第16話


 日本文学を主として、で、外国の翻訳の文学を、対比するsubとして、これまで書いてきたですが、Worldwide な視点だと英米の文学が中心で、日本の文藝は辺境の?むしろ数寄者のマニアックな趣味になるのかな?


 MANGAのほうが、ポップカルチャーとしてインターナショナルかも。♪明るいナショナル~♪w


 社会的な発想とか考察? 現代社会を俯瞰的に洞察して箴言を吐く、とかそういうのは最も苦手です。時代の空気に「漠然とした不安」を感じて自殺した、分裂気質の芥川氏とかの鋭敏さとかは程遠い。「坑内カナリア」とか作家の役割をそういうらしいが、オレとかは、鈍いことおびただしいとぼけたオウム?がせいぜいであるw


 「鈍感力」という本が流行った時には、いいことを書いている本によくあるように?「そ、そうだよなー。ウンウン。こういうことはとっくにわかっていて実践してたんだったっけ?」というようなデジャヴがあった。


 俳句でも、「発見」というが、普段、当たり前に割と誰しも感じていて、見過ごしている感覚をうまく言葉で掬い取るような、そういう作業というところがある。


 シャープでなくて、で、鈍感であっても、素朴に信ずるところの自分なりの方法論を恐れずにどんどん実行していけば、「雨だれが石を穿つ」みたいに、絵にかいたような綺麗なシェイプは描けずとも、それなりにまとまった、意味のある果実、結実を得られるというか、だから、この場合は対社会的なセンスのことなのですが、なんらかの人文科学的な思惟をなす場合には、方法論?スタイル?とにかくがむしゃらに自己流で、思い切って発言するというか?そういう覚悟、大江健三郎が「見る前に跳べ」と有名な格言を言ったことあったそうやが、その場合に純粋持続が溶解する瞬間のいかに真剣さ、真摯さを保っているかというそういう気合が大事なのかと思う…


 こういう前置きで、言おうとしたのは、より広く、「世界文学」を、というより、とかく日本文学というところにこだわりがちなのを、コスモポリタン的な視座で、抽象的に、より深く広く文学一般を理解したいという、割と向こう見ずな?発想が浮かんだのです。


… …<この項続く>

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