第12話
活字媒体以外の、いろんなメディアにおける文学もある。映画はもちろん、アニメにもあるし、漫画、ゲームその他への原作としての換骨奪胎やら、オマージュとか、いろんなメディアミックスの文学作品のコラージュ、新しい転用も様々にある感じです。
「三国志」、という中国の古典でも、吉川英治のもあるし、横山光輝の漫画もある。 歴史シミュレーションゲームもあるし、最近でもキングダム、とかレッドクリフ、なんていうシネマもあった。
海外の映画でも、しばしば文藝路線のがある。「誰がために鐘は鳴る」の、イングリットバーグマン主演映画。「風と共に去りぬ」、「緑の館」、「マイフェアレディ」、「オズの魔法使い」とか、名作も多いみたいです。「赤毛のアン」もよく映像化されている。アニメ版もあった。
邦画だと、横溝正史、森村誠一なんかの伝奇推理が、角川映画になっていたりした。江戸川乱歩も最近いろいろ映画化されていた。三島由紀夫、川端康成も、よく映画化される。谷崎のもあった。
小松左京や、筒井康隆の原作の映像作品も多い。「日本沈没」とか、「時をかける少女」は定番で、ドラマ、アニメもあった。
こういう文芸作品は、人口に膾炙していて、観客がとっつきやすいという効果もありそうだし、高尚で典雅なイメージで、主演の女優に箔をつけるというか、お墨付きみたいな、そこを狙っている場合もある。。タイアップで原作の文庫本を売ろうという場合もあった。
「ティファニーで朝食を」は、カポーティの原作ですが、この映画は、ざーっと鑑賞した場合に、あんまりにも原作に忠実に作ってあるので、逆に驚いたというような、そういう思い出があります。最初から最後まで、コマ割りとかセリフとか、すべて、小説を読んだ後だったので分かったのですが、寸分たがわない感じに撮影していた。「ム-ンリヴァー」という名曲が主題歌で、最後はニューヨークの雨の中、ホリーゴライトリーが、「猫ちゃん!」と猫を抱きしめて終わるのだが、最後の最後までイメージもセリフも全く同じ情景が同じテンポで再現されているという感じでした。
「風と共に去りぬ」や「欲望という名の電車」を観た時もこういう感想を持った…昔は文芸映画だとこういう作り方をするのが普通だったのか?
わりと最近の、「それから」を、森田芳光さんが映画化したのとかは大胆なコラージュが売りだったような映画でした。
生涯で一番繰り返し観た映画は、たぶん、原田知世さん主演の「時をかける少女」ですが、これも大林宣彦監督の、尾道市を舞台にした一連の作品の一つで、かなりアレンジされている感じだった。
ボクも、好きな小説や作家のパロディやオマージュの、別の創作はよくやります。にわかに思い出しにくいほどいろいろなのあります。こういうのも、一種のメディアミックス?になるかもしれない…
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