第6話

 ボクの人生歴は、なんとなくいわゆる「破瓜型」の統合失調症を思わすような、思春期に精神に破綻をきたして、その後どうも芳しくない、仕事が続かず一進一退、医者にかかりながらなんとか日々を乗り切っているような生活の、よく言う”メンヘラ”タイプ、そういう軌跡を描いている。


 典型的なそういう人には、昔によく本屋においてあった「二十歳の原点」という日記集の著者・高野悦子さんがいる。この人の日記は、中学生くらいから二十歳で命を絶つまでの8年分収録されていて、実に克明で生々しくて、胸を打つ。「孤独であること。未熟であること。それが私の、二十歳の原点である。」これほど瑞々しい青春そのものの言葉はめったにお目にかかれない…


 こういう純粋な青春ゆえの苦悩…そういうのがボクの中では”文学というものに対するイメージの原点”である。例えば、白樺派の旗手だった武者小路実篤の「友情・愛と死」の、生き生きとした人物の描写や相互の葛藤の描写のリアリティ、完全に小説世界に没入して、その読書体験の時間がそのまま青春そのもの…そういうものが「ブンガク」。ボクの世代ではまあそういう認識が一般的で共有されていた。


 インプリンティングという言葉があるが、そういうリリカルでリアルで、ヒューマニスティックな、それでいてカタルシスのある読み物こそがいわゆる’ブンガク’、と、これは幼少期からの様々な’良書’の読書体験で刷り込まれていて、原点にしっかりと根付いていて、全く真っ当で正しい認識と思う。


 基本的に歪んだ、猥雑で病的で不潔?…表現は悪いがそうした劣情を刺激するだけの’悪書’はやはり邪道、と、根っこのところにジャスティスなモラルは存在している。


 「どんなに悪くなっても、幼いころに母に童話を読み聞かされて育った人間は更生の見込みがある」とか、そういうことを言うが、さまざまに辛酸を舐めて、人間や社会に絶望しきっていて、精神は痕跡をとどめないほどに分裂しきっている…ただにそういう廃人になっていてもおかしくなかった自分が、いまだどうにか正気を保って、見よう見まねで綴った「小説擬き」でもなにかまとまった文学作品と評価されたりしている、そういう精神、神経の一種のタフさとか、粘り強く回復していけるポジティヴさ?そうしたものは、不断に触れてきたたくさんのブンガク、その教えてくれた人間とか精神、ひいてはこの世界の深遠さ、崇高さ、「この世界や人類は柔軟で多様で、底知れない豊饒なものを秘めている」という、そういう認識、メッセージのせいかもしれない…と、僭越ですが?ふと感謝したりするのであります。

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