ナポリタン / 周 作

名古屋市立大学文藝部

ナポリタン

「ナポレオンとナポリタンって時々混ざるよね」

 赤いヴェールに覆われた麺を、くるくるとフォークに器用に巻き付けながら唐突に君は言った。穏やかな昼下がりの陽の光にさらされ、つやつやときらめいているグロスを塗られた唇に麺の塊が吸い込まれる様子から、僕はなぜか目を離すことが出来なかった。魅入られてしまった僕の脳内には、ぐるぐると二つの単語がただただ渦巻いている。

 ナポレオン、ナポリタン、ナポレオン、ナポリタン、



 **********

 


 トマトは下ゆでをしてすぐに冷水にさらすと皮が剥きやすい。トマトを水にさらしている間に、タマネギ、ピーマン、ウインナーをそれぞれカットする。ウインナーはパリッとした食感を生かすために少し大きめに斜めに。これが我が家の定番だ。食材を全てカットし終えたら、水を沸騰させておいた鍋に塩小さじ二を入れ、パスタを規定の時間より三十秒ほど短くゆでる。

 ここで具材を深めのフライパンに投入し、タマネギに少し色がつくまで炒める。トマトの水を少し切り、ケチャップとコンソメとともに投入する。塩、こしょうで味を調えて煮詰まるまで木べらでトマトの塊を潰しながらかき混ぜる。焦がさないようにゆっくりかき混ぜつづけることがポイントだ。

 ゆであがった麺を煮詰まったソースと絡めながら再び火にかける。最後に皿へ高く盛り付けて、粉チーズを振りかける。ナポリタンの完成である。



 **********



「行ってきます」

 やっとの事で窮屈なパンプスに無理矢理足を入れることに成功した彼女は、玄関のドアを押し開けながら少し振り返り、大声で叫んだ。

「今日あなたお休みだったよね? 夜ご飯はよろしく!」

 寝ぼけ眼をこすり玄関先まで出ていく僕に、満面の笑みで伝えた後、外の階段を駆け下りていく騒音と言ってもいほどの音が鳴り響いた。

 顎に手を当てると、じょりじょりした感触が伝わってくる。まだ朝の光に目が慣れていない僕は、彼女の足音と、ゆっくりと閉まっていく玄関のドアから差し込む光をなるべく見ないようにしながら必死に夕飯の献立を考えた。



 **********


 

 できあがったナポリタンを盛った皿を彼はダイニングテーブルに慎重に運んだ。白色LEDの強烈な光が、純白の皿と赤みがかったオレンジ色のトマトソースを身にまとうスパゲッティとのコントラストをより強調させているようであった。自分の席と向かいの席の前にナポリタンの皿とフォーク、自分の席の前だけにスプーンも追加で綺麗に並べると、彼は夕飯を食べるために着席した。

 小山の頂点にフォークを斜めに突き刺し、スプーンを使ってフォークにスパゲッティを巻き付ける。皿とナポリタンのコントラストは依然として強烈であった。ゆっくりとフォークを持ち上げると、フォークとともに持ち上げられたナポリタンから光が発せられている。初めて見る光景に、それを口に入れることがためらわれた。



 何の変哲もない、ただのナポリタンから光? 



 どれほど時間が経っただろうか。ナポリタンをにらみつけていると、静かなはずの部屋に突然、玄関の扉の鍵が開く音が鳴り響いた。


 ガチャリ


 彼はスプーンとフォークを置き、考えるように顎に手を当てた。少し伸びてきたひげが手に触れた。耳に全神経を集中させると、軽やかな足音が近づいてくるような気がした。彼女の足音だ。間違えるはずがない。彼は廊下とダイニングを区切る扉を祈るようにじっと見つめた。金縛りに遭ったかのように身体の自由がきかないことに彼は今更ながら気がついた。すぅーと音もなく扉は内側に開いていく。彼は、息を詰めるようにしてその扉の先を見た。

 そのとき、強く発光する物を視界の隅の方に捉えた。強く、オレンジ色に光るナポリタン。その光はどんどん強くなっていく。眼球だけを動かして、ナポリタンの方に注意を向けたとき、扉から黒い塊のようなもやが現れた気がした。それは彼の後ろを通り、一直線に向かい側にあるナポリタンへ向かっていく。彼の後ろを通り過ぎたとき、それからは生暖かい風とどこか懐かしい匂いを感じた。

 

 カタリ


 それは、ナポリタンの前までたどり着くとわずかにフォークを動かした。どこからか強く、生ぬるい風が部屋に吹き込んできた。風は部屋の隅で渦を巻いたかと思うと一直線にナポリタンに向かって吹き上げてきた。その様はまるで黒いもやが風を呼んできたかのようだった。

 黒いもやは風に力をもらったかのように光り輝いているナポリタンをまるで人間がするように突然フォークで持ち上げた。ただ一つ違う点は、皿の上にあったナポリタンを全てフォークで巻き取ってしまった点であろうか。そして、人間で言うと口のあたりだろう、他よりもより黒い箇所にフォークを持って行くとするりと一塊にしたスパゲッティを吸い込んでいった。空になった皿は先ほどまでとは比べものにならないほど強い光を発した。そして、そのまま空中に浮かんでいき、突然消えてしまった。それと同時に黒いもやも幻のようにフッと消えた。


 カラン


 机の上にはフォークだけが取り残された。またになった間に取り残された赤いソースだけが今の出来事を現実であると語っていた。

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ナポリタン / 周 作 名古屋市立大学文藝部 @NCUbungei

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