お転婆狐の後宮勤め〜半妖少女は囚われの皇子を救い出す~
八星 こはく
第1話 いい知らせと悪い知らせ
「そろそろ、いいよね」
山菜でいっぱいになった籠を見つめ、
袍の袖についた汚れを手で払い、立ち上がる。
新鮮な山の空気を肺いっぱいに吸い込み、鳥の鳴き声に耳を澄ました。
『夜は雨が降るから、危ないよ』
え、そうなの? こんなに晴れているのに。
「ありがとう、教えてくれて!」
山で雨に降られたら、厄介なことになる。さっさと下山しないと。
山の天候は急に変わってしまう。そのため、山菜をとりにくるのも一苦労だ。……小鈴以外の人にとっては。
小鈴は動物の声を聞くことができる。そのため、山菜採りや山での行方不明者を探すことを生業としている。
とはいえ、いつまでもこうやって生きるつもりはない。
「……早く、お城で働きたいな」
小鈴が溜息を吐くと、ぴょこっ、と髪の間から狐の耳が生えてきた。尻尾まで出てきてしまう前に、慌てて引っ込める。
「危ない危ない」
もし私が半妖だなんて知られたら、おばあちゃんに迷惑をかけちゃう。それだけは絶対に避けないと。
◆
山の麓にある小屋に、小鈴は
「ただいま」
扉を開けると、嗅ぎ慣れた羹の香りがした。近隣でとれた野菜をたっぷり入れて煮込んだ、林杏特製のスープである。
ここは海や川が遠く、あまり魚が手に入らない。そのため、主なおかずは野菜なのだ。
「おかえり、小鈴」
「もうご飯の準備?」
「ええ。今日は御馳走だからねぇ」
「え!? そうなの!?」
慌てて林杏の傍へ寄る。調理台の上に、串にささった羊肉がおかれていた。
「
「そうよ」
「え、本当になにがあったの!?」
都会で暮らす貴族や裕福な商人ならともかく、慎ましやかな暮らしをしている庶民にとって、肉はかなりの高級品だ。
前回家で肉を食べたのは、小鈴の誕生日である。
今日って、なにもない日よね?
どうしてこんなに御馳走を作ってるの?
「小鈴」
「なに?」
「いい知らせと、それから悪い知らせがある」
林杏は羹を煮込む手をとめ、じっと小鈴を見つめた。改めて顔を見ると、年をとったな、と感じる。
林杏の家で暮らすようになってから、7年。小鈴は17歳になった。林杏は57歳である。
「どちらから聞きたい?」
「……いい知らせから」
「そう言うと思った」
林杏は柔らかく笑い、小鈴の手をぎゅっと握った。
「小鈴が城で働けることになった」
「えっ!?」
「18歳前後の若くて元気な娘を探しているそうだ。貴族や商人の娘ではなく、しがらみのない庶民の娘がよいと」
「庶民の……?」
「でも、一般的な読み書きはできる娘を探している。そんな子、滅多にいないのにね」
林杏の言う通りだ。貧しい家の女は、読み書きを習う余裕なんてない。
小鈴が読み書きできるのは、いつか城で働く日を夢見て、林杏に特別に教えてもらっていたからだ。
山奥の村で暮らしているが、林杏は元々、裕福な家の生まれだった。
しかし嫁いだ先で子供ができず、不妊を理由に家を追い出されたのだ。
「小鈴なら、その条件にぴったり合う」
微笑んで、林杏は懐から一枚の木札を取り出した。
「紹介状だよ」
「えっ!? ……いくら私が条件に合うとはいえ、城で働きたい子なんて、いっぱいいるんじゃ……」
「へそくりをはたいて、役人から買ったのさ」
林杏はお茶目に片目をつぶってみせた。
「おばあちゃん……!」
「本当は小鈴に、城になんて行ってほしくないけどね。でも、小鈴はどうしても城で働きたいんだろう?」
「……うん」
慣れ親しんだ家を出ることも、大好きな林杏と離れることも辛い。
でもそれ以上に、お城に行きたい。
だって城に行けば、
私がこうしておばあちゃんと一緒に暮らせているのも、生きていられるのも、全部飛龍様のおかげだもの。
「頑張っておいで。嫌になったら、いつでも帰ってくればいい」
「おばあちゃん……! ありがとう」
勢いよく林杏に抱き着く。その瞬間、つい耳と尻尾が出てしまった。
「まったく。城ではちゃんと、これを隠すんだよ」
言いながら、林杏が愛おしそうに小鈴の耳を撫でる。
普通の子とは違う耳や尻尾なのに、林杏は一度も怖がったり、気味悪がったことがない。初めて会った時から、こうして優しく撫でてくれた。
「それから小鈴。悪い知らせがある、と言ったね?」
「うん」
「辛いかもしれないけど、ちゃんと聞いておくれ」
真剣な表情で、林杏はゆっくりと息を吐いた。
悪い知らせって、なんなんだろう。
「飛龍様が、幽閉されているんだ」
「……えっ!?」
嘘。どうして? なんで?
飛龍様は、皇帝の血を引く第二皇子なのに?
「なんでも、精神を病んでしまったとか。……それに今は陛下も病らしい」
「えっ!? 陛下も!?」
「そうらしいよ。それで、第一皇子の
「佩芳様が……」
「小鈴の仕事が見つかったのも、その影響でね」
座って話そう、と林杏が背中をさすってくれた。一度大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと床に座る。
「正式な婚姻はまだ先だけど、佩芳様の許嫁が後宮へやってくるそうなんだよ。そこで、その許嫁のお世話係を探しているらしい」
「じゃあ、私の仕事って、その許嫁のお世話係なの?」
「そうだよ」
林杏のおかげで、一通りの家事はできる。第一皇子の婚約者が満足してくれるような仕事ができるかは、正直自信がないけれど。
「小鈴。飛龍様は精神を病んでおられる。それに、幽閉されている」
「うん」
「会えないかもしれないし、会えても、昔の飛龍様とは全く違うかもしれない。それでも、お城で働きたいと思うかい?」
「うん!」
だって私は、飛龍様のおかげで生きているんだから。
今度は私が、飛龍様を支えたい。困っているのなら助けてあげたい。辛い思いをしているなら寄り添ってあげたい。
そのために、とにかく飛龍様の近くに行かなきゃ。
「おばあちゃん。私、やっぱりお城に行きたい!」
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