第7話 悪いこと?

 窓の外からグラウンドを眺める。3階からじゃグラウンドにいる人の顔なんてはっきりとは見えないけれど、あの中に神楽坂がいるんだろう。


 髪が長いから分かるかと思ったけど、さすがに分かんないな。

 見た感じ、孤立していそうな子はいない。

元々一緒に昼ご飯を食べていたという友達がいるからだろう。


 昼休みは一緒にいてやれるけど、学年が違う俺じゃ授業中は無理だ。

 だから今、神楽坂が一人ぼっちじゃなくて本当によかった。


 そういえば神楽坂って、体育とか苦手なのか?

 なんでもそつなくこなしそうではあるけど、そんなに運動が得意そうにも見えないよな。


 考えてみれば、俺は神楽坂のことをほとんど知らない。昼食を一緒に食べるようになったとはいえ、基本的には他愛ない話をするばかりなのだ。


 ……今頃神楽坂は、俺の体操服を着て体育をしてるわけか。


 想像すると妙な気分になる。女子に服を貸すのなんて初めてだ。洗っているから臭いなんてことはないだろうが、なにかあったらと思うとそわそわする。


「御坂さん! 聞いていますか?」


 いきなり先生に大声で名前を呼ばれ、俺は慌てて立ち上がった。


「そんなに外に気になるものでもあるんですかね?」


 頭髪を半分失った40代半ばの先生が顔を引きつらせながら笑った。その瞬間、教室中で笑い声が発生する。


 やばい。俺、当てられたのに全然気づいてなかったのか?


「32ページの(2)、前に出て解いてください」


 そう言われても、俺は問題すら把握していない。しかし俺の返事なんて待たずに、先生は(3)や(4)を解く生徒を指名していく。

 急いで教科書をめくり、なんとか指定された問題を見つけた。


 うわ、これ結構時間かかるやつだ……!


 たぶん、既に解く時間がしっかり与えられているのだろう。その間、俺はずっとグラウンドを見ていたのだ。

 いったん着席し、座って問題を解きたい。しかしそんな余裕はない。

 教科書を片手に、絶望的な気分で黒板へ向かう。その途中、樹に制服の袖を引かれた。


「……ほら」


 小声で言うと、樹はルーズリーフの切れ端をこっそり俺に渡した。そこには丁寧に式が書かれている。


 ありがとう、樹!


 俺は心の中で親友に感謝した。





「お前、そんなに視力よかったか? 神楽坂のこと探してたんだろ」


 授業後すぐに、にやにやと笑いながら樹が近づいてきた。

 ちなみに樹が教えてくれた答えはもちろん合っていて、俺はあれ以上先生に怒られずに済んだ。

 どうやら高難度の問題を与えられていたらしい。持つべきものは頭のいい親友だ。


「見えなかったよ」

「なるほど。見えないものを見ようとするくらいには、お前は神楽坂に夢中なわけか」

「いや、そういうんじゃないから。一人になってないかなとか、そういうのが気になっただけ」

「……お前はあいつの保護者なのか?」

「しょうがないだろ。そういう性格なんだから」


 それもそうか、と樹が頷いた瞬間、教室中がざわついた。


「耀太、お待ちかねの神楽坂がきたぞ」

「……うん。そんな気がしてた」


 ゆっくりと視線を廊下へ向ける。そこには、体操服姿の神楽坂が立っていた。





「御坂先輩。体操服貸してくれてありがとうございました」


 微笑んで、神楽坂が軽く頭を下げる。

 体育の後だからか、いつもは下ろしている髪をポニーテールにしていた。

 運動後だというのに、揺れる髪からはいい匂いがする。


「……えっと、なんでまだ体操服のままなんだ?」

「友達に言われたんです」

「友達に? なんて?」

「体操服を借りたんなら、着て見せるのが常識だろうって」


 どこの常識だよ、それ。

 神楽坂の友達っていったいどんな奴なんだ?


「髪もその子が結んでくれたんです。……似合ってますか?」


 似合っていないはずがないのに、神楽坂はなぜか不安そうな顔で俺を見つめる。


「ああ、似合ってるぞ」


 ただの体操服なのに、神楽坂が着ると違って見える。だぼっとしたサイズ感が神楽坂の小動物っぽさを強調している気がした。

 神楽坂って小柄ってわけじゃないのに、なんかこう、小動物みたいな感じがするんだよな。


「嬉しいです。お弁当、今日はこのまま食べてもいいですか?」

「俺は全然構わないけど」

「じゃあ、そうします」

「分かった。弁当持ってくるから、ちょっと待っててくれ」


 急いで自分の席に戻り、鞄から弁当を取り出す。樹と目が合うとにやにやと笑われた。


「神楽坂、おまたせ……っ?」


 つい声が裏返ってしまった。神楽坂の正面に瀬戸が立っていたから。


「あ。御坂くん」


 俺に気づくと、瀬戸は一瞬だけ俺に視線を向けたが、すぐに神楽坂へ視線を戻した。


「ごめんね、いきなり話しかけて」

「い、いえ」

「話してみたいって思ってたんだよね。あ、言い忘れてたけど、私は瀬戸沙友里って名前」

「知ってます」

「そうなの? 光栄だな」


 瀬戸はいつも通りだが、神楽坂はかなりぎこちない。表情も声も強張っていて、緊張しているのが丸分かりだ。

 しかし、男子に話しかけられた時のような冷たさはない。


「御坂くん戻ってきたし、もう行くね。ばいばい」


 ひらひらと手を振って瀬戸は教室に戻っていった。そのまま夏菜のところに行ってなにやら話し始める。もちろん、話している内容なんて聞こえない。


「……御坂先輩。先輩って、瀬戸先輩と仲いいんですか?」

「いや、仲いいってほどじゃ……って神楽坂、その顔はなんだ?」


 神楽坂は頬を膨らませ、唇を尖らせていた。まるで拗ねた子供のようだ。というか、拗ねた子供そのものにしか見えない。


「別に。ただ先輩って、やっぱりモテるんだって思っただけです」

「はあ? いや、そういうんじゃないから。瀬戸も単純に神楽坂と話したかっただけだと思うぞ」

「……先輩、そういうところは鈍いんですね」


 ちょっとだけ不機嫌そうに言うと、神楽坂はいきなり俺の手を掴んだ。そのまま俺の手を引っ張って歩き出す。


「さっさと行きますよ、先輩」


 笑ったり、拗ねたり、不貞腐れてみたり。

 俺以外の奴の前でもこうやって感情を出せば、いくらでも友達ができるだろうに。

 でももしそうなれば、きっと俺はすぐにお役御免になってしまう。それは寂しいなんて思ってしまうのは、悪いことだろうか。

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