第8話 先輩のそういうところ、好きです

「体操服、大きかったよな。動きにくくなかったか?」


 いつもの空き教室に移動し、二人並んで弁当を開ける。体操服姿の神楽坂も少しだけ見慣れてきたけれど、やっぱりまだ落ち着かない。


「大丈夫ですよ。いい匂いがして癒されましたし」

「柔軟剤の香りか?」

「はい。なので、普段の先輩の香りでもありますよね?」


 確かにそうだ。制服と体操服で別の柔軟剤を使ったりしていないのだから。


「……まあ、臭くないならよかった」

「だからいい匂いですって。あ、そういえばこれ」


 神楽坂はなにかを思い出したように、弁当箱の入っていた巾着から一枚のカードを取り出した。

 汚れないようにきちんと硬質ケースに入れられている。


「朱莉ちゃんに渡してください。だぶったからあげるって約束してたカードです」

「ありがとな。朱莉のやつ、めちゃくちゃ喜ぶと思う」

「いえいえ。この前は私がもらっちゃいましたし」


 残念なことに、あれからまだ朱莉と神楽坂は会えていない。それでもほぼ毎日SNSでメッセージのやりとりをし、俺を介してカードを交換したりしている。


「……なんか、朱莉ちゃんがちょっと羨ましいです」

「朱莉が?」

「こんなにいいお兄ちゃんがいて」


 神楽坂の口からお兄ちゃん、という言葉が出ると少しどきっとする。別に、俺をそう呼んだわけじゃないのに。


「神楽坂は兄弟いないのか?」

「はい。一人っ子です。今はもう諦めましたけど、小さい時はお姉ちゃんかお兄ちゃんがほしいって、両親によく我儘を言ってました」


 幼い神楽坂を想像してみる。きっと今と同じように綺麗で、でも、今よりずっと感情を表に出していたんじゃないだろうか。


「なあ、神楽坂」

「はい?」

「その、みらちぇん好きを周りに隠してるのは知ってるけど……普段クールに振る舞ってるのって、やっぱりその影響なのか?」


 好きなものを好きだと言えず、本音を隠しているから。

 以前神楽坂と電話で話した時、それがクールで無表情と評される原因だと思った。それが間違っていたとは思わない。

 でも今は、それだけじゃない気もしている。


「嫌だったら全然、無理に言わなくていいんだけど」


 神楽坂のことは気になる。でもだからって、それを免罪符に踏み込んでいいわけじゃない。


「……いえ。先輩に言うのは嫌じゃないです」


 すう、と神楽坂は大きく息を吐いた。そのまま何度か深呼吸を繰り返し、俺の目を真っ直ぐに見つめる。


「昔から私、人見知りで緊張しやすくて、人前で感情を出すのがあんまり得意じゃなかったんです」

「ああ」

「でも今みたいに周りに冷たくしちゃうとか、そういうのはなくて。……でも、だんだん年を重ねていって、周りの目を意識するようになって」


 淡々と、なるべく感情を込めないように話をしてくれているのが分かる。

 どんな顔をして聞くのが正解か分からなくて、ただただ神楽坂を見つめ返した。


「私、ちょっと目つきが悪いじゃないですか?」

「そうか?」


 切れ長で綺麗な目だ。涼しげでクールな印象を受けるが、目つきが悪いとは思わない。しかし神楽坂は、そうなんです、と断言した。


「だからいつからか、クールな子とか、冷静な子とか、そういう風に思われるようになっちゃったんです」

「……なるほど」

「でも私は全然、そんな子じゃなくて。中学一年生の時、みんなの前で泣いちゃったことがあるんです。原因はもう忘れちゃったんですけど」


 神楽坂の手が小刻みに震え出した。思わずその手を握ってしまうと、ありがとうございます、と神楽坂が泣きそうな顔で微笑む。


「その時、言われたんです。イメージと違ってがっかりだ、って。それから私、みんながイメージする通りに振る舞わなきゃって思っちゃって、そうしたらますます、素の自分なんて出せなくなっちゃって……」

「……ごめん。嫌なこと思い出させて」

「気にしないでください! 話すって決めたのは私ですから」


 ね? と神楽坂が俺の手を握り返した。俺の手とは全く違う、柔らかくて小さな手だ。


「御坂先輩は、私がクールな子じゃなくても驚きませんでしたよね」


 初対面の時を思い出す。まさかゲーセンで神楽坂と会うとは思っていなかったから、そういう意味では俺だって驚いた。

 みらちぇん好きだという事実を意外だとも思った。でも、それだけだ。


「だって驚くほど、俺は神楽坂のことを知らなかったからな」


 同じ学校に通う美少女。

 神楽坂について知っていたのはそれくらいだ。だから驚きようがない。別に見た目で趣味趣向が決まるわけじゃないんだから、当然だろう。


「……先輩のそういうところ、私好きです」

「別に普通のことだと思うぞ?」

「少なくとも私にとっては、十分特別ですよ」


 神楽坂はそっと俺の肩に頭を預けた。そしてそのまま、俺の腕をぎゅっと抱き締める。


「先輩。ちょっとだけ甘えてもいいですか?」


 角度的に神楽坂の顔は見えない。それでも神楽坂が勇気を振り絞ってこの一言を口にしたんだろうということは分かる。


「ああ。俺は昔から、甘えられるのには慣れてるから」

「……じゃあ、頭撫でてください」

「いいのか? 髪、ぐちゃぐちゃになっちゃいそうだけど」

「いいんです」


 髪の毛が乱れないように、そっと神楽坂の頭を撫でた。

 ふふ、と神楽坂が幸せそうな声をもらす。


「先輩の手、気持ちいいです」

「そりゃあよかった」

「もっと撫でてください」


 ああ、と頷いた瞬間、俺の腹が盛大に鳴った。そういえば今は昼休みで、俺たちはまだ弁当に一口も手をつけていない。

 そのことを今思い出した。


 でもまあ、どうでもいいよな。


 空腹に気づかないふりをして、俺はそのまま神楽坂の頭を撫で続けた。

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