【アップ】男山教会 2023年6月11日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

天川裕司

【アップ】男山教会 2023年6月11日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=AYOVsjHtSvc&feature=youtu.be


【アメーバブログ】

聖書や讃美歌の内容などは、こちらのブログより閲覧できます。

ぜひお気軽にお立ち寄り下さい^^

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12807831447.html



前奏

招詞

コリントの信徒への手紙二 1章4,5節

頌 栄 たたえよ、主の民[こ改25]

開 会 祈祷

主 の 祈り(週報裏面)

十戒・祈祷(週報裏面)

子ども説教

子どもと親のカテキズム問39

「再び来られるイエスさま」

こどもさんびか

あいのしゅイエスは [改124(2節)]

牧会 祈祷

讃 美 歌 191番

聖書

使徒言行録16章1~5節(新約P244)

詩編87編1~7節(旧約P924)

説 教

「パウロとテモテ~伝道と教会の進展」

宮武輝彦

祈 祷

讃 美 歌 199番

みことばの交読文

テモテ二4章6~8節

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌 栄 541番

祝 祷

報 告



讃美歌~♬


讃美歌191番(歌詞付)54年版「いともとうとき」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=g2Uju0V11MI


1 いともとうとき 主はくだりて

  血のあたいもて 民をすくい

  きよき住居(すまい)を つくりたてて

  そのいしずえと なりたまえり


2 四方(よも)のくにより えらばるれど

  のぞみもひとつ わざもひとつ

  ひとつのみかて ともに受けて

  ひとりの神を おがみたのむ


3 数多(さわ)のあらそい み民をさき

  世人(よびと)そしりて なやむれども

  神はたえざる 祈りをきき

  涙にかえて  歌をたまわん


4 世にのこる民 去りし民と

  ともにまじわり 神をあおぎ

  とわのやすきを 待ちのぞみて

  君の来ますを せつに祈る


讃美歌199番(歌詞付)54年版「わが君イエスよ」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=H7HBYLT0CRU


①我が君イエスよ  罪の身は

 暗き旅路に  迷いしを

 隈無(くまな)く照らす  御(み)恵みの

 光を受くる  嬉(うれ)しさよ


②君の血潮に  救われし

 我は今より  一筋に

 御足の跡(あと)を  慕(した)いつつ

 御国の道を  進み行かん


③罪のこの身は  今  死にて

 君の功(いさお)に  蘇(よみがえ)り

 神の僕(しもべ)の  数に入(い)る

 清き印の  バプテスマ

※功・勲(いさお)・・・手柄、勲功


④生まれ変わりし  喜びは

 何に擬(なぞら)え  類(たぐ)うべき

我が身も魂(たま)も  皆捧(ささ)げ

  御名を称(たた)えて  日を過ごさん

※類う・比う(たぐう)べき・・・比べるべき



2023年6月11日 礼拝説教 中心聖句


パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。

使徒言行録16章1節


主は諸国の民を数え、書き記される。この都で生まれた者、と。歌う者も踊る者も共に言う「わたしの源はすべてあなたの中にある」と。

詩編87編6,7節


はじめに

キリストの恵みの支配(神の国)と、教会(エクレシア)の証しを学ぶ。 

「パウロは、デルベにもリストラにも行った」とは、アンティオキアから出発し、シリア州、キリキア州を回って、教会を力づけながら、最初の宣教旅行における折返し地点デルベ、先のリストラを再訪したこと。「そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた」。当時、本来ならば、ユダヤ人と異教徒との結婚は、忌避された。しかも、妻は夫の宗教に従う習わしがありながら、「祖母ロイスと母エウニケ」(テモテ二1章5節)と受け継がれた信仰の子として、テモテは養育された。テモテは無割礼でありながら、神を畏れることを学んだ。後に、パウロは、ローマの牢獄から死を覚悟しながら、テモテへの手紙で「わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃え立たせるように勧めます」(テモテ二1章6節)と言い、按手の証をもって激励する。それは、長老(使徒も「長老の一人」(ペトロ一5章1節))の一人として、適切に事柄(対象)に対処するだけでなく、熱意をもって従事することを証する。「彼は、リストラとイコニオンの兄弟(たち)の間で、評判の良い人であった」。同じ手紙でパウロは「アンティオキア、イコニオン、リストラでわたしにふりかかったような迫害と苦難をもいといませんでした」(テモテ二3章11節)と言い、「だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません」(同3章14節)と言う。キリスト・イエスの中に、このお方への信仰によって、「聖書に親し」み「人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練」をし、「十分に(完全に)整えられる」ため(同3章12~17節)。

「パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた(施した)」のは、「父親がギリシア人であることを、皆が知っていたから」。たとえ母親がユダヤ人であっても、無割礼であれば、異教徒とみなされた。「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切」であり、「大切なのは新しく創造されること」(ガラテヤ5章6節、6章15節)と、その救いの本質を明らかにしながら、ユダヤ人社会の中で、無用な反対と非難を避け、福音を証しするためにした。しかし、それは、強制的執行ではなく(ガラテヤ2章3節「テトス」)、「ユダヤ人を得るため」(コリント一9章20節)「福音のため」「わたしが福音に共にあずかる者となるため」(同9章23節)になされたこと。テモテは、割礼を受けたユダヤ人キリスト者の一人として、ユダヤ人に受け入れられながら、キリストの福音を伝える器として用いられた。

「彼らは方々の街を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた」。それは、割礼を救いの条件とする反目への会議の報告。「こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった」。キリスト・イエスにおいて、神の真実が証しされるところに、救われる人々が与えられていく。

おわりに

あらゆる国々の異教徒の救いとともに、「わたしの源はすべてあなたの中にある」との御言葉は、なお続く迫害と試練と困難の中で、実現する。今日、混沌とした世の中で、漠然とした不安を抱く中で、主の救いの確かさを真実に証ししたい。



(Mynote)

二〇二三年六月一一日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に、礼拝を守れる環境が与えられて居る事を神様に感謝する。

〈子供メッセージ〉

『子供と親のカテキズム 問三九』

「救われて神様の子供にされた私達は、どこを目指して歩むのですか」

「天に居られるイエス様は、再び地上に来られ、最後の審判をし、天と地とを新しくし、神様の国を完成されます。私達は、再び来られるイエス様を待ち望み、その日に備えつつ、希望に満ちて歌いながら御国を目指して歩みます」

小さき者にした事は、即ち、私にした事なのです。この箇所が引用された。

〈公同礼拝〉

『使徒行伝』(第一六章一〜五節)

『詩篇』(第八七篇一〜七節)

この世界の全ての事は、神様が支配されて居る。

聖書の中には要所に「神の国」という言葉が出て来る。この「神の国」とは神の王国の事である。神の国と教会とは切り離せない関係に在る。神の国、又は神様がご用意された計画の地には、必ず教会が建って居る。福音に恵まれた人達は必ずその教会に入り、クリスチャンとしてその後の生活を送る様になる。

教会とは一つの教会ではなく、幾つかの教会が集まった複合体である。これは現代でも同じく、共同体として、全世界のキリスト教会が在る。教会が建って行く事は、真実が神様に依り建てられて行く事。その真実は人の間に立つものであり、人を愛に繋げて行くものとなる。

バルナバとパウロの伝道旅行の時でも、その行き先には必ず教会が在った。ルステラとイコニウムは地中海の上にあり、アンテオケから近い。西にパンフリヤがあり、東にキリキアがある。今のトルコの辺りになる。

クリスチャンがノンクリスチャンと結婚しても、クリスチャンの信仰生活が変わる事はない。その上で伴侶もその信仰生活に影響されて、信仰を持つ様になる事も多い。伝道者は神様に奨励され、先導されて護られながら、最後までその目的を達成して行く。

どの様な状況に在っても、神様の御力と聖霊の働きに依りそれ等の事が成され、人の力によるものではない。神様からの賜物が与えられる事により、その目的が達成される事に成る。

使徒とは、神様が遣わされた奉仕者である。聖霊に満たされた上、世界中の人々に福音伝道を行う者である。そして伝道は単独で行うものでなく、共同で福音の目的を達成して行く。だからパウロとテモテは共同体として同志として、神様の下で遣わされた同じ立場に立つ伝道者と成る。与えられた賜物はキリストに繋がる。

神様の前に謙遜に師弟関係が結ばれて行き、その師弟にしても年輩・後輩の関係に近く、決してどちらの立場が上司・部下の関係に成るものではない。神様が一人一人を夫々の目的に向けて遣わされるなら、その目的はその人しか出来ない事になる為、神様が与えられた仕事に於いて、全ての使徒達はその働きの上で平等となる。

必要な事は、一人一人の神様に対する献身である。神様から与えられた仕事を夫々の人が同じく真摯に受け留め、信仰に於いて同じ方向に歩き、その上で共同体として活動して行く。

信仰に於いて確信した事から離れては成らない。その確信が神様から与えられた真実の物事ならば、その真実はその働きに於いても永遠に変わる事が無い。

その形を変えるのは、人の主観や感情・欲望である。使徒として働く事は、イエス様の弟子に成る事である。この弟子訓練は神様からの賜物として与えられるもので、人が総てを賄うものではない。

与えられた仕事を成就出来る様にとの努力は必要だが、その土台から環境、目的そのものの全体的な達成・成就は、神様と聖霊の働きに依り成る。

洗礼を受けたのに、なぜ割礼が必要だったのか?

「彼の父がギリシャ人である事は、みんな知って居たからである」(『使徒行伝』第一六章三節)

この通りであり、ユダヤ人の手前、無割礼であれば異邦人(救われない人)に見做されたからである。

しかし信仰に立つ上でしっかり真実を持ち、神様から与えられた仕事をして居れば、割礼を受ける必要は無かった。これはユダヤ人からの心証を良くする為だけにした事。これは習慣によるもので、言わば条件により信仰の有無を(人の側で)取り決める事に繋がる。

イエス様も「生きた律法」に就いて人々に教えられた時、周りの人々がモーセの律法に執着して大事を見落として居た事・その姿勢を戒めた事がある。詰りこのときテモテが割礼を受けた理由は、ユダヤ人に福音を伝える為だった。その為にはユダヤ人に先ず受け入れられなければ成らず、パウロもテモテもその福音を第一の目的とした。全ては福音の為だったと言う事。

『詩篇』(第八七章全般)では、神様の国がこの地上に堅く建てられ、人々がそのとき神様に救われる事、全地が神様の栄光を表す事の預言が成されて居る。

常に神様の真実を、その信仰の上で福音出来る者と成る様に。神様の御力と聖霊の働きに依り、そうさせられる様に。全ての人はもう既に神様の福音を聴かされて居る。



【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


榎本保郎牧師 ミニ説教3 「与える生活を始めてみませんか」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=AhE0fnq9sMU


おいでなさい - マタイ 14:22-33

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=tTFRAoivSNo&t=986s


「圧倒的な勝利者への道」THE DAILY with Arthur Hollands 2023/06/15

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=px9vxEwoJ8s


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)




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