第36話 だって

「優先順位をつけなよ」


 瀬戸の言葉が頭から離れてくれない。全てを見透かすような瀬戸の瞳が、今も俺を見ているような気がする。

 顔を上げて視線を黒板へ向けるけれど、授業の内容は全く頭に入ってこない。ただ機械的に手を動かしてノートをとっているだけだ。


 優先順位、か。

 優先順位って、なんだよ。


 はあ、と溜息を吐く。瀬戸に腹を立てるのは筋違いだ。瀬戸はなにも間違ったことは言っていない。

 俺なんか……という謙遜も、たぶんただの逃げだ。





「今日の神楽坂、ずっと機嫌悪かったな」


 昼食を食べて教室へ戻る途中、樹がからかうようにそう言った。神楽坂は朝の不機嫌さを引きずっていて、食事中はほとんど喋らなかったのだ。


「お前が瀬戸とデートしたから拗ねてるんだろう。お前、いつからギャルゲーの主人公になったんだ?」

「そんなんじゃないって」

「なくはないだろ、実際」


 立ち止まった樹が真顔で俺を見つめる。否定することもできず、額に手を当てた。


「……なあ。俺、どうするべきなんだ?」


 自分がこんな状況におかれる日がくるなんて、たぶん俺は想像すらしていなかった。

 俺は、なにかを選ぶことに慣れていない。お菓子やケーキですら、いつも朱莉や母さんが選んだ後に選ぶ。

 だって、俺はそれでいいんだ。自分が好きな物を選ぶことより、ありがとうと笑顔を向けられることの方がずっと嬉しかったから。


「お前はどうしたいんだ?」

「……俺は」

「まずは、そこを決めることからだろう。……なんて俺も、偉そうなことは言えないけどな」


 はは、と樹も自嘲気味に笑った。樹も樹で、いろいろとまだ悩んでいるらしい。

 そりゃあそうだよな。樹も俺も、今まで彼女がいたことがない恋愛初心者なんだから。


「俺はお前が誰を選んでも、選ばなくても応援するつもりだ」

「樹……」

「まあ、俺を選ばれると非常に困るんだが」

「誰が選ぶか」


 目が合って、俺も樹も声を出して笑う。笑うと、もやもやとしていた頭の中が少しだけすっきりした。





「ねえっ、ちょっといい!?」


 いきなり腕を引っ張られ、人気のない教室に連れ込まれた。慌てて顔を上げると、今日もばっちりメイクを決めた加賀と目が合う。


「……加賀?」


 放課後俺は、珍しく学校に残っていた。先生に頼まれて、委員会の仕事をするためだ。

 そしてそれも終わり、一人で帰ろうとしていたのだが。


 なんで加賀が?

 っていうか、加賀が俺に用なのか? 樹じゃなくて?


 加賀とは毎日顔を合わせているが、二人で話したことはほとんどない。この状況に慣れなくて、なんだか緊張してしまう。


「御坂先輩と、どうしても二人で話したくて。いい? てか、拒否権ないから普通に」

「え、あ、ああ……」


 俺、普通に拒否権ないのか。


「ちょっとそこ座って」


 加賀に指示され、近くの椅子に座る。どうやらこのまま、ここで話をするらしい。


「御坂先輩に聞きたいことがあるんだけど、いい?」

「あ、ああ。俺でよければ」

「大前提として一つ言っておかなきゃいけないんだけど」


 加賀は俺をじっと見つめ、深く息を吸い込んだ。

 加賀が教室の電気をつけた瞬間、明かりを浴びて加賀の瞳が煌めく。


「アタシ、つっきーのことめっちゃ好きなんだよね」


 眩しい。


 単純に、ただただそう思った。それほど加賀の瞳は澄んでいて、眼差しは真っ直ぐで、俺にはあまりにも眩しい。


「御坂先輩はアタシとつっきーのこと、どう思う?」

「どう思うって?」

「釣り合わないのは分かってるけど……もし、もしアタシとつっきーが付き合ったりしたら、先輩は応援してくれる?」


 加賀の瞳が少しずつ涙で潤んでいく。泣き出してしまうのかと思ったけれど、加賀は泣かなかった。

 唇をきゅっと噛んで、また俺を真っ直ぐに見つめてくる。


 自分と樹が釣り合わない、か。

 加賀には樹が、どんな風に見えてるんだろうな。


「……もちろん俺は、二人が付き合ったら応援するよ」


 樹だって加賀に対して好意を抱いている。

 俺が加賀に手を貸すまでもないだろうが、俺にできることがあるならしてやりたい。


「マジ!? よかった! じゃ、話はこれだけだから」

「えっ!?」

「御坂先輩、なに驚いてんの?」


 加賀が目を丸くする。本気で俺の反応に驚いているようだった。


「いや、普通この流れ、協力してほしいとか、樹が加賀をどう思ってるか知りたいとか……その、そういう流れだと思ったんだけど」


 俺はまだ応援するかどうかを聞かれただけだ。

 加賀は、そんなことだけをわざわざ聞きにきたのか?


「御坂先輩、アタシのこと手伝ってくれるつもりだったわけ?」

「……まあ」

「ありがと! でもいいや。つっきーには真正面からぶつかるって、アタシ、決めたから」


 じゃあね、と手を振って加賀が教室から出ていこうとする。

 どうしても気になって、俺は加賀を呼び止めた。


「じゃあなんで……俺に応援するかどうかなんて聞いたんだ?」


 あー、と呟きながら、加賀は少しだけ照れくさそうな顔をした。


「だってつっきーに、親友から応援されないような恋、してほしくないじゃん」


 恥ずかしくなったのか、加賀は振り向かずに教室を出ていってしまう。遠ざかる背中を見ながら、俺は呆然と立ち尽くした。

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