第4話 彼女、いるんですか?
「あっ! 先輩、おはようございます!」
夏休み明け初日、久しぶりの登校日。
学校へ行ったら、教室の前に神楽坂が立っていた。
「……えっ? あ、お、おはよう……?」
1年生の教室は4階で、2年生の教室は3階。荷物も持っていない神楽坂が俺の教室の前にいるのはおかしい。
まさか、俺を待っていたのか?
「先輩、結構ギリギリにくるんですね。もしかしたら今日おやすみかもって、私ひやひやしちゃいました」
ふふ、と笑いながら神楽坂が俺に近づいてくる。それだけで周りの空気が変わった。
そりゃあそうだ。みんなは神楽坂をクールで無表情な美少女だと思っていたし、神楽坂が自分から男子に話しかけることなんてほとんどなかったから。
「あ、ごめん。ちょっと寝坊して」
「登校初日ですもんね。その気持ち、分かります」
「……もしかして、俺になんか用事でも?」
俺の質問を聞いて、神楽坂はすぐに頬を膨らませた。
「いつでも話し相手になるって、先輩が言ってくれたんですよ?」
言った。確かに言った。
でもまさか、朝から教室を訪ねてくるなんて思わなかった。
「まあでも、今日は先輩に用事もあるんです」
「なんだ?」
「お昼ご飯、一緒に食べてくれませんか? 私今、一緒にお昼ご飯を食べる友達がいないんです」
寂しそうな目で神楽坂が俺を見つめた。こんな目で見つめられたら断れるはずがない。
なんか、捨てられた猫みたいな顔してるし。
「分かった。でも、その……」
「なんです?」
俺と神楽坂の会話を少しでも聞こうと、周りの人たちが耳を澄ませているのが分かる。
人生でこれほど注目されたのは初めてかもしれない。
話しにく過ぎるだろ、こんなの。
神楽坂はいつもこんな状況で過ごしてるのか?
「……いいのか? 俺と仲がいいって、みんなに思われるぞ」
声を潜めて、神楽坂にしか聞こえない声で言う。
周りの目を気にしてみらちぇん好きを明かしていない神楽坂は、てっきり俺と親しくしていることも隠したがると思ったのだ。
俺は平凡な男だし、付き合ってる、なんて噂されたら大変だろうからな。
「え? なにか問題でもあるんですか?」
きょとんとした顔で神楽坂が首を傾げた。
「あ! もしかして先輩……彼女がいるとか?」
「そう見えるか?」
「はい。いてもおかしくないなって、普通に思いますけど」
神楽坂は俺をからかっているわけじゃない。本心の言葉だと思うと、なんだか妙に照れくさくなってしまった。
「いるんですか?」
「いや、いない」
「じゃあいいですよね」
ふふ、と神楽坂は微笑んで俺から離れた。
「また昼休みにきますから!」
手を振って、軽やかな足どりで神楽坂が去っていく。彼女の姿が見えなくなった瞬間に、俺はクラスメートたちに囲まれた。
まあ、普通にこうなるよな。
「お前、いつの間に神楽坂ちゃんと仲良くなったんだよ!?」
「てか、めちゃくちゃ笑ってたよな!? あんな顔初めてみたんだけど!」
「まさか付き合ってるのか!?」
なあ、とうるさい男子たちの追及を笑って誤魔化し、足早に教室に入る。それでもしつこく話を聞こうとしてくるけれど、こいつらに言えることなんてなにもない。
ゲーセンで知り合った、なんて言ったら、神楽坂の秘密をばらすことになるからな。
◆
「で、朝のあれ、どういうことだったんだ?」
ホームルームが終わってすぐ、俺を教室から連れ出したのは
家族ぐるみの付き合いで、俺が母子家庭だってことも、母親の代わりに妹の面倒を見ていることも知っている。
もちろん、俺が朱莉のみらちぇんに付き合っていることも。
「あれって?」
「神楽坂希美の件だ。お前、いつ神楽坂と仲良くなったんだ?」
腕を組み、不思議そうな顔で樹は俺を見つめた。他の連中と違って羨ましがっているわけじゃない。
純粋に俺と神楽坂の関係が気になるのだろう。
樹は他人には言わないだろうけど、だからって約束を破るのは違うよな。
「たまたま夏休みに仲良くなったんだよ」
「たまたまって?」
「たまたまは、まあ……たまたまだ」
本当のことは言えないけれど、樹相手に嘘はつきたくない。そんな俺の気持ちを察してくれたのだろう。
なるほどな、と一応頷いてくれた。
「気をつけろよ。神楽坂と親しいってだけで、お前を妬む奴もいるだろうからな」
眼鏡のブリッジを触りながら樹は言った。
「分かってる」
「で、お前は神楽坂と飯を食うから、今日から俺とは昼飯を食えないわけか。これは寂しいことになったな」
「お前、全然思ってないだろ」
「いや、思ってるぞ」
樹は真顔で冗談を口にするから性質が悪い。俺以外の奴は、なかなか冗談だと気づけないくらいなのだ。
だから昔からこいつ、堅物眼鏡なんて言われるんだよな。実際、そうでもないのに。
「まあ、俺のことはいいとして……神楽坂のこと、他の奴らにはどう説明するつもりだ? たまたま、なんて言葉で納得するのは俺だけだぞ」
「……別に、納得してもらおうとも思ってないから」
「そこに一人、納得しないと気が済まないって奴がいるようだけどな?」
樹が俺の後ろを指差す。ゆっくりと振り向くと、そこにはショートヘアの女子が立っていた。
「ねえ耀太。なんでいきなり、神楽坂ちゃんと仲良くなってるの?」
口角は上がっているけれど、目は全く笑っていない。じりじりと俺との距離を詰め、ついに肩を掴まれた。
相変わらずものすごい力だ。
「ちゃんと説明しなさいよね」
説明する義務なんてない。
そう言ったところで話が通じる相手じゃないことはよく分かっている。こいつはそういう奴だ。
「え、えーっと……
「それはアンタの態度次第」
まずい。クラスの男どもは無視しておけばいいが、さすがに夏菜を無視するわけにはいかない。というかできない。
「ほら、さっさと説明しなさいよ」
助けを求めるように樹へ視線を送る。数秒の後、樹は俺を残して教室へ戻っていった。
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