第17話 嫌いな匂い
「じゃ、そろそろ帰ろっか」
荷物をまとめ、夏菜が立ち上がる。さすがの集中力と言うべきか、あれから夏菜はかなり真剣に勉強していた。
この調子で勉強を続ければ赤点は回避できるだろう。
「ああ」
伝票を持ってレジへ向かう。夕飯は食べていないが、ポテトやデザートはそれなりに食べた。
合計金額は2200円。ドリンクバーもつけて居座ったことを考えれば、ありがたい金額だ。
「はい」
俺がなにかを言うよりも先に、夏菜が半分の1100円を渡してくれた。
◆
「今日はありがと! 勉強教えてもらったお礼に私が奢るべきだったのかもだけど、ちょっと金欠で」
「いや、いいって」
「そう?」
「うん。気遣うし」
そっか、と夏菜はあっさり頷いた。なんとなく元気がないような気がして、心がざわつく。
なにかあったのだろうか。あったとして、俺が踏み込んでいいものだろうか。
そんなことを考えているうちに、かなりの距離を歩いてしまった。次の交差点で俺と夏菜は別の道に進む。
話すなら今しかないのに、適切な言葉が見つからない。
「ねえ」
結局口を開いたのは夏菜だった。
「テスト、お互い頑張ろうね」
そう言って夏菜が手を振る。彼女が俺に背を向けた瞬間、夏菜! と呼び止めてしまった。
「なに?」
「え、えーっと……」
夏菜が俺をじっと見つめる。寂しそうな瞳で。
「コンビニ寄らない? アイスくらいなら奢るからさ」
「……寄る!」
夏菜が勢いよく頷く。その顔を見ただけで、間違っていなかったんだと分かった。
◆
夏菜が選んだのは、ソーダ味のアイスキャンディーだった。そういうつもりはないのかもしれないけれど、きっと俺のために安い物にしてくれたんだろう。
「美味しいけど、ちょっと寒いかも」
アイスを食べながら夏菜が笑う。日中はかなり暑かったが、今はそれなりに涼しい。確かに、そろそろ外でアイスを食べる季節ではなくなりそうだ。
「朱莉ちゃん、元気?」
「ああ。元気にやってる。最近は友達もかなりいるみたいだし」
「よかった。もうちょっとしたら、お兄ちゃんとは遊ばない! なんて言われちゃうかもね」
からかうように言うと、夏菜は残っていたアイスを全て食べてしまった。
爽やかなアイスブルーも、しゃりしゃりという咀嚼音もよく似合っていたのに。
「中一の時のこと覚えてる?」
「覚えてるよ。今でも夏菜には感謝してる」
「別に、感謝されたくてやったわけじゃないんだけど」
「知ってる。だから余計に感謝してるんだ」
「なにそれ」
声を上げて笑うと、夏菜はアイスの棒をゴミ箱へ放り投げた。
それなりに距離があったのに、棒はちゃんとゴミ箱に入った。
中学一年生の時、シスコンだと馬鹿にされていた俺を夏菜は救ってくれた。なにもしてない、と夏菜は言うけれど、俺はそうは思わない。
多くのクラスメートが俺をからかう中で、夏菜は真っ直ぐに俺を褒めてくれた。
『面倒見いいし、妹にそれだけ懐かれるなんて、御坂って絶対いい奴だよね』
笑いながらそう言ってくれた。
当時から夏菜はクラスの中心人物だったから、夏菜の影響力はかなり大きかったのだ。しかもそれから夏菜は俺のことを気にかけ、朱莉とも遊んでくれたりした。
弟が二人もいるし、夏菜も面倒見がいいんだよな。
「久しぶりに、朱莉ちゃんにも会いたいな」
「朱莉も喜ぶと思うぞ」
「今度、家行ってもいい?」
「ああ。いつでも」
「ありがとう」
ぴこっ、と俺のスマホが鳴った。
朱莉からのメッセージだ。
「悪い。そろそろ帰らないと、朱莉が寂しがってるから」
「それは大変」
帰ろっか、と夏菜は明るく笑った。隣に立つとやっぱり慣れないバニラの匂いがする。
「……夏菜って、甘い匂い好きだったっけ?」
つい気になって口にしてしまった。夏菜は立ち止まり、じっと俺を見つめる。
「似合わない?」
「いや、そういうわけじゃないけど。それに、好きな匂いを選ぶのが一番いいと思うし」
「……だよね」
そう言うと、夏菜は溜息を吐いて歩き始めた。
「本当はこの匂い、超嫌い。甘ったるくて。柑橘系の香りの方が好きなんだよね」
「だったら、なんで今日はこの匂いなんだ?」
「……沙友里にすすめられたの。お気に入りだからつけてみてって言われたら、断れなくてさ」
「あー、なるほどなぁ」
瀬戸の好みの匂いなんて全く分からないが、こういう甘ったるい匂いはきっと似合うだろう。
「嫌いな匂いだからって、すすめられたら断れないよな」
「うん。それに、沙友里が好きな匂いには興味あるしね」
夏菜と瀬戸は中学に入学した時から仲が良かった。家が近所で、幼稚園からの幼馴染らしい。
何気ない話をしているうちに、解散地点まで到着した。
「じゃあ、また明日!」
手を振った後、振り返らずに夏菜が走っていく。あっという間に夏菜の背中は見えなくなった。
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