第31話(加賀視点)マジで

「行くぞ、希来里」


 アタシの腕を引っ張って、つっきーはそのまま立ち上がった。和真になんて、一瞬も視線を向けない。


「おい!」


 和真がつっきーの腕を強引に掴む。さすがにつっきーも立ち止まって、後ろを振り向いた。


「なにか用事でも?」


 背筋を真っ直ぐに伸ばし、つっきーは和真を睨みつけた。

 つっきーは背が高くて、少し眼つきが鋭い。なにより和真に比べて、圧倒的にちゃんとしている人の雰囲気がある。


「お前、本当に希来里と付き合ってんのか?」

「ああ」


 つっきーは頷いた。何の躊躇いもなく。

 きっと誰が聞いたって、嘘をついているようには聞こえない。

 和真は舌打ちをして去っていった。その背中が記憶の中にあるものよりもずっと小さく見える。


 アタシ、本当になんであんな奴と付き合ってたんだろう。


「加賀、大丈夫か?」


 和真の姿が見えなくなると、つっきーはしゃがんで私の顔を覗き込んだ。


「……つっきー」

「勝手に付き合っていることにしたのは悪かった。ただ、ああ言っておく方がいいと思ったんだ」

「……ありがとう」


 情けないけれど、震える声でそう言うだけで精一杯だった。

 希来里、と呼ぶ和真の声。下品な笑み。人を馬鹿にするような発言。

 どうしようもない奴だ。そしてどうしようもないあの男が、アタシの元カレ。


 つっきー、幻滅したかな。


「加賀、大丈夫か?」

「……心配してくれるの?」

「当たり前だろう」


 それってなんで? いつものアタシなら、からかうみたいに笑って、そんな風に聞けたかもしれない。でも今は上手く笑えない。

 自分が、すごく汚れているような気がする。


 つっきーは今までの人生で、あんな人と関わることはなかっただろう。きっと、和真みたいな奴と交わる人生を歩んでいない。

 でも私は違う。

 何人もの人と付き合って、全員がろくでもない奴で、初めて誰かと身体を重ねたのは、まだ小学生の時だった。


 馬鹿だ、私。

 つっきーが優しくしてくれて、ギャルが好きなんて言ってくれて、浮かれてた。アタシたちが正反対なのは、性格だけじゃないのに。

 今までの経験。家庭環境。価値観。そういうのがどれだけ大事かが分からないほど、もう子供じゃない。


「加賀? 大丈夫か?」


 つっきーがそっとアタシの頬に手を伸ばそうとしてやめた。気を遣うように、そっとアタシの肩に手を置く。


 じわ、と瞳が涙で滲む。気づくとアタシは泣いていた。

 なにか悲しいのかなんて、自分でも上手に説明できない。アタシはそんなに賢くない。賢かったらきっと、こんな恋はしてきてない。


「加賀? 怖かったよな。俺が家まで送るから」


 つっきーは、今まで好きになってきた人たちとは違う。

 真面目で、誠実そうで、しっかりしてて。

 こんな人を好きになれたら、アタシも幸せになれる気がした。今度こそ、ちゃんと愛してもらえるんじゃないかって、そんな風に思ってた。


 最初のきっかけはそういうちょっとの期待と、軽いノリだった。


「……まだ帰りたくない」


 そっと手を伸ばして、つっきーの手をぎゅっと握る。つっきーの目に映る私は、子供みたいな顔をしてた。


「加賀……あ、そうだ。あそこにでも行くか?」

「あそこって……えっ!?」


 つっきーが指差したのは、道路を挟んで向かい側にあるビルだった。大きな看板には猫の写真が貼ってあって、猫カフェ、と大きな字で記されている。


 この流れで猫カフェ?

 帰りたくないって言った女の子を誘うところが、猫カフェなの?


「ゆっくりできるだろう。それに、怖い奴もいなさそうじゃないか」


 言われてみればそうかもしれない。

 でも普通、この状況で誘う?


「……猫は嫌いだったか?」

「えっ、いや、そういうわけじゃなくて!」

「悪い。こういうことには疎くて……こんな時、どこに行けば加賀が笑ってくれるかが分からないんだ」


 困ったような顔で、つっきーが私の手を握り返してくれた。それだけで胸がいっぱいになって、また泣きそうになってしまう。


 どうしよう、どうしよう。

 心臓が馬鹿みたいにうるさい。つっきーの目が見たいのに見れない。


 アタシたぶん、つっきーのこと、めちゃくちゃ好きだ。





「どうしよう、希美ちゃん……」

『え!? 希来里ちゃん、もしかして泣いてる!? デート上手くいかなかった!? なにかあった!?』


 電話越しに声を聞いただけで、希美ちゃんが本気で私を心配してくれるのが分かった。

 その優しさに、よけいに泣けてしまう。


「違うの。楽しかったし、つっきーはずっと優しかったし、でも……」


 あの後つっきーはアタシを猫カフェに連れていってくれて、一緒にのんびりとした時間を過ごした。

 和真のことも、アタシの過去のこともなんにも聞かなかった。

 何度遠慮しても、危ないからと家まで送ってくれた。アタシとつっきーの家、正反対の方向にあるのに。


「……絶対、釣り合わないって分かってる。分かってるのに、アタシ……」


 知れば知るほど、つっきーのいいところがたくさん見えてきた。

 そしてそれに比べて、アタシがどれだけ汚れているかも。


 今までこんなこと、考えたこともなかったのに。


「つっきーのこと、マジで好きになっちゃったの……」

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