第21話 先輩みたいな
自分の家なのに、玄関の扉を開けるだけで少し緊張した。俺の背中越しに神楽坂が室内を観察しているのが分かる。
「おじゃまします」
神楽坂は靴を脱いできっちりとそろえた。もちろん、いらっしゃい、なんて出迎えてくれる声はない。
本当に今、この家には俺と神楽坂しかいないんだ。
頭を振って、余計な考えを頭から追い出す。神楽坂は朱莉に会うためにたまたま俺の家にきただけで、二人きりになるためにきたわけじゃない。
「冷めないうちにピザ、食べるか」
「はい!」
現在の時刻は午後1時。朱莉が帰ってくるまでは、あと3時間くらいだ。
◆
「先輩先輩、乾杯しましょう」
笑いながら神楽坂はコーラのペットボトルを手に持った。ペットボトルで乾杯なんて……と思うけれど、はしゃいだ笑顔で誘われれば断れない。
「乾杯」
ペットボトル同士だから、もちろん綺麗な音は鳴らない。それでも、乾杯、と同じ言葉を口にするだけでわくわくした。
ピザはハーフアンドハーフで、お互いに好きな味を一種類ずつ選んだ。神楽坂がシーフード系で、俺がビーフ系。
「美味しいですね」
「ああ」
「……先輩ってよく、家にお友達を呼んだりするんですか?」
「いや? 朱莉がいるし、あんまり人は呼ばないな」
家に友達を呼ぶな、と言われているわけじゃない。でも朱莉も、知らない人が家にいたらリラックスできないだろう。
「だから家に呼ぶのは朱莉も仲いい奴だけで……神楽坂が知ってる相手だと、樹とか、夏菜とか」
「えっ!?」
神楽坂は大声を出し、立ち上がって俺をじっと見つめた。
先程までにこにこと笑っていた神楽坂の顔からは完全に表情が消えている。
「水野先輩、家にきたことあるんですか?」
「あ、ああ。まあ、何回か……。中学からの知り合いで、朱莉ともわりと仲いいんだよ」
悪いことは言っていないはずなのに、なぜか気まずい。へえ、と冷めた声で呟くと、神楽坂は足を組んでソファーに座った。
「先輩、水野先輩とかなり仲がいいみたいですね」
なんだろう、この反応は。
もしかして神楽坂……拗ねてるのか?
「水野先輩とも、一緒にピザ食べたことあるんですか?」
「いや、ないよ。家にきたことがあるって言っても、朱莉を一緒に迎えに行って、その帰りに寄ったことがあるだけだし」
「……じゃあ、家で二人きりになったことは?」
「ないよ」
「……そうですか。じゃあ、今まで他の女の子と家で二人きりになったことは?」
いきなり神楽坂が俺の顔を覗き込んできた。長い睫毛に縁どられた瞳があまりにも真剣そうで、思わず唾を飲み込む。
「ていうか御坂先輩って、彼女いたことありますか?」
いない。俺は今まで一度も誰かと付き合ったことはないし、告白されたことだってない。
でもそれを神楽坂に言うのは恥ずかしい。別に、それほどコンプレックスに感じているわけでもないのに。
「ええっと……」
「教えてください。事実を言うだけですから、悩む必要なんてないですよね?」
氷のような声は、まるで神楽坂じゃないみたいだ。
いや、きっと、多くの人がイメージする神楽坂の声はこの声なんだろう。でもこれは、俺にとっての神楽坂じゃない。
「いないよ」
そう言った瞬間、神楽坂の表情が緩んだ。そうですか、と言う彼女があまりにも満足そうでどきっとする。
いたと答えたら、神楽坂はどんな顔をしていたんだろう。
「よかったです」
◆
「ただいまー! って、お姉ちゃん!?」
リビングに座る神楽坂を見て、朱莉は飛び跳ねて驚いた。ランドセルを床に放り投げ、急いで神楽坂に駆け寄る。
「お姉ちゃん、きてくれたの!? なんで!? っていうか、言ってくれたらよかったのに! お兄ちゃんも!」
学校から帰ってきたばかりだというのに、朱莉は元気いっぱいだ。その姿に安心しつつ、朱莉が投げ捨てたランドセルを回収する。
「急に決まったんだよ。朱莉と遊ぶって話をしたら、家にきたいって言うから」
「え、じゃあ私と一緒に遊んでくれるの!?」
朱莉が神楽坂の手をぎゅっと握る。そうだよ、と神楽坂が優しい顔で頷いた。
「わーい! ゲーム一緒にしようね! あ、でも前話してたみたいにみらちぇんも見たいし、あとそれから……」
「朱莉。それよりまずは手洗ってこい」
俺が指摘すると、朱莉は慌てて神楽坂の手を離した。
ごめんなさい、とすぐに謝って、急いで洗面所へ向かう。
「朱莉ちゃん、相変わらず元気ですね」
「神楽坂のおかげだよ。いつもよりさらに元気だ」
「御坂先輩って、本当にいいお兄さんですよね」
ありがたいことに、そんな風に言ってもらえることは多い。
でも、神楽坂に言われるのはなんだか不思議な気持ちだ。
「私も、先輩みたいなお兄ちゃんがいたらな」
呟いて、神楽坂は俺の手を軽く引いた。
「……耀太お兄ちゃん。……なーんて……」
ふざけただけなのだろうが、神楽坂の顔は真っ赤だ。耳まで赤い。
そして神楽坂の瞳に映る俺は、とんでもなく情けない顔をしていた。
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