第11話
先ごろ、ノーベル文学賞が発表されて、韓国の女流作家の、
まったく知らない人で、代表作が、「菜食主義者」という題で、精神的な葛藤からヴェジタリアンになった人物の話だそうです。
ノーベル文学賞は d性が dえない感じの政治的で硬派でシリアスな作風の人が選ばれる感じです。ソルジェニーツインとか、大江健三郎、ボブディランしかり、サルトル、カミュ、…だから、ハルキ氏だと軟弱で、嫌われるのかも?w
ボクも秘かに、ゆくゆくは英語で書いて、ノーベル賞、とかアンビシャス抱いているので、マイナーポエットだけに小さくまとまらないようにとか、いろいろ冒険?実験?しています。
パロディで、健三郎風、とか、康成風、とか、そういうのは無数にやった。芥川とか夏目漱石関係のパロディも食傷するくらい書きました。三島やら谷崎、安部公房もノーベル賞候補だったりしていて、それぞれのパロディというか、似た感じのだからパスティーシュというのか、そういう冗談文学も、まあ得意なほうです。特長かな?
社会性に欠ける、という人物評というか、性格の欠点をよく指摘されたりもするので、?殊更社会性を意識して書いたりもします。長編だと、やはり、自然観照だけだとなんか物足りなくなったりするので?足りないソーシャリティを、あえて捏造する感じに書こうとします。
松本清張さんや五木寛之さんはちょっとオールドネームですが、”社会派”で、ジャーナリズムによくとりあげられた。吉川英治とか司馬遼太郎、井上ひさしさんなどを「国民作家」とか言う場合も、ちょっと違うが、社会にアンガジュする度合いが高い、才能の幅が広い感じなのかと思う。
ノーベル賞というと、そういうポピュラリティ?大衆的な人気の意味の社会性とちょっと別というのか、やはり、オリジナルでピュアな、通俗的でない”真実の文学”性な高さも求められる感じですか。
そういう感じをパラフレーズするとどうなるのだろう?例えばやはり、芥川賞にも、同じような、純粋性?抽象的な芸術的な高尚性みたいなのが不可欠なイメージあります。よくわからんけど、ピカソとかゴッホの絵は高値がつくし、ただの写実は、インテリアにしかならないとか。藝術一般には、真贋や評価価値の俎上に上す場合に、やはりその道の専門家にしかわからないような深い何かがあって、それは幻想というより、うーん、結局より深く人間とかこの世界についての深い洞察があるかないか?”ちゃんとわかるべきことをわかっているか否か?”そういうむしろ常識の有無かとも思う。
ボクはまあ。、常識がないほう、乗り遅れるほうなので、まだまだ修行が足りない感じです。もちろん、常識があるというだけでもあかんやろが?「w
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