赫沼町の多すぎる幽霊

砦上暁

第1話 巨鳥と百合

今の状況は最悪で、いつも通り今川家の墓の後ろで時間を潰していた私と、つい10分前に来て私と反対側の墓の隅で熱心にスマホを弄っていた茶髪の女の子の、ちょうど真ん中にある緑色に錆びた井戸の前に2メートルくらいある巨大な鳥がやってきて、何かを熱心に喰っているところだ。正確には巨大な鳥の幽霊で、幽霊だからもちろんスケスケなんだけど、喰ってる何かはスケスケじゃないので、つまり幽霊が実体をもつ何かを喰っていることになる。

なにこれ!


こういう時に冷静でいられるかどうかが生死を分ける。

だから私はまず状況の分析から始める。

あの巨鳥に見つからずにこの墓場から出られるか?無理だ。

高すぎる生垣と建物の壁がある。入口近くまでは墓石の陰に隠れて行けそうだけど、最後の10メートルくらいは遮るものがない。

あの巨鳥が立ち去ったり消えたりするのを待ってみる?それも嫌だ。最悪、このまま朝までここにいれば、幽霊なんだからあの巨鳥は消える気がする。でも、私が家に帰らないとのは、ヤバい霊に喰われるよりも地獄が待っているのだ。

冷静になると状況が絶望的なことにはっきり気づいてしまった。


とにかく、何か脱出の糸口を見つけなければならない。

巨鳥は一心不乱に何かを啄んでいるが、何も音はしない。幽霊が何を啄んでいるのかも分からないが、血が流れているとか生臭い臭いがするわけではないから、たぶん人間とか……生き物ではないのだと思う。だとしても、あの巨鳥が生きた人間を襲わないなんて保証はない。ちょっとだけ見える、あのいやに鮮やかな青色は洋服っぽくも見えるし。

とりあえず、墓石に体を沿わせるようにして頭と目だけを出し、巨鳥の奥の茶髪の様子を見てみる。そう、ここにはまだもう一人の登場人物がいるんだった。茶髪も同じく、墓石の陰から巨鳥の様子を伺っている。手元のスマホのライトは消えてて、マジかって感じの顔をしたままフリーズしている。私もたぶんさっきまでそういう顔をしていたと思う。私の視線に気づいたのか、茶髪と目が合った。茶髪はハッとしたというよりはヒッという感じで目を見開いていたが、こちらが指先をチラチラするとコミュニケーション可能な相手ということでホッとしたのか、しっかり頷いてくれた。

それから、スマホをお尻のポッケにしまってその長い髪を雑にまとめると、お前はそこで待ってろ、みたいな強めのハンドジェスチャーをしたあとにモゾモゾと動き始めた。こっちにきてくれるらしい。勇気あるなぁ!私が感心しているあいだにもう動き出していて、そっと墓石から墓石を移動し、少しずつこちらに近付いてくる。すごい。微かに砂利が踏まれる音がするけれど、巨鳥は相変わらず熱心に何かを啄んでおり、周りを気にする様子もない。あんだけ大きかったら怖いものなんて無いんだろうな、と考えて、その言葉に私は少し虚しくなる。あんだけ大きくないものの人生は、いつも敵を警戒して生きるしかないのだ。どうしようもないことを考えて憂鬱な気持ちになる。

ガチャン!

でも現実はそんな場合じゃない。

突然の大きな音にびっくりして声を上げそうになる。音のした方では、茶髪が青い顔をしてピタリと静止していた。足元には茶色の筒と、何本かの花が広がっている。仏花の花瓶を倒したみたいだ。巨鳥!巨鳥は……巨鳥も音のした方を振り向いてピタリと静止している。つまり、茶髪の隠れている墓石の方を。茶髪は墓石に体をギュッと密着させて、口を手で塞いでいる。遠目にも体が強張っているのが分かる。砂利の上に投げ出された白や黄色の清涼な花々が場違いに鮮やかだ。

巨鳥がのそ、と体の向きを変えて、音のない一歩を踏み出した。やめて、と叫びたくなる。頭をユラユラと動かし、音のあった方に興味を示しているようだ。動くたびに、その巨大な翼や尾が井戸やら墓石やらをすり抜けて、白いボヤボヤとなる。未だ茶髪に気付いている気配はないけれど、あと3歩くらい歩けば絶対に見つかってしまう。私の中を恐怖が暴れ回っていて心のなかが痒い。怖い怖い怖い。とにかくまず巨鳥の気を逸らさないと、と思って手近な石を握った瞬間、風が吹いて微かに甘い花の香りがした。

と、突然巨鳥がギャアァアアギャアェアアと鳴いて、踵を返してスタスタと元いた位置に戻った。まとわりつく蠅を振り払うみたいに頭をブンブン振って、天を仰いでから再び何かを啄み始めている。

鳴くなんて思ってなかった。ギャアアア、の声がまだ耳の中で響いている。心臓が信じられないくらいバクバクしている。声が漏れないように深呼吸する。茶髪も茫然としてたけど、私の視線で我に返る。でも進んで良いか迷っているみたいだ。確かに茶髪からは、巨鳥は後ろ姿しか見えない。私は巨鳥が相変わらず何かに熱心なのを確認して、オッケーの指文字を作る。茶髪は頷くと忍者のように移動して、あっという間に私の隣の墓まできた。墓石一個分離れたまま、茶髪はQRコードが表示されたスマホの画面をこちらに差し出してくる。自分のスマホを出して読み取り、フレンドになった。ネームにはMacheteと書いてある。マチェ…テ?早速マチェーテからメッセージが送られてくる。

[あのトリどうする]

前置きも無しだ。

[幽霊だから物理攻撃は効かないと思う。なんとか目を盗んで入口までダッシュで逃げるくらいしか思いついてない]

[だよね。でも最後のダッシュ、まぁまぁ距離あるんだよね]

そう、まぁまぁあるのだ。ダッシュでも15歩くらい。

[あの何か食ってるの終わったら帰るとかないかな?]

[うーん、いつ終わるのか分かんないし、できれば10時までには家に帰りたい…]

マチェーテがチラ、とこちらを見た。たぶん、こんな時間に墓場にいるのに門限はちゃんと守ってるんだ?とかまさかこの状況で見たいテレビの心配を?とか色々思ったんだろう。家に帰っても機嫌の悪い父親と目も合わさない姉がいるだけだし、墓場はギャハギャハ笑うような不良もいなくて静かで安全に時間を潰せるってだけだ。でもそんなの絶対分からないし、別に言うことでもない。

[分かった]

との文字だけが返ってきて、私は悲しいような安心したような気持ちになる。

[さっきあたしが花瓶を倒してこっちに来ようとしてた時、途中でなんか戻ってったじゃん?あれどう見てもトリが嫌がる何かがあったと思う]

[何かを踏んだとか?]

[物理攻撃効くってことかな]

[あー……。花瓶が倒れてたよね。水とか、仏花が苦手とか?]

[井戸の近くにいるから水ってことはないんじゃない?お供えの花もその辺にそこそこあるけどあの鳥気にしてないし……]

[あとなんか甘い香りがしたよね]

[甘い香り?あ、百合?]

そうだ、百合だ。あれは百合の香りだった。

そういえば昔、おばあちゃんがお墓にお供えするお花には百合を入れるのが良いんだよとかなんとか言ってちょっと高いお花を買っていた気がする。魔除けの百合、なんかそれっぽいしイケそうだ。これはもう百合じゃない?百合が効くんじゃない?妙案!

となって二人で前向きな気持ちになったのに、周りを見渡せば、酷暑でほとんどの花は萎れているか、花なんてないかのどちらかばかりだ。さっきの倒した百合はレアだったらしい。それでもラッキーなことに、私の隣の隣の墓石の前の花瓶には百合が二本も刺さってて、とりあえず私はその二本を花瓶からスッと抜き取る。

スッとやったつもりなのに実際はスッスス…ヌッグッ…ガッガチャン!となり、花瓶が倒れた。なんでこの花瓶こんなに倒れやすいの!!

恐る恐る巨鳥の方を向くと、巨鳥もこちらを見ており、目が合った。

「グェエエエエエェェ!!」

ヒィイイイ!ェエエイッッ

「なななななんで投げるよ!?」

「ご、ごめん!咄嗟に…」

完全にこちらを視認した巨鳥がグェッエッと喉で鳴きながら近付いてくる。が、やはり百合が効くのか、散らばった百合の少し手前で悔しそうに足踏みをしている。それならばと私は投げてしまった花を取るべく、少しずつ百合に近付く。当然巨鳥との距離も狭まる。あとちょっと、というところで強い風が吹いて百合が転がっていった。

巨鳥と私の間に遮るものがなくなる。

死、

「あっあっ、あ!百合!」

と叫んでマチェーテが私の手を握った。それも指を全部絡めて、ギュッとする、恋人との繋ぎってやつだ。何何何これ、死ぬ間際に?

「女の子同士でイチャイチャする百合だよ!ホラ、早くイチャイチャして!」

そんな百合があるのかという困惑と早くイチャイチャしてって何という気持ちと、そんなので巨鳥に効くの?という疑念が混ざって、大混乱で、でもとにかく言われるがままマチェーテの手をギュウウと握り返してみる。

巨鳥はというと、歩みだそうとした足が空中で停止していた。もう一回ギュウウ、と握り返すと巨鳥の足は少し下がったところに降り、つまり、少し後ずさっていた。

「効くわ!!」「効いてるね!?」

とりあえずそのまま手を繋いで仲良く出口に三歩ほど歩き出したところで、巨鳥も向きを変えてこちらに歩き出していた。

「効いてないじゃん!」

スケスケなのに墓石の間を丁寧に通ろうとしている。その生き物っぽい行動が、生きてるはずのない巨鳥の存在と噛み合わなくて気味が悪い。怖くなってマチェーテの手をもう片方の手でも握っていた。自然とマチェーテとの距離も近付く。シトラスっぽい良い香りがした。

巨鳥がたじろいだ。

「効いてる!」

とりあえずマチェーテも私も数歩歩きだしてみるが、巨鳥も恨めしそうに再びゆっくりと近付いてくる。

「もっとイチャイチャいくぞ!」

というマチェーテの豪気溢れる宣言で、一回手を解いて、腕を絡めてからの恋人繋ぎに修正する。体もなるべく密着させる。私の胸がマチェーテの腕に当たってフニャと崩れる。こういうの押し当てた方が良いのかな?自分の腕と左おっぱいの間でマチェーテの腕を挟むようにしてみる。マチェーテは落ち着かないみたいに腕をちょっとモゾモゾ動かすけど、ガシッと挟み込む。

その様子に巨鳥は苦しみ出す。ギィッみたいな鳴き声を出しながら、後ずさりしている。効いてる。本当にこれで効くんだ……。でもやっぱり数歩歩くと再び巨鳥も復活して歩き出してしまう。

「次、キスか?」

「キ、キ、キスうぅ!?早くない!?もっと段階踏まない!?」

「じゃあ手を繋いだ次って何!?」

「いやほら、まず歩きながら乳繰り合う感じとかを出すとかさぁ!」

「乳繰りね!オッケーやろう乳繰り!」

その受け答えもどうかと思うが、私たちは酒に酔ってるバカップルみたいにニュチャニュチャ体の色んなところをくっつけ合いながら移動する。私たちが少し変化をつけるたびに巨鳥が戸惑っているのが分かる。一歩、三歩、七歩、ほっぺもつついたりもしてみる。あ、マチェーテ化粧してる…巨鳥は遠くなり、入り口が近くなる。マチェーテも私の髪の毛を指先でくるくる巻いてみたりする。くすぐったい。

やっと墓場の入り口まで来た。あとはこの門をくぐるだけだ……と、思ったその時にゴォウ、と突風が吹いて砂埃が舞った。私もマチェーテも突差に顔を庇う。巨鳥が飛んだのだ。

バッサバッサという音がないのが不思議なくらいの羽ばたきで、体長二メートルの化物が空に君臨していた。星のない夜空が透けて見える。

明らかに狩りの目で私達を見ている。無根拠に墓場から出れば安全と思っていたけどそうじゃなかったのかもしれない。どこまで行けば安全なんだ、安全なところなんて無いんじゃないか、と呆然としている私の横で、マチェーテが握り合った手を持ち上げて、私の手の甲にチュッとした。


「え!?」

巨鳥が爆散した。


それはもう爆散と言うほかない消え去り方で、悪霊ってあんな感じで消えるよねという見本みたいな消滅の仕方だった。私は今度は別の理由で呆然としていた。

「巨鳥、マジで百合が効くんだな」

マチェーテが笑っている。遅れて、私も笑った。


なんとなくそのまま手も腕も繋ぎっぱなしで、信号を渡って二つ目の角にあるコンビニまで一緒に歩いた。ずっと巨鳥の変なところを言い合っていた。コンビニの明かりの下で、墓場はもうやめた方が良いな、とマチェーテは呟く。その声に微かな寂しさがあることに私は気付いている。マチェーテがどうして夜の墓場にいたのか、私は知らない。どこから来てどこへ帰る、誰なのかも。

「別んとこ一緒に探すか」

と明るい声で言い残して、マチェーテは腕と指をするりと解いてさっさと去って行ってしまった。左手に残った感覚が馴染まなくて、それから今の言葉もうまく咀嚼できなくて、私はぼうっと遠ざかるマチェーテの後ろ姿を見ている。一緒に?って言ってなかった?

右手に持ったスマホが光って、新たにメッセージを受信した。

[おやすみ]

慌てて、おやすみ、と打ってから、またね、も付け加えた。


私は居場所を一つ失い、友人を一人得て、家に帰る。

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