第26話 ミントの香り
「メイド喫茶……!?」
「樹、声でかいから。さすがに」
樹の背中を軽く叩く。すると、これが黙っていられるか……!? と強い眼差しを向けられてしまった。
いや、黙れとは言っていない。さすがに声がでかいって言ったんだ。
「はは、つっきーリアクション派手過ぎ!」
樹の反応を見て加賀がけらけらと笑う。それに対して樹も真剣な顔で応じ、また加賀が楽しそうに笑った。
俺が知らない間に二人の距離はさらに縮まったのだろう。
それにしても、メイド喫茶は意外だったな。
まさか、一年前の俺たちと同じ出し物をやるとは。
一年生の時、俺のクラスの出し物はメイド喫茶だった。メイドになった瀬戸が無双し、学校でも一番の売上を記録したのだ。
メイン商品はメイドとのチェキだった。
予想よりもかなり多くの外部客がきて楽しむどころではなくなってしまったのも、今となってはいい思い出だ。
「神楽坂もメイド、やるのか?」
「……はい。その、似合うと思いますか?」
「絶対似合うよ。俺も行きたいから、シフトが出たら教えてくれ」
「はい! 私、頑張ります!」
そんなに無理しなくていい……という言葉を必死に飲み込んだ。せっかくやる気になっている神楽坂にかける言葉ではないだろうから。
かなり心配だな。神楽坂、変な客を上手くさばける気がしないし。
でもたぶん、神楽坂は可愛いメイド服を着ることを楽しみにしているんだろう。
「御坂先輩のクラスは出し物、何になったんですか?」
「チュロス屋」
「チュロスですか?」
「そう。まあなんでもよかったんだけど、よさそうなのが売ってたから話し合いでチュロスに決まった」
凝った店にしてしまうと、準備がかなり面倒になる。全員が去年の経験でそれを知っているから、なるべく楽な店にしよう……というのがうちのクラスの総意だった。
文化部は部活動で忙しい上に、うちのクラスメートは勉強が忙しい奴も多い。もちろん運動部だって、文化祭にばかり時間をかけられない。
そういう経緯で、手頃な値段でまとめ買いが可能なチュロスを売ることになったのだ。
「そうなんですね。私、御坂先輩からチュロス買いたいので、シフト決まったら教えてください」
「普通に制服で売るだけだぞ?」
「それでもです」
約束ですよ、と神楽坂が強めの口調で言った。ああ、と頷くと神楽坂が満足げに微笑む。
やっぱり可愛いよな、神楽坂って。
見た目だけの話じゃない。ちょっとした動作や表情がこう、守って上げたくなるというか、妹感が半端ない。
「それで、先輩は当日って……」
神楽坂がなにかを言いかけた瞬間、空き教室の扉が開いた。
「あ、ここにいたんだ。探したよ」
「……瀬戸?」
微笑みながら入ってきたのは瀬戸だ。1年の教室がある階にやってくるなんて、なにか用事でもあったのだろうか。
っていうか今、探したって言ったよな? 探したって……俺を?
瀬戸が真っ直ぐに俺を見てくるから、そうとしか思えない。
「ごめんね、食事中に。ちょっと御坂くんに話があって」
神楽坂や樹たちに頭を下げつつ、瀬戸は俺の正面にしゃがみこんだ。メイド喫茶の話をしていたからか、つい去年の瀬戸を思い出してしまう。
「御坂くん?」
「あ、悪い。ちょっとぼーっとして。俺に話ってなんだ?」
立ち上がりかけると、瀬戸に軽く肩を押された。ここでいいよ、と瀬戸がにっこりと笑う。
神楽坂が睨むような眼差しを向けているにも関わらず、瀬戸は笑顔のままだ。
「忙しいだろうから、端的に言うんだけど……」
瀬戸はいきなり俺の手をぎゅっと握り、顔を覗き込んできた。
大きくて丸い瞳には、みっともなく戸惑った俺の顔が映っている。
「私とデートしてよ、御坂くん」
「はあ?」
予想もしていなかった言葉に、とびきり間抜けな声が出てしまった。そんな俺を見て、瀬戸がくすくすと笑う。
「デート。後で連絡するから、日程調整しようね」
俺はまだ行くとも行かないとも言っていない。それなのに瀬戸は楽しそうに笑って、スマホを顔の横に持ってきた。
……顔小さいな、瀬戸って。
「もしかして御坂くん、私とデートするのは嫌?」
瀬戸がわずかに首を傾ける。ツヤのある黒髪が揺れた。
「え? あ、いや……」
「よかった。私、男の子をデートに誘うの初めてだから緊張してたんだよね」
じゃ後でね、と手を振って瀬戸が去っていた。残されたのは爽やかなミントの香りだ。あの甘ったるいバニラの匂いじゃない。
「……御坂、先輩」
地を這うような声で名前を呼ばれ、おそるおそる振り返る。
そこには、般若のような顔をした神楽坂がいた。
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