第17話 嫌いな匂い

「じゃ、そろそろ帰ろっか」


 荷物をまとめ、夏菜が立ち上がる。さすがの集中力と言うべきか、あれから夏菜はかなり真剣に勉強していた。

 この調子で勉強を続ければ赤点は回避できるだろう。


「ああ」


 伝票を持ってレジへ向かう。夕飯は食べていないが、ポテトやデザートはそれなりに食べた。

 合計金額は2200円。ドリンクバーもつけて居座ったことを考えれば、ありがたい金額だ。


「はい」


 俺がなにかを言うよりも先に、夏菜が半分の1100円を渡してくれた。





「今日はありがと! 勉強教えてもらったお礼に私が奢るべきだったのかもだけど、ちょっと金欠で」

「いや、いいって」

「そう?」

「うん。気遣うし」


 そっか、と夏菜はあっさり頷いた。なんとなく元気がないような気がして、心がざわつく。

 なにかあったのだろうか。あったとして、俺が踏み込んでいいものだろうか。


 そんなことを考えているうちに、かなりの距離を歩いてしまった。次の交差点で俺と夏菜は別の道に進む。

 話すなら今しかないのに、適切な言葉が見つからない。


「ねえ」


 結局口を開いたのは夏菜だった。


「テスト、お互い頑張ろうね」


 そう言って夏菜が手を振る。彼女が俺に背を向けた瞬間、夏菜! と呼び止めてしまった。


「なに?」

「え、えーっと……」


 夏菜が俺をじっと見つめる。寂しそうな瞳で。


「コンビニ寄らない? アイスくらいなら奢るからさ」

「……寄る!」


 夏菜が勢いよく頷く。その顔を見ただけで、間違っていなかったんだと分かった。





 夏菜が選んだのは、ソーダ味のアイスキャンディーだった。そういうつもりはないのかもしれないけれど、きっと俺のために安い物にしてくれたんだろう。


「美味しいけど、ちょっと寒いかも」


 アイスを食べながら夏菜が笑う。日中はかなり暑かったが、今はそれなりに涼しい。確かに、そろそろ外でアイスを食べる季節ではなくなりそうだ。


「朱莉ちゃん、元気?」

「ああ。元気にやってる。最近は友達もかなりいるみたいだし」

「よかった。もうちょっとしたら、お兄ちゃんとは遊ばない! なんて言われちゃうかもね」


 からかうように言うと、夏菜は残っていたアイスを全て食べてしまった。

 爽やかなアイスブルーも、しゃりしゃりという咀嚼音もよく似合っていたのに。


「中一の時のこと覚えてる?」

「覚えてるよ。今でも夏菜には感謝してる」

「別に、感謝されたくてやったわけじゃないんだけど」

「知ってる。だから余計に感謝してるんだ」

「なにそれ」


 声を上げて笑うと、夏菜はアイスの棒をゴミ箱へ放り投げた。

 それなりに距離があったのに、棒はちゃんとゴミ箱に入った。


 中学一年生の時、シスコンだと馬鹿にされていた俺を夏菜は救ってくれた。なにもしてない、と夏菜は言うけれど、俺はそうは思わない。

 多くのクラスメートが俺をからかう中で、夏菜は真っ直ぐに俺を褒めてくれた。


『面倒見いいし、妹にそれだけ懐かれるなんて、御坂って絶対いい奴だよね』


 笑いながらそう言ってくれた。

 当時から夏菜はクラスの中心人物だったから、夏菜の影響力はかなり大きかったのだ。しかもそれから夏菜は俺のことを気にかけ、朱莉とも遊んでくれたりした。


 弟が二人もいるし、夏菜も面倒見がいいんだよな。


「久しぶりに、朱莉ちゃんにも会いたいな」

「朱莉も喜ぶと思うぞ」

「今度、家行ってもいい?」

「ああ。いつでも」

「ありがとう」


 ぴこっ、と俺のスマホが鳴った。

 朱莉からのメッセージだ。


「悪い。そろそろ帰らないと、朱莉が寂しがってるから」

「それは大変」


 帰ろっか、と夏菜は明るく笑った。隣に立つとやっぱり慣れないバニラの匂いがする。


「……夏菜って、甘い匂い好きだったっけ?」


 つい気になって口にしてしまった。夏菜は立ち止まり、じっと俺を見つめる。


「似合わない?」

「いや、そういうわけじゃないけど。それに、好きな匂いを選ぶのが一番いいと思うし」

「……だよね」


 そう言うと、夏菜は溜息を吐いて歩き始めた。


「本当はこの匂い、超嫌い。甘ったるくて。柑橘系の香りの方が好きなんだよね」

「だったら、なんで今日はこの匂いなんだ?」

「……沙友里にすすめられたの。お気に入りだからつけてみてって言われたら、断れなくてさ」

「あー、なるほどなぁ」


 瀬戸の好みの匂いなんて全く分からないが、こういう甘ったるい匂いはきっと似合うだろう。


「嫌いな匂いだからって、すすめられたら断れないよな」

「うん。それに、沙友里が好きな匂いには興味あるしね」


 夏菜と瀬戸は中学に入学した時から仲が良かった。家が近所で、幼稚園からの幼馴染らしい。


 何気ない話をしているうちに、解散地点まで到着した。


「じゃあ、また明日!」


 手を振った後、振り返らずに夏菜が走っていく。あっという間に夏菜の背中は見えなくなった。

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