お転婆狐の後宮勤め〜半妖少女は囚われの皇子を救い出す~

八星 こはく

第1話 いい知らせと悪い知らせ

「そろそろ、いいよね」


 山菜でいっぱいになった籠を見つめ、小鈴シャオリンは呟いた。

 袍の袖についた汚れを手で払い、立ち上がる。


 新鮮な山の空気を肺いっぱいに吸い込み、鳥の鳴き声に耳を澄ました。


『夜は雨が降るから、危ないよ』


 え、そうなの? こんなに晴れているのに。


「ありがとう、教えてくれて!」


 山で雨に降られたら、厄介なことになる。さっさと下山しないと。

 山の天候は急に変わってしまう。そのため、山菜をとりにくるのも一苦労だ。……小鈴以外の人にとっては。


 小鈴は動物の声を聞くことができる。そのため、山菜採りや山での行方不明者を探すことを生業としている。

 とはいえ、いつまでもこうやって生きるつもりはない。


「……早く、お城で働きたいな」


 小鈴が溜息を吐くと、ぴょこっ、と髪の間から狐の耳が生えてきた。尻尾まで出てきてしまう前に、慌てて引っ込める。


「危ない危ない」


 もし私が半妖だなんて知られたら、おばあちゃんに迷惑をかけちゃう。それだけは絶対に避けないと。





 山の麓にある小屋に、小鈴は林杏リンシンと二人暮らしをしている。血の繋がりはないものの、半妖であると分かった上で小鈴を育ててくれているのだ。


「ただいま」


 扉を開けると、嗅ぎ慣れた羹の香りがした。近隣でとれた野菜をたっぷり入れて煮込んだ、林杏特製のスープである。

 ここは海や川が遠く、あまり魚が手に入らない。そのため、主なおかずは野菜なのだ。


「おかえり、小鈴」

「もうご飯の準備?」

「ええ。今日は御馳走だからねぇ」

「え!? そうなの!?」


 慌てて林杏の傍へ寄る。調理台の上に、串にささった羊肉がおかれていた。


羊肉串ヤンロウチェン!?」

「そうよ」

「え、本当になにがあったの!?」


 都会で暮らす貴族や裕福な商人ならともかく、慎ましやかな暮らしをしている庶民にとって、肉はかなりの高級品だ。

 前回家で肉を食べたのは、小鈴の誕生日である。


 今日って、なにもない日よね?

 どうしてこんなに御馳走を作ってるの?


「小鈴」

「なに?」

「いい知らせと、それから悪い知らせがある」


 林杏は羹を煮込む手をとめ、じっと小鈴を見つめた。改めて顔を見ると、年をとったな、と感じる。

 林杏の家で暮らすようになってから、7年。小鈴は17歳になった。林杏は57歳である。


「どちらから聞きたい?」

「……いい知らせから」

「そう言うと思った」


 林杏は柔らかく笑い、小鈴の手をぎゅっと握った。


「小鈴が城で働けることになった」

「えっ!?」

「18歳前後の若くて元気な娘を探しているそうだ。貴族や商人の娘ではなく、しがらみのない庶民の娘がよいと」

「庶民の……?」

「でも、一般的な読み書きはできる娘を探している。そんな子、滅多にいないのにね」


 林杏の言う通りだ。貧しい家の女は、読み書きを習う余裕なんてない。

 小鈴が読み書きできるのは、いつか城で働く日を夢見て、林杏に特別に教えてもらっていたからだ。


 山奥の村で暮らしているが、林杏は元々、裕福な家の生まれだった。

 しかし嫁いだ先で子供ができず、不妊を理由に家を追い出されたのだ。


「小鈴なら、その条件にぴったり合う」


 微笑んで、林杏は懐から一枚の木札を取り出した。


「紹介状だよ」

「えっ!? ……いくら私が条件に合うとはいえ、城で働きたい子なんて、いっぱいいるんじゃ……」

「へそくりをはたいて、役人から買ったのさ」


 林杏はお茶目に片目をつぶってみせた。


「おばあちゃん……!」

「本当は小鈴に、城になんて行ってほしくないけどね。でも、小鈴はどうしても城で働きたいんだろう?」

「……うん」


 慣れ親しんだ家を出ることも、大好きな林杏と離れることも辛い。

 でもそれ以上に、お城に行きたい。

 だって城に行けば、飛龍フェイロン様に会えるから。


 私がこうしておばあちゃんと一緒に暮らせているのも、生きていられるのも、全部飛龍様のおかげだもの。


「頑張っておいで。嫌になったら、いつでも帰ってくればいい」

「おばあちゃん……! ありがとう」


 勢いよく林杏に抱き着く。その瞬間、つい耳と尻尾が出てしまった。


「まったく。城ではちゃんと、これを隠すんだよ」


 言いながら、林杏が愛おしそうに小鈴の耳を撫でる。

 普通の子とは違う耳や尻尾なのに、林杏は一度も怖がったり、気味悪がったことがない。初めて会った時から、こうして優しく撫でてくれた。


「それから小鈴。悪い知らせがある、と言ったね?」

「うん」

「辛いかもしれないけど、ちゃんと聞いておくれ」


 真剣な表情で、林杏はゆっくりと息を吐いた。


 悪い知らせって、なんなんだろう。


「飛龍様が、幽閉されているんだ」

「……えっ!?」


 嘘。どうして? なんで?

 飛龍様は、皇帝の血を引く第二皇子なのに?


「なんでも、精神を病んでしまったとか。……それに今は陛下も病らしい」

「えっ!? 陛下も!?」

「そうらしいよ。それで、第一皇子の佩芳ベイファン様が代わりに業務を行っていらっしゃるとか」

「佩芳様が……」

「小鈴の仕事が見つかったのも、その影響でね」


 座って話そう、と林杏が背中をさすってくれた。一度大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと床に座る。


「正式な婚姻はまだ先だけど、佩芳様の許嫁が後宮へやってくるそうなんだよ。そこで、その許嫁のお世話係を探しているらしい」

「じゃあ、私の仕事って、その許嫁のお世話係なの?」

「そうだよ」


 林杏のおかげで、一通りの家事はできる。第一皇子の婚約者が満足してくれるような仕事ができるかは、正直自信がないけれど。


「小鈴。飛龍様は精神を病んでおられる。それに、幽閉されている」

「うん」

「会えないかもしれないし、会えても、昔の飛龍様とは全く違うかもしれない。それでも、お城で働きたいと思うかい?」

「うん!」


 だって私は、飛龍様のおかげで生きているんだから。

 今度は私が、飛龍様を支えたい。困っているのなら助けてあげたい。辛い思いをしているなら寄り添ってあげたい。


 そのために、とにかく飛龍様の近くに行かなきゃ。


「おばあちゃん。私、やっぱりお城に行きたい!」

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