第24話 あまりにも
「じゃあ、私も部活戻るね」
剣道場を出ると、瀬戸もすぐにそう言った。
「ああ。瀬戸も部活、頑張れよ。文化祭で発表するんだよな?」
「そう。今年は1曲だけだけどオリジナル曲もやるから、かなり気合入ってるの。よかったら二人とも見にきてね」
手を振って、駆け足で瀬戸が去っていく。たぶん無理をして時間を作ったのだろう。軽音部の練習が大変だ、という話はよく耳にするから。
瀬戸が軽音部に入ったと知った時は驚いたが、昔からギターは習っていたらしい。中学の頃帰宅部だったのは、軽音部がなかったからだと言っていた。
「瀬戸先輩も、水野先輩もすごいですね」
遠ざかっていく瀬戸の背中を見ながら神楽坂が言った。
「一生懸命頑張れるものがあって……それにきっと、好きなことでもあるんでしょうね」
ねえ、と笑う神楽坂が妙に寂しそうに見えた。
神楽坂も、俺と同じようなことを考えていたのだろうか。
「私は、特に頑張っていることってないんです。帰宅部ですし、なんとなく塾には行っていますけど、将来の夢があるわけでもないですしね」
「俺もだよ」
好きだと情熱を持って言えるようなことは特にないし、勉強だってなんとなくやっているだけだ。
「というか、そういう奴の方が多いだろ」
「……そうかもしれませんね」
もっと気の利いた言葉を口にできたらよかったのに、俺が言えたのはそんなつまらないことだけだった。
でも仕方ないだろう。俺だって、神楽坂と同じように考えているのだから。
「でも先輩、私、たまに考えちゃうんです」
風が吹いて、神楽坂のポニーテールを揺らした。シャボン玉のような爽やかな匂いがする。
「私が周りの目を気にして好きなものを好きって言えなかったり、やりたいことをできずにいる間に、素直な子は何倍も前に進んでいるんじゃないかって」
「神楽坂……」
「今だってどんどん、差ができているんじゃないかって」
ゆっくりと神楽坂が息を吐く。なにを言えばいいか分からなくなって、とっさに神楽坂の手をぎゅっと握った。
「焦らなくてもいいんじゃないか?」
「え?」
「人には人のペースがあるだろ。神楽坂だって、ゆっくりだけど変わっていってるんじゃないか?」
相変わらず無関係な相手にはクールで冷たい態度をとってしまっているようだが、俺だけじゃなく、樹とも普通にコミュニケーションをとっている。
瀬戸や夏菜とだって自然に話せていたし、一緒に出かけた時はピンク色のリップを買えるようになったと言っていた。
「……先輩って、優しいですね」
「いや、本当のことを言っただけだから」
「そういうところが優しいんですよ」
ぎゅ、と神楽坂は俺の手を握り返してきた。
「前に行った、星空ワークスってお店覚えてますか?」
「ああ。あの、可愛い服の店だよな?」
「はい。私、ああいう可愛い服も好きで、コスメとかも大好きだし、ネイルとかも興味があって」
らしくないかもしれないけど、と慌てて神楽坂が付け足す。
俺からすれば全然、らしくなくなんかない。
「それで……誰かが可愛くなる手伝いができたらいいなって、そういう仕事につけたらいいなって、思ってるんです。漠然としてますよね」
その言葉を聞いて、ふと文理選択のことを思い出した。
そういえばこの時期、1年生は文理選択を決め始める時期だったはずだ。確か年内には最終的な希望を紙に書いて提出した気がする。
「……いい目標だと思うぞ。具体的なことなんて、これからゆっくり決めていけばいいんだから」
俺が理系を選んだのは、別にやりたいことがあったわけじゃない。なんとなく就職に有利そうで、無難な選択だと思ったからだ。
そんな俺が、神楽坂に偉そうになにかを語ることはできない。
「やっぱり、先輩は優しいです」
優しい、という言葉がこんなに耳に痛いのは初めてだ。
神楽坂は、俺の薄っぺらさに気づいていないのだろうか。
「やりたいことがちゃんと決まったら、私、先輩に一番に報告しますね!」
「ああ。楽しみにしてる」
その時俺はちゃんと、心の底からおめでとうと言ってあげられるんだろうか。夢を見つけて、真っ直ぐに走り出した神楽坂の隣に立てるような人間になれているのだろうか。
ゆっくりと息を吐いて頭を軽く振る。今日の俺は、やけにセンチメンタルになってしまっているらしい。
たぶん、夏菜があまりにも眩しかったからだ。
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