第23話 羨ましい

「御坂くん、遅いよ」


 俺が剣道場の前に到着すると、既に瀬戸がきていた。いつもの制服姿だが、その上に黒色のだぼっとしたパーカーを羽織っている。

 背中のロゴから察するに、おそらく軽音部のパーカーだろう。


「あ、ごめん。待った?」

「ちょっとね。まあ別に、試合には間に合うからいいんだけど」


 瀬戸が剣道場を指差す。ドアが開いていて、練習している剣道部の姿が見えた。その中にはもちろん夏菜もいて、いつもとは違う剣道着姿だ。


 夏菜って……剣道着、似合うよな。


 見慣れ過ぎて今さら夏菜の容姿について考えることは滅多にないのだが、こうしていつもと違う服装を見ると、改めて夏菜の整った容姿を意識させられる。

 後輩女子に騒がれるのも納得の格好良さだ。


「試合は中に入って見学できるから、一緒に夏菜を応援しようね」

「ああ。……瀬戸はよく夏菜の試合、見にくるのか?」

「練習試合は予定が合えばって感じだけど、公式試合はほぼ毎回応援に行ってるよ」

「本当仲いいよな、二人って」


 幼馴染だったとしても、成長すれば疎遠になるのは珍しい話じゃない。にも関わらず、二人はずっと仲がいいままだ。


「うん。私、夏菜のこと大好きだからね」


 恥ずかしくなるような台詞をさらりと言って、瀬戸は俺の後ろへ視線を向けた。

 神楽坂ちゃん、という瀬戸の声に反応して後ろを向く。

 そこには、長い髪をポニーテールにした神楽坂がいた。ポニーテール姿の神楽坂を見るのは体操服を貸した時以来だ。


「神楽坂ちゃん、ポニーテールも似合うね」


 自然に神楽坂を褒めると、瀬戸は俺たちを手招きした。試合に備え、さっさと剣道場の中へ入りたいらしい。





 夏菜の出番はまだのようで、面はまだかぶっていない。俺たちの姿を見つけると、夏菜は少し緊張した顔で手を振ってくれた。

 だが、それも一瞬のことだ。キャプテンである夏菜はいろいろとやることがあるようで、剣道場内を忙しなく動きまわったり、他の部員の試合をじっと見ている。


 30分くらいして、とうとう夏菜の試合が始まった。

 面をかぶると夏菜の顔は見えなくなってしまうが、凛とした立ち姿はいつもと変わらない。

 竹刀を持って構える姿は、顔なんて見えなくても格好良かった。


 バシッ、バシッ! と竹刀同士がぶつかり合う音が場内に響く。思っていたよりもずっと勢いのいい音に、たびたび身体が震えてしまう。


「ヤー!」


 かけ声と共に、夏菜が一歩相手の方へ踏み込む。竹刀を勢いよく振り下ろすが、もちろん相手も黙ってやられるわけじゃない。

 俊敏で力強い動きも、いつもより数段低いかけ声も、試合を見にこなければ知ることができなかったものだ。


 相手の突きが夏菜の面に入りそうになったが、なんとか夏菜は防いだ。つい、頑張れ……! と小さく声が漏れてしまう。

 相手が踏み込んできて、夏菜が一瞬だけバランスを崩す。そこで相手がさらに踏み込んできたのを、夏菜は上手くかわした。

 その勢いのまま今度は夏菜が一歩踏み込んで、目にもとまらぬ速さで相手の胴を一突きする。


「決まった……!」


 いつの間にか、硬く握った拳の内側は汗でびっしょりと湿っていた。





「水野先輩、凄かったですね……!」


 試合が終わるなり、感嘆の声をもらしたのは神楽坂だ。夏菜を見つめる瞳は眩しいくらいに輝いていて、その言葉がお世辞じゃないことが簡単に分かる。


「そうでしょ?」


 得意げな顔で瀬戸が胸を張った。


「ああ。見にきてよかった」


 夏菜が剣道を頑張っていることは知っていた。でも実際に試合を見たことで、夏菜の努力をより想像できるようになった気がする。

 もちろん気がするだけで、夏菜は俺が思う以上にたくさんの努力を重ねているんだろうけれど。


「夏菜って、いつから剣道やってるんだっけ」

「小学1年生の時からだよ」


 瀬戸の返答に一瞬、俺は固まってしまった。夏菜が頑張ってきた年月を想像して気が遠くなってしまったのだ。

 夏菜は剣道を始めてもう11年目だ。俺にはそれほど長い間継続して頑張っていることなんてない。


 朱莉のお迎えがあった……なんていうのはたぶん、言い訳なんだろうな。


 母親から部活や習い事を禁じられていたわけじゃない。やりたいことがあれば、遠慮なく言うように伝えられている。

 それでも、中学でも高校でも帰宅部を選んだのは俺だ。


 感心すると同時に、自分と比べてなんだか切なくなってしまう。


「応援にきてくれてありがとう」


 夏菜の声で、俺の思考は現実に引き戻された。かなり汗をかいて髪の毛もびしょびしょになっているが、今の夏菜はいつも以上に輝いて見える。


「どうだった?」

「格好良かったよ、すごく」

「よかった。せっかく見にきてくれたから、絶対負けられないと思って気合入ったんだよね」

「別に負けても格好よかったと思うぞ」


 俺の言葉に一瞬だけ目を丸くした後、すぐに夏菜は首を横に振った。


「負けてもいい、なんて思いながら戦う人、ダサいでしょ」


 あっさりと言うと、夏菜は部員たちのところへ戻っていった。部員たちに囲まれて、夏菜は楽しそうに笑っている。

 夏菜の笑顔が煌めいて見えるのはきっと、夏菜が心から笑えているからだ。そしてそれは、夏菜が真剣に戦ったからなんだろう。


 真剣になれるものがあるのって、なんか、羨ましいな。

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