第42話 嫌じゃなければ

「温まりますね、先輩」


 ココアの入ったカップを両手で持ち、神楽坂がにっこりと笑う。

 だな、と頷いて俺もココアを飲んだ。


 今日の行き先を決めるため、俺たちは一旦駅前のカフェへ入った。やたらと名前の長い商品が多くて混乱した俺がシンプルなココアを注文すると、神楽坂も同じ物を選んだのだ。

 先輩とおそろいがいいから、なんて笑って。


 今日の神楽坂はいつもの神楽坂とは違う。それくらい俺にも分かる。


「先輩は今日、どこか行きたいところはありますか?」

「そうだな。できれば、ゆっくりできる場所がいいかもしれない」


 昨日は夏菜と遊園地で遊び、かなり疲れた。全身のいたるところが筋肉痛だ。夏菜は朝から部活だと言っていたから本当にすごい。


「じゃあ、こことかどうですか?」


 神楽坂が見せてくれたスマホには、猫カフェのホームページが映っていた。

 10分200円で、130分以上滞在する場合は一律2500円。別料金で猫のおやつを買うこともできると書いてある。


「猫と触れ合えるのはもちろんなんですけど、結構広くて、座ってのんびり話したりもできるみたいなんです。本を読んだりしてる人もいるらしいですよ」

「へえ……神楽坂は行ったことあるのか?」

「いえ。実はここ、希来里ちゃんが教えてくれたんです。田代先輩と行ったって」

「……そういえばそんなこと言ってたな」


 元カノと遭遇して動揺した加賀を猫カフェに連れていった、と樹は言っていた。

 樹が猫カフェなんて……と俺は少し笑いそうになってしまったが、どうやら加賀には好印象だったらしい。


「どうです? 私、先輩と一緒に行きたいです」


 じいっ、と神楽坂が俺の目を見つめる。

 その瞬間、ぐぅ……と神楽坂の腹が鳴った。


「お腹空いてるのか?」

「ち、違うんですこれは、いやあの、違わないんですけど……!」


 神楽坂の顔があっという間に赤く染まっていく。最終的には両手で顔を覆って俯いてしまった。

 生理現象なんだから、別に恥ずかしがるようなことでもないのに。


「昼飯食べてから猫カフェに行くってのはどうだ?」

「……大賛成です」

「なんか食べたい物でもあるか? 俺はアレルギーも好き嫌いも特にないから、神楽坂の好きなのでいいぞ」

「優しいですね、先輩って」


 ふふ、と神楽坂が微笑む。

 そう言ってくれるのはありがたいが、俺は自分で店を決めるのが得意じゃないだけだ。


「でも私も、わりとなんでも食べられるので……あ、そうだ。駅前のビルのレストランフロアに行ってみて決めません?」

「そうするか。混雑具合とかも分かるし」

「はい!」


 目を合わせて、俺たちは残りのココアを一気に飲み干した。

 熱さのせいで少しだけ舌を火傷してしまったことは、神楽坂には隠しておかなくては。





「やっぱりこの時間はどこも混んでますよね」


 エレベーターを出てフロア全体を見回すと、どの店舗の前にも列ができていた。

 まあ、休日の昼間時はどこもこんなものだろう。


「先輩は並ぶのとか、嫌ですか?」

「いや、別に嫌ってほどでは……」


 行列のできる店に二時間も三時間も並ぶようなことはしないが、極端に並ぶことが嫌いなわけでもない。

 みらちぇんのグッズを手に入れるために、朱莉とアニメショップに開店前から並んだこともある。


「神楽坂は?」

「私も普段はあんまり並ぶってわけじゃないですけど……」


 でも、と言って神楽坂はにっこり笑った。


「先輩となら、たくさん並んでもいいですよ。並んでる間もお話できて楽しいので」

「……俺も、神楽坂となら並んでもいい」

「ありがとうございます。じゃあ、シンプルに一番美味しそうなところにしちゃいましょう!」


 神楽坂が俺の手を引っ張り、フロア案内のパネル前へ連れていってくれた。


「どれがいいですかね?」


 定食屋やイタリアン、うどんやラーメン店まで幅広いラインナップだ。


 たぶん普段の俺なら、ラーメンだろうな。


 回転が早いだろうから列のわりに入店までにかかる時間は短いだろうし、かなりボリュームがあって美味しそうだ。

 炒飯や餃子等のサイドメニューも充実していて、単純に惹かれる。


「……こことか、どうだ?」

「パスタ屋さんですね! 美味しそうです!」


 俺が指差したのは、パスタがメインのカフェに近いイタリアンの店だ。パスタ以外にもいろいろあるし、シェアできそうなピザなんかもある。

 デザートメニューやドリンクメニューも充実していていそうだ。


「よかった」

「先輩、パスタの気分なんですか?」

「いや、なんていうか……この中で一番、デートっぽい店かなって」


 神楽坂は今日、デートとして俺を誘ってくれた。だったら、俺もデートとして考えるのがいいのではないかと思ったのだ。


「先輩……私、嬉しいです!」


 瞳を輝かせ、神楽坂が眩しい笑顔を浮かべる。

 どうやら俺の選択は正解だったらしい。


「初デートのお店って大事ですよね。やっぱり記憶に残りますし、だからこそデートっぽい雰囲気の店っていうの、すごくいいと思います」

「……よかった」

「あれ? 先輩、どうしたんですか? 顔赤いですけど……」

「……いや、その……2回目以降もあるんだなって話し方してるから」


 俺の言葉に、今度は神楽坂が顔を赤くした。

 真っ赤な顔のまま、俺たちはしばし見つめ合う。


「……先輩さえ嫌じゃなければ、ですけど」


 ぼそっと神楽坂は言うと、照れ隠しのためか、すぐにレストランへ向かって走り出してしまった。

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