第38話 お気に入りだから

 電話越しでも、夏菜が緊張していたことは分かった。あんな夏菜の声、一度だって聞いたことがない。


「……デート、か」


 遊びに行こう、でも、出かけよう、でもなく、夏菜はデートという言葉を使った。

 その意味を推測できないほど俺は鈍くない。


 次の土曜、俺は夏菜とデートする。

 とっさに頷いたのはたぶん、驚いたから……だけじゃない。


 目を閉じると、夏菜の顔が頭に浮かんだ。出会った時からずっと変わらない明るい笑顔だ。

 夏菜からデートに誘われるなんて、昔の俺は想像もしていなかった。

 そもそも、俺みたいな奴が夏菜と友達になれたのだって奇跡みたいなものだ。


「神楽坂は、どう思うんだろうな」


 瀬戸に引き続き俺が夏菜ともデートをすると聞いたら、もっと怒って不機嫌になるだろうか。それとも呆れるだろうか。

 それならまだいい。もし神楽坂が……神楽坂が、深く傷ついてしまったら?


「……でも、断ったら……」


 デートはできない。

 はっきりと夏菜に告げれば、夏菜は分かったと納得するだろう。でも、きっと傷つくはずだ。


「……くそっ」


 分かっている。ただ、俺に誰かを傷つける度胸がないだけだ。どうやったって、きっと誰かは傷つけてしまうのに。


「加賀ならこういう時、どうするんだろうな」


 樹のことを好きだと断言し、正面からぶつかると言いきっていた。そんな加賀が眩しくて、格好良く見えた。

 きっと加賀ならちゃんと、自分の気持ちを樹に伝えられる。樹だってその気持ちに真っ直ぐ答えるだろう。あいつはそういう男だ。

 お似合いの二人だ。


「……俺、めちゃくちゃダサいよな」





 駅の改札前でスマホを確認する。待ち合わせの時間まではあと10分。そろそろ夏菜もやってくるだろう。


 今日の夏菜って、どんな感じなんだ? いつもと違うのか?


 デートとして夏菜に会うのは初めてだ。もしかしたら、デートらしい服やメイクできたりするのだろうか。


「……あ」


 ふと、放課後、ファミレスで一緒に勉強をした日のことを思い出した。

 あの日夏菜からは、らしくない甘ったるい匂いがした。

 瀬戸は本当に、あの匂いを夏菜にすすめたのだろうか? 瀬戸は俺なんかよりずっと、夏菜の好みを知っているのに。


 全身から血の気が引いていく。

 もしかしたら俺はあの日、夏菜をすごく傷つけてしまったんじゃないだろうか。


「どうしよう……」

「ちょっと。待ち合わせ場所で頭抱えてるの、どうかと思うけど?」


 頭上から夏菜の声が聞こえた。

 慌てて顔を上げ、言葉を失う。そこにいた夏菜は、俺の予想とは全く違う服を着ていたから。


 シンプルな黒いシャツにネクタイ、黒に近い紫のジャケット、黒のパンツに黒のロングブーツ。

 黒を基調としたファッションだが、ボタン等は銀色で、地味な印象はない。耳や首についているアクセサリーも、銀色のゴツゴツしたものだ。


「……夏菜」

「なに? じろじろ見て。もしかして見惚れたとか?」

「……うん」

「はあ?」


 照れくさそうに夏菜が大声を出し、そっぽを向く。それでも俺は、夏菜から目を離せなかった。


 制服姿とも、剣道着姿とも違う。

 今日の夏菜は、めちゃくちゃ格好いい。


「デートっぽくないって思った?」

「あ、いや、まあ……その、ちょっとは」

「知ってる。でも、一番お気に入りの服だから」

「似合ってる」

「ありがとう」


 近づくと、夏菜からは柑橘系の匂いがした。今日の匂いは、夏菜によく似合っている。


「じゃあ、行こうか」

「行くって、どこに?」


 今日のプランは私に任せて、と夏菜に言われた。そのため俺は、今日どこへ行くのかを全く知らない。


「これ」


 夏菜が鞄からチケットを二枚取り出す。


「……極楽園?」

「そう。最近できたけど、行ったことなくて」


 電車で1時間ほどかかる距離に最近できた遊園地だ。キャラクター主体のテーマパークではなく、本格的なお化け屋敷やかなりの高さがあるジェットコースターを売りにしているところだ。


「耀太、絶叫系いけるでしょ?」

「……いける、けど」


 俺が行ったことのある遊園地は、可愛いキャラクターが迎えてくれるような場所だ。乗ったことのあるジェットコースターも、朱莉が乗りたいと言った子供向けの物ばかり。


 極楽園のジェットコースターなんて、俺に乗れるのか?


「じゃ、行くよ。あんまり時間もないんだから」


 夏菜が俺の手を引っ張る。硬い手のひらは、夏菜の努力を物語っていた。


 今日は、俺の方が背が低いんだな。


 夏菜のブーツはかなりヒールが高い。それなのに、夏菜はしっかりとした足どりでどんどん前へ進む。


 そうか、そうだよな。

 夏菜は、俺に合わせて低いヒールの靴を履くような奴じゃない。

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