第2話

 家具は組み立て式の物を買い揃えた。


 常々思っていたんだけど、大きい洋服箪笥とか食器棚とか、一人じゃ絶対持てないベッドとか、そういうのってめちゃめちゃ嵩張るし、掃除の時とか引っ越す時に結構手間がかかるんだよな。


 実家の俺の部屋はまさにそれらに占領されていた。


 古びた箪笥は引き出しを引っ張ると取っ手のついた面が外れていたし、ベッドなんて寝返りを打つ度にギシギシ音を立ててたし、無駄に重い和箪笥なんてただスペースを奪うだけで邪魔をしていた。


 だから、一人暮らしを始めたら、絶対組み立て式を買おうと決めていたんだ。


 あと、ベッドは要らない。厚めのマットレスを床に敷けば十分だ。マットレスなら立てかけておけるから敷きっぱなしにもならないし、衛生面にしろスペースの確保にしろ、間違いなく最適解だと思われる。


 家具は全部新調したせいもあって、家賃が安かった分、家具代金でとんでもない金額になってしまったけど、でもまあここが俺のスタートだ。三十路を前にして、漸くここから俺の人生が始まると言ってもいい。


 これからは一人で生きていくんだから、気合を入れないと。

 そして、目一杯楽しもう。一人を謳歌しよう。

 そんな決意を胸に、和室にマットレスを敷き、初めての就寝時間を迎える。


 なんだか、凄くドキドキする。小学生の頃に友達の家に泊まりに行った夜、全く眠れなかったことを思い出し、全然成長していないなと苦笑する。


 まあ、でも慣れるよな。始めの三日間くらいはこんなもんだ。

 リリリリリと鈴虫の羽音が聞こえ、夏の到来を感じさせる。


 実家からそんなに離れてもいないのに、まるで田舎のじいちゃん家にいるみたいに虫たちの声が耳に届く。


 大通りから離れているからか、やけに静かだ。

 普段は比較的寝付きのいい俺は、横になってから既に三十分以上経っていることを枕元の目覚まし時計を見て知る。


 カーテンを買い忘れていたせいで、月明かりが思いっきり部屋に差し込んでいたが、まあ、明る過ぎて眠れないってほどでもないし、明日仕事の帰りにでもホームセンターに買いに行けばいいか。


 ――そんなことを考えながら、再び目を閉じようとした瞬間。

 視界の端になにかが映った――気がした。

 気のせいだろう。

 そう、自分に言い聞かせながら、少し強めに目をつむる。


 別に、幽霊なんて信じちゃいない。いるんならいるでいいし、いないならいないでいいしってくらい、なんとも思ってない。

 思ってないが。


「……」


 俺は薄目を開ける。


 なんというか、怖いもの見たさというよりは、そこにいると確定させたほうが何故か安心すると思ったからだ。いるかもしれないという、なんとも気持ちの悪い感覚に耐えきれず、むしろはっきりと視認したほうがリアクションの仕方も定まるというものだ。


「……」


 ――いる。


 それは、女のように見えた。月光に照らされているとはいえ、薄ぼんやりとしか姿を捉えることができなかったが、髪の長さや身体の線の細さ、立ち居振る舞いからして、少なくとも成人男性ではなさそうな『それ』は、壁際に立ち、じっと俺を見つめている……ように感じた。


 というのも、姿形自体が朧気おぼろげなので、当然表情や視線の先まで確認することなどできないし、そもそも俺だって凝視したわけではないのだから、恐らくこちらを見ているだろうということくらいしかわからない。


 でも、それでも、彼女は確実に俺を認識し、俺を見ている。


「……………………」


 情けないと笑えばいい。俺はそっと目を閉じ、寝たフリをした。


 奴はたしかにそこにいた。これが例の『幽霊』であるのは恐らく間違いないだろう。過去に退去者を出し、その中には自ら生涯を閉じさせられてしまったと者もいたという、人外の化け物が、たしかにこの部屋には存在したんだ。


 下手くそな寝息を立て、俺はそいつが俺の寝顔を見ることに飽きるのを待つ。永遠にも感じる時間だった。


 しかし、俺はもう開眼できない。なぜなら、寝たフリがバレたら俺も新たな被害者になってしまう可能性が高いからだ。


 とはいえ、幽霊は足音も立てなければ、衣擦れの音すら発しないわけで、そこから立ち去るまでこのまま下手ないびきを掻き続けなければならないのだろうか。呼吸が不規則になってしまえば、本当に寝ているのかといぶかしまれてしまうかもしれないし、このまま何十分もこれを続けるのも正直シンドい。


 いっそここで身体を起こしてしまおうか。


 そんなことをつらつらと考えていた俺は、気づけば本当に眠ってしまう。


 そして朝目が覚めると、当然のように壁際には誰もいないし、いた気配すら感じさせない。幽霊の残す気配がどんなもんなのか俺は知らないけれど、とにかくまずは出勤の準備をしなければ。


 そんな風に、半ば強引に昨晩の出来事を忘れようとした。

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