第34話 かもしれない

「私に歌ってほしい曲、決まった?」


 デンモクを持った瀬戸が、笑いながら俺の隣に腰を下ろす。肩と肩がぶつかってしまった。

 休日のカラオケはかなり混雑していて、二人客の俺たちは一番小さい部屋に案内されたのだ。


 瀬戸と二人きりで、こんなに近い距離にいるなんて落ち着かない。


「得意な曲とかは?」

「流行りのやつなら、たいてい歌えると思うよ。知らなかったらごめんね」


 瀬戸が歌っているところは一度だけ見たことがある。去年の文化祭だ。夏菜に連れられて、俺は最前列で瀬戸の発表を見た。

 一年生ということもあり、瀬戸が披露したのは一曲だけ。当時流行っていた恋愛ドラマの主題歌で、可愛らしい曲が瀬戸によく似合っていたのを覚えている。


「瀬戸の一番得意な曲が聴きたい」

「私に歌ってほしい曲はないってこと?」

「そうじゃなくて。せっかくなら、瀬戸の得意な曲が知りたいって思っただけ」


 瀬戸に似合うだろうな、という曲はいくつか頭に浮かぶ。頻繁に耳にするお菓子のCMソングとか、SNSで流行っているアイドルソングだとか。

 でも、瀬戸が好きな曲は予想できない。だから知りたい。


「そういうことなら、一番得意なの歌ってあげる」

「ああ、頼む」


 瀬戸は迷いなくデンモクを操作し、数年前に流行ったアニメの主題歌を入れた。女性ボーカルの有名バンドで、俺も当時は毎日のように聴いていた曲だ。

 アップテンポで勢いがよく、やや激しめの曲。普段の瀬戸とは結びつかない曲だ。


 イントロが始まり、マイクを持った瀬戸が立ち上がった。歌詞が表示された画面には視線を向けず、じっと俺のことを見つめている。


 イントロが終わり、瀬戸が歌い始める。

 その瞬間、地面が揺れた気がした。





「どうだったかな、御坂くん?」


 曲が終わり、瀬戸がマイクをテーブルに置く。すぐに感想が出てこない俺を見て、瀬戸はくすっと笑った。


「私、結構歌上手いでしょ」


 結構、なんてものじゃない。間違いなく、人生で聴いた歌の中で一番上手かった。

 音程が合っているだけじゃなくて、なんというか……魂が震える、というか。大袈裟じゃなく、そのくらい凄かった。


「ああ。瀬戸って、本当に歌上手いんだな」

「ありがとう」


 可愛らしい見た目とは裏腹に、力強い歌声だった。瀬戸がモテる意味を、今日さらに理解できた気がする。

 守ってあげたくなるような女の子らしさだけじゃない。どこか心の内が読めないミステリアスさや、特別な才能がある。


「次は御坂くんが歌ってよ」

「この流れで歌えないだろ。俺、普通に歌下手だぞ。その上、笑えるほどの音痴でもない」

「なんかそれ、御坂くんっぽいかも」

「……さすがに失礼じゃないか?」


 ごめん、と瀬戸は口を大きく開けて笑った。


「今日は本当、ありがとう」

「こっちこそ、ありがとうな。誘ってくれて」

「御坂くんって、本当にいい人だね。御坂くんがモテる理由、ちょっと分かった気がする」

「それ、瀬戸が言うことじゃないだろ。別に俺、モテないし」


 生まれてから一度も告白されたことすらないのだ。

 非モテと自分で主張するのは嫌だが、モテからかけ離れた位置にいるのは間違いない。


「ねえ、御坂くん」

「なんだ?」

「優しいのはいいことだけど、みんなに優しいって、恋愛においては致命的だと思わない?」


 瀬戸の顔から笑みが消えた。いきなりの変化に戸惑ってしまう。


「御坂くんをデートに誘った時、夏菜や神楽坂ちゃんがどんな気持ちだったと思う?」

「え?」


 神楽坂は急に不機嫌になった。夏菜は驚いて……その後、どんな顔をしていただろう?


「人前でデートを断られたら、私は恥をかいたと思う。優しい御坂くんなら、そんなことはしないだろうって思ってたよ」

「別に俺は、そういうつもりで言ったわけじゃ……」

「うん、それも知ってる」


 瀬戸がそっと俺の手に自分の手を重ねた。大きな手のひらだ。でも、指は細い。間違いなく、女の子の手だ。


「目の前の人に優しくすることは、必ずしも隣にいる人に優しくすることにはならない」


 鋭い眼差しに、心臓が締めつけられるような気がした。


 優しい。穏やか。親切。

 小さい頃から、よく俺が言われていた褒め言葉だ。特に目立った才能や特技のない俺に対して、無難な褒め言葉を使っただけだろうとも思う。

 それに、俺は自分で自分を優しいとは思わない。臆病なだけだ。目の前にいる人を傷つけることも、落胆させることも怖いだけ。


 そんな俺の薄っぺらさを見透かされた気がして鼓動が速くなる。


「今日のお礼のアドバイスだよ、御坂くん」

「……瀬戸」

「で、どうする? 御坂くんが歌わないなら、私、もう一曲歌っちゃおうかな」


 明るく言うと、瀬戸はデンモクに視線を移した。


 心がざわつく。こんなことを人から指摘されたのは初めてだ。


 俺は、神楽坂に不機嫌な理由を聞かなかった。

 夏菜の顔をちゃんと見なかった。

 狡さを責められたわけじゃない。気づかされただけだ。無意識のうちに目を逸らしていたものを、強引に視界に入れられた。


 瀬戸がマイクを持ち、俺を見て微笑む。天使のように可愛いのに、悪魔みたいに恐ろしい。


 瀬戸はとにかく魅力的な女の子だ。でも俺は、瀬戸のことが苦手かもしれない。

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