦めかけた小鈴が目を閉じようとした、その時。

 馬蹄が轟いて、目の前に白馬がやってきた。


「大丈夫か!?」


 馬上から焦ったような声が聞こえる。そして、一人の少年が軽やかに下りてきた。

 艶やかな黒髪、夜空を固めて作ったみたいな、深い色の瞳。この世のものかと疑うほど美しい少年が、小鈴をじっと見つめている。


「足を……。全くあいつらは、馬鹿なことを」


 軽く舌打ちし、少年は小鈴に近づいてきた。


「もう安心していい。ああ、そうだ。人間の言葉は分かるか?」

「はっ、はい……」

「よかった」


 微笑んで、少年は小鈴の足元にしゃがんだ。血が出ている部分を見て顔を顰める。

 そして躊躇いなく、高そうな袍の袖を破った。


「とりあえず止血だ」


 袖で小鈴の傷を縛り、そのまま少年は小鈴を肩に抱えた。そして、再び馬上に戻る。

 そうしているうちに、小鈴を追いかけてきていた男たちがやってきた。


「飛龍様! 化け物ですよ!」

「なにをなさっているのですか。今すぐ化け物から離れてください!」


 顔を青くして、男たちが口々に叫ぶ。しかし、飛龍様と呼ばれた少年は呆れたように溜息を吐くだけだ。


「どこからどう見ても、幼い子供だ。お前たちは子供を殺すのか?」

「飛龍様! そいつは化け物です。耳と尻尾が見えないのですか!?」

「見えている。だが、お前たちはこいつに話しかけたか? ちゃんと言葉を理解しているぞ。なあ」


 肩から下ろされ、膝の上にのせられる。目が合って、はい、と慌てて返事をした。


「わ、私、人間の言葉、分かります……しゃ、小鈴といいます」

「ほらみろ」


 得意げな顔をし、飛龍は男たちを見た。


「ですが、飛龍様……」

「仮にこいつが化け物だとして、化け物の子だ。化け物の子を殺してなんになる? 化け物の親に恨まれるだけだろう」

「……それは」

「だが、化け物に優しくすれば、どうなる? 親だって、俺たち人間に感謝するだろうさ」


 男たちは黙って飛龍を見つめている。飛龍は満足そうに笑うと、再び小鈴に視線を戻した。


「怖い思いをさせて悪かったな。もう、大丈夫だ」


 そっと小鈴の頭を撫で、飛龍が穏やかに笑う。


「城へ戻るぞ! この子も連れて帰る」


 私、ここにいていいの?

 半妖なのに、連れて行ってもらえるの?


 聞きたいことも、知りたいこともたくさんある。でもだんだんと意識を保っていられなくなって、気づけば、小鈴は深い眠りに落ちていた。





「……こ。ここは?」


 目を開けると、真っ白な天井があった。慌てて身体を起こそうとしても、足が痛んで、上半身しか動かせない。


「気づいたか」

「……ふ、飛龍様」

「俺の名前を覚えたのか? 賢い奴だな」


 唇の端だけを上げて笑い、飛龍は小鈴の頭をまた撫でた。


「足の怪我は治療しておいた。数日もすれば、元に戻る」

「あ、ありがとう、ございます」


 誰かに親切にしてもらったのは、生まれて初めてかもしれない。山奥で暮らしている間も、人間に化けられる、という特技があるおかげで追い出されなかっただけだから。


「それより、悪かったな。俺の部下が面倒をかけた」

「……部下?」

「ああ。俺はこの国の第二皇子でな」

「第二皇子……」


 って、なんなんだろう。

 人間の社会のことは、まだ分からないことだらけだ。


「怪我が治るまで、ここにいればいい」


 もう一度小鈴の頭を撫でると、飛龍は立ち上がった。


「仕事が終われば戻る。それまで、おとなしくしていろ」


 飛龍が出ていくと、部屋に一人ぼっちになった。でも、全然寂しくない。だってまた、飛龍の手の感触が鮮やかに残っているから。


「……飛龍様」


 名前を呼ぶだけで、胸の奥が温かくなる。こんな気持ちになるのは初めてだ。


 どこにも居場所なんてないと思った。

 妖も、動物も人間も、誰も中途半端な私は受け入れてくれないと思っていた。


 でも、違うのかもしれない。


「優しい人間って、ちゃんといるんだ」

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お転婆狐の後宮勤め〜半妖少女は囚われの皇子を救い出す~ 八星 こはく @kohaku__08

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