第32話 覚悟しててね

「じゃあ俺、そろそろ行くからな」


 声をかけても、樹はうろんな目で俺を見つめるだけだ。仕方なく肩を揺さぶって、強引に意識を引き戻してやる。


「……はっ!」

「もうこれ、10回目だぞ」


 今朝、いきなり樹が家にやってきた。どうしても話を聞いてくれ、と懇願され、朝から近くのファミレスに居座っている。

 こんな状態の樹を放って行くのは気が引けるが、午後からは瀬戸との約束があるのだ。


「大体、加賀も元カレに未練がありそうだったわけじゃないんだろ?」


 朝から聞かされたのは、加賀とのデートの話だった。昨日のデート中、加賀の元カレに遭遇したらしい。

 その男があまりにも嫌な奴で、加賀も動揺していたという話だ。


「……ああ。でも、寝取られた気分だ」

「まだお前は加賀と付き合ってないし、そもそも、昔の話だろ」

「じゃあお前は、付き合う相手の過去の男が、一切気にならないのか?」


 樹の質問に、俺はすぐに答えることができなかった。過去は過去だろ、と言ってしまえれば格好いいのかもしれない。

 でもそんなの、恋愛経験のない俺には無理だ。どうしたって気にしてしまう。


「俺はギャル好きだ。そんなこと気にしないと自分でも思っていた」


 真剣な顔で言うと、樹は深い溜息を吐いた。


「実際、俺の推しは元カレがいるようなキャラばっかりだったしな」

「それはそうだな」

「でもやっぱり、二次元と三次元じゃ違うんだよ……!」


 いきなり立ち上がり、樹は頭を抱えて呻き出した。近くの席に座っていた人たちが、ぎょっとした顔で樹を見ている。


「落ち着け」

「落ち着けないから、お前に話をしにきたんだ。それなのにお前は瀬戸とデートで……」

「それは今関係ないだろ」


 はあ、と樹がまた溜息を吐く。考えてもどうにもならないことを長い間考えるなんて、樹らしくない。


「元カレがいるなんてこと、前から分かってただろ」

「分かってた。でも実際に会うと違う。加賀は一時でもあの男が好きで、あの男とデートとかして、キスとか、それ以上もしたのかと思うと、脳が破壊されそうだ」


 樹の目の下には濃いクマがある。きっと昨日は一睡もできなかったのだろう。

 そしてその理由に気づかないほど、樹は鈍くないはずだ。


 こいつ、本当に加賀のこと好きなんだな。


「とにかく、俺はもう行くから。お前も家に帰って、とりあえず寝ろ。……それとな、樹」


 俺には加賀のことはよく分からない。それでも、なんとなく想像することはできる。


「加賀は元カレとは系統の違うお前をデートに誘ってる。それに、たぶん無理してこの高校に入学してきた」

「……ああ。高校受験はかなりしんどかったらしい」

「それって加賀が変わろうとしてるってことだろ」


 過去じゃなくて、未来を見るべきだ。なんて、説教臭いことは言わない。それでもたぶん、樹には伝わった。


「……ありがとう、耀太。瀬戸とのデート、頑張ってこいよ」

「頑張るってなにをだよ」

「さあ? 俺にはモテる男のことは分からないな」


 冗談っぽく言って、樹は肩をすくめた。いつもと変わらない親友の姿に安心してから、俺は慌てて待ち合わせ場所へと向かったのだった。





「もう、御坂くん、遅いよ」


 待ち合わせ場所に行くと、頬を膨らませた瀬戸が立っていた。

 真っ白なオーバーサイズのニットワンピースはオフショルダーで、華奢な肩が露わになっている。

 しかも、腰には細いベルトを巻いてあって、胸の大きさが強調されている。


 小柄さもスタイルのよさも活用した、完璧なデートコーデだ。


「……瀬戸、制服でくるかと思った。午前中、部活だったんだろ?」

「さすがに着替えるよ。だって、せっかくのデートだもん」


 ね? と瀬戸がにっこりと笑う。甘い笑顔に見惚れそうになるけれど、なんだか気が抜けない。瀬戸からデートに誘われた理由が全く分からないのだから。


「今日の服、どうかな? 可愛い?」


 俺の前で、瀬戸がくるっと一回転した。ワンピースの下の細い足は黒タイツに包まれていて、なんだか色っぽい。

 今日の瀬戸を見て、可愛い、と思わない男はいないだろう。


「ああ」

「ああ、じゃなくて。可愛いか、可愛くないかで答えてよ」

「……可愛い」

「ありがとう、御坂くん。じゃあ。行こうか」

「どこに?」

「デート。今日のデートプラン、ちゃんと考えてきたんだよ?」


 上目遣いで瀬戸が見つめてくる。強烈で、真っ直ぐな可愛さの暴力だ。瀬戸からこんな風に見つめられたことはない。

 デートだからなのか? 瀬戸は、本当に何を企んでいるんだ?


 そもそも俺にとって瀬戸は、夏菜の友達、という認識が強い。たぶん、瀬戸にとってもそうだ。そんな俺たちが今日、二人きりでなにを話せばいいのだろう。


「手、繋ぐ?」


 瀬戸が手を差し出してくれた。小柄なわりに手は大きくて、指が長い。ギターを弾くからだろうか……なんて思っていると、瀬戸は手を引っ込めてしまった。


「遅いから駄目」


 からかうように言って、瀬戸が足早に歩き出す。慌てて俺も歩き出し、瀬戸の隣に並んだ。


「ねえ御坂くん。恋にはタイミングって、本当大事だよね」

「え? あ、ああ、そう……だな?」


 瀬戸の意図がいまいち掴めない。すぐに手を繋がなかったことを責められているのだろうか?


「御坂くん、私のことあんまり知らないでしょ」

「……えっと、そうかも」

「今日は私のいいとこ、いっぱい御坂くんに教えてあげる」


 いきなり立ち止まると、瀬戸は俺の目を真っ直ぐに見つめた。


「覚悟しててね、御坂くん?」

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