第38話 お気に入りだから
電話越しでも、夏菜が緊張していたことは分かった。あんな夏菜の声、一度だって聞いたことがない。
「……デート、か」
遊びに行こう、でも、出かけよう、でもなく、夏菜はデートという言葉を使った。
その意味を推測できないほど俺は鈍くない。
次の土曜、俺は夏菜とデートする。
とっさに頷いたのはたぶん、驚いたから……だけじゃない。
目を閉じると、夏菜の顔が頭に浮かんだ。出会った時からずっと変わらない明るい笑顔だ。
夏菜からデートに誘われるなんて、昔の俺は想像もしていなかった。
そもそも、俺みたいな奴が夏菜と友達になれたのだって奇跡みたいなものだ。
「神楽坂は、どう思うんだろうな」
瀬戸に引き続き俺が夏菜ともデートをすると聞いたら、もっと怒って不機嫌になるだろうか。それとも呆れるだろうか。
それならまだいい。もし神楽坂が……神楽坂が、深く傷ついてしまったら?
「……でも、断ったら……」
デートはできない。
はっきりと夏菜に告げれば、夏菜は分かったと納得するだろう。でも、きっと傷つくはずだ。
「……くそっ」
分かっている。ただ、俺に誰かを傷つける度胸がないだけだ。どうやったって、きっと誰かは傷つけてしまうのに。
「加賀ならこういう時、どうするんだろうな」
樹のことを好きだと断言し、正面からぶつかると言いきっていた。そんな加賀が眩しくて、格好良く見えた。
きっと加賀ならちゃんと、自分の気持ちを樹に伝えられる。樹だってその気持ちに真っ直ぐ答えるだろう。あいつはそういう男だ。
お似合いの二人だ。
「……俺、めちゃくちゃダサいよな」
◆
駅の改札前でスマホを確認する。待ち合わせの時間まではあと10分。そろそろ夏菜もやってくるだろう。
今日の夏菜って、どんな感じなんだ? いつもと違うのか?
デートとして夏菜に会うのは初めてだ。もしかしたら、デートらしい服やメイクできたりするのだろうか。
「……あ」
ふと、放課後、ファミレスで一緒に勉強をした日のことを思い出した。
あの日夏菜からは、らしくない甘ったるい匂いがした。
瀬戸は本当に、あの匂いを夏菜にすすめたのだろうか? 瀬戸は俺なんかよりずっと、夏菜の好みを知っているのに。
全身から血の気が引いていく。
もしかしたら俺はあの日、夏菜をすごく傷つけてしまったんじゃないだろうか。
「どうしよう……」
「ちょっと。待ち合わせ場所で頭抱えてるの、どうかと思うけど?」
頭上から夏菜の声が聞こえた。
慌てて顔を上げ、言葉を失う。そこにいた夏菜は、俺の予想とは全く違う服を着ていたから。
シンプルな黒いシャツにネクタイ、黒に近い紫のジャケット、黒のパンツに黒のロングブーツ。
黒を基調としたファッションだが、ボタン等は銀色で、地味な印象はない。耳や首についているアクセサリーも、銀色のゴツゴツしたものだ。
「……夏菜」
「なに? じろじろ見て。もしかして見惚れたとか?」
「……うん」
「はあ?」
照れくさそうに夏菜が大声を出し、そっぽを向く。それでも俺は、夏菜から目を離せなかった。
制服姿とも、剣道着姿とも違う。
今日の夏菜は、めちゃくちゃ格好いい。
「デートっぽくないって思った?」
「あ、いや、まあ……その、ちょっとは」
「知ってる。でも、一番お気に入りの服だから」
「似合ってる」
「ありがとう」
近づくと、夏菜からは柑橘系の匂いがした。今日の匂いは、夏菜によく似合っている。
「じゃあ、行こうか」
「行くって、どこに?」
今日のプランは私に任せて、と夏菜に言われた。そのため俺は、今日どこへ行くのかを全く知らない。
「これ」
夏菜が鞄からチケットを二枚取り出す。
「……極楽園?」
「そう。最近できたけど、行ったことなくて」
電車で1時間ほどかかる距離に最近できた遊園地だ。キャラクター主体のテーマパークではなく、本格的なお化け屋敷やかなりの高さがあるジェットコースターを売りにしているところだ。
「耀太、絶叫系いけるでしょ?」
「……いける、けど」
俺が行ったことのある遊園地は、可愛いキャラクターが迎えてくれるような場所だ。乗ったことのあるジェットコースターも、朱莉が乗りたいと言った子供向けの物ばかり。
極楽園のジェットコースターなんて、俺に乗れるのか?
「じゃ、行くよ。あんまり時間もないんだから」
夏菜が俺の手を引っ張る。硬い手のひらは、夏菜の努力を物語っていた。
今日は、俺の方が背が低いんだな。
夏菜のブーツはかなりヒールが高い。それなのに、夏菜はしっかりとした足どりでどんどん前へ進む。
そうか、そうだよな。
夏菜は、俺に合わせて低いヒールの靴を履くような奴じゃない。
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