第4話 石と重責

目が覚めたのはアラームが鳴る時刻の五分前だった。カーテンの隙間から薄っすらと覗く朝陽が、ハンガーにかけ忘れたバスタオルを照らしていた。私は昨夜の夢のことなどとうに忘れてしまっており、スマートホンを吞気に操作しながら欠伸をしていた。


 スマートホンのアラームを切きると、次の瞬間にはSNSアプリが開かれており、世界に異変がないことを確認していた。吹けばどこまでも飛んでゆきそうなしょうもないニュースしかなかったので、昨日は平和だったことを強く実感した。平和と聞いて思い浮かぶのは子供たちの笑顔とかではなく、真剣に捨て牌を睨みながらリーチを宣言する友人の顔だった。


 数年前麻雀にのめり込んで以来、リーチと聞けば牌を横に傾ける動作が目に浮かび、ポンと聞けば順番に割って入って牌を奪い取る動作が目に浮かび、平和と聞けばへいわではなくてピンフの文字が頭に浮かんだ。ピンフというのは非常に厄介な手役で、初心者にとっては最初の関門と言っていいだろう。その友人もまたピンフのように厄介な性分の持ち主で、迷惑を被った記憶の数といえば、思い付く限りでも両の手足の指を足してもたりない。


 そんな昔からの友人である逢沢という男は、最近結婚して子供を授かったというではないか。あの男の遺伝子を受け継いだ人間がこの世に生まれ堕ちたと考えると、憎悪にも似た寒気がした。

 

 逢沢のとち狂った性分を中和するには、性格が良いぐらいでは到底及ばず、マザーテレサのような聖人でやっとこさといった具合だろう。しかし逢沢の結婚相手も狂っているに違いないな。間違いない。あんな野郎と結婚するなんてまともな人間では考えられない。私自身、関係が途絶えていないことを不思議に思うぐらいだ。縁を切るタイミングはいくらでもあったし、殺しても同情してもらえるタイミングも一回はあったように思う。しかし今日、そんな逢沢と会う約束をしてしまったわけで、本人は奢るからと言っているけれど、とても鵜吞みにできる申し出ではなかった。そういった事情がバイアスとなって平和から逢沢という男を連想するに至ったのかもしれないが、あまりにどうでもいいことのように思えて仕方なかった。


 陽の光が徐々にこちらへ差し迫っているのを感じ取り、時計を見た。時計の針は丁度五時三十分を指し示していた。私は鉛のように重たい体に鞭を入れるように、腰を叩きながら立ち上がり、洗面所に向かった。昨夜脱ぎ捨てたTシャツが異臭を放っていたので、うんざりしながら蛇口を捻った。顔を洗った後、バイブレーションを響かせながら髭を剃った。喉仏辺りの剃り残しはいつものことなのに、毎回初めてのことのように苛立ちを覚えてしまう。むきになって指で引っこ抜いてやろうと四苦八苦したこともあったのだが、要した時間と親指と人差し指の痛みの割には抜けた時の満足感が少なかった。だから二度と自力で引っこ抜くまいと思っていたのにどうやら癖になってしまっているようで、気づいた時にはもう毛をつまんでは引っ張ってを繰り返していた。


 抜けない髭を弄くりながらリビングに向かい、ソファーに掛かっている紺のTシャツとジーパンを着て、靴下を履いた。チャックの部分が布地から剝がれ落ちてしまっている鞄を手に持ち、車のカギを人差し指でクルクルと回しながら玄関に向かう。 黒色のスニーカーを履いて扉を開けた。梅雨の時期とはいえ早朝ともなると、まだ半袖では肌寒いぐらいで風が冷たかった。太陽は厚い雲と雲の隙間から顔を覗かせており、午前中には一雨きそうな空模様だった。


 私はカーポートに止めてあるワインレッド色のK自動車に向かって、施錠解除の信号を送った。ガチャっと音がしたのを確認してから、運転席側へ回りこんで車に乗り込んだ。車のキーを差し込んで捻ると、渇いた咳のような音が四,五回鳴ってようやくエンジンが始動した。この車も古いからな。そろそろ寿命なのかもしれない。このK自動車は以前、母が乗っていた車で私が十九歳の時に譲り受けたものだ。その当時でも五年は経過していたはずなので、もう十二年とかになる。次の車検は税金も上がるだろうし、十万は覚悟しないといけないだろうな。確か前回の車検で、ディーラーのおっさんにタイヤを変えた方がいいって言われたのを無視して、半ば強引に車検を通して貰ったんだっけな。タイヤ四本交換となると十五万か、下手すりゃ二十万だな。


 そんなことを考えながらギアをバックに入れ、車をカーポートから出した。ギアをドライブにして一息ついた後、前方を見やるとフロントガラスには大きな鳥の糞がこびりついており、ワイパーには蜘蛛の巣が絡まっていることに気がついた。朝から気分が悪いなと思いながら左のレバーを手前に引いてウォッシャー液を噴出させ、同じレバーを上に押込み、ワイパーを高速で動かした。蜘蛛の巣はワイパーが三往復もしない内にどこかへ消えてしまった。幸いにも巣の住人は留守だったようで、朝から殺しをせずに済んだ。問題は糞の方で、かなりべったりとこびりついているらしく、ワイパー程度の力では取れる気配すら感じられなかった。


 私は諦めたと言わんばかりにレバーから手を放し、アクセルを踏んで通りを走った。いつもの見慣れた景色が少し汚れているのは、言うまでもなくフロントガラスにこびりついた糞のせいで、帰りも同じ目に合うのかと考えると憂鬱ゆううつな気分になった。会社に着いてからウェットティッシュか何かで掃除すればいいじゃないか。すごく真っ当な意見だと思う。しかしだな得体の知れない糞をウェットティッシュごしに触るというのも気が進まない。加えてこびりついているわけだから、指で押し込んでゴシゴシとこするわけだろう?気持ち悪いね。そんなことを考えながら朝ごはんを食べるのは嫌だし、そんなことをした後に朝ごはんを食べるのはもっと嫌だ。まあその内自然に綺麗になるさ。前にも似たようなことがあって、そのときも暫くの間我慢した。今回もそうしよう。そうこうしている内に行きつけのコンビニが見えてきたので、バックミラーを睨み付け、指示器を出すとハンドルを回して左折した。


 コンビニの駐車場にはワゴン車と軽トラが止まっており、その二台の車の間に頭から駐車した。店内に入ると見知った客と見知った店員がいた。土方の兄ちゃんもスーツ姿のサラリーマンもダサイ制服を着た店員も平日はほぼ毎日顔を合わせる間柄になってになっており、死んだ魚の目をした四人の働き人たちとの間には、不思議な結束力みたいなものが生まれていた。


 土方の兄ちゃんは決まって焼きそばパンとおにぎりとお茶を買う。三十代後半から四十代前半のサラリーマンは珈琲とタバコを買う。店員は夜勤の疲れを全面に曝け出しながら、気怠そうにレジを仕切っていた。


 私はいつも通り、日替わりの菓子パンを手に取った。月曜日は決まってソーセージが挟まったパンで、火曜日はメロンパン、水曜日は焼きそばパン・・・と言った具合に日替わりでパンを変えているのだ。


 レジにソーセージパンを持っていくと、俯いたまま挨拶の一つもなく、ライン作業のように機械へバーコードを通していく店員に安心した。失礼とかそういった感情は少しも湧いてこない。仕事前の憂鬱な時間に元気に挨拶されたほうが困ってしまう。その時々の気分によって店員に求める接客態度は変わる。他の人がどうかは知らないが、少なくとも私はそういう人間だった。休日かつ健康で気分がいい時は、この店員に対して嫌悪感を抱くのかもしれない。なんだこの愛想のない店員は虫酸が走るなといった風に。しかし今、この瞬間に至っては彼のように無愛想極まりないぐらいの方が居心地が良かった。適材適所とはよく言ったもので、まさに彼は適材適所を具現化した存在だった。想像して見て欲しい。覇気が失われ、愛想が失われ、清潔さも失われたこの男が銀座だか丸の内だかの洒落た都会の町のランチ時に働いている様子を。一週間持つだろうか。いや持たないと思う。薄汚れた作業着を身につけ、経済状況も生活も人間関係も何も潤っていないであろう工場勤務の男達の町のコンビニにこそ彼は必要なのだ。現に彼は正しい場所を選んだわけであって、それは偶然ことなのかもしれないけれど、我々のような人間にとっては必要不可欠な社会の歯車だった。


 様々な歯車と歯車が嚙み合って、歯車は少しずつ大きく精巧な作りになってゆく。その大きな歯車のせいで見えなくなってしまった先には何があるのだろう。ガワだけ綺麗にして、内面は化け物になってしまった権力者だろうか。歯車の塊の数だけ権力者という名の化け物がいて、その魑魅魍魎ちみもうりょうたちが跳梁跋扈ちょうりょうばっこする世界は一体どんな世界なのか。一回でもへまをすれば、文字通り殺されてしまう世界なのだろうか。もしそうなら私は歯車の方が幸せだ。添加物たっぷりの安物の菓子パンを喰らい、売れ残りの総菜に半額シールが貼られるのを待つ時間をどうにかこうにか捻出しているほうが性に合っている。大都会の色街で膨大な権力を使い、虚栄心にまみれた幸せを買うよりも、働き口が工場しかないような町に転がっているささやかな幸せを拾い上げている人の方が好きだ。前者はそれこそ化け物にしかみえない。後者の方が人間らしいし、そういう人になりたいと私は思った。


 お釣りの小銭がいつもより多いのは、物価高による値上がりのせいだ。先週まで百五十円だったのに、今週からは百五十二円とすごく中途半端な金額になっていた。その影響でお釣りが五十円玉一枚で良かったところが、十円玉四枚と五円玉一枚と一円玉三枚になってしまった。これは少々厄介なことになってしまったなと、訝しげに首をかしげながら私は店を出た。車に戻って小銭を財布に押し込むと想定しているより嵩張ったので、これはどうしたものかと腕を組んで考えあぐねていると、クラクションの音にはっとさせれ、急いで会社に向かった。桜の木を目印に右折すると、会社の事務所が見えた。


 私の勤務場所は、大小の工場がヒマラヤ山脈のように乱立した工業地帯の一区画にすぎないため、初めて来た時は迷子になりかけた。そこで何か目印はないものかと、探している時に目に留まったのがさっき眼前を通過した桜の木だった。春には鮮やかな桃色の花を一面に咲かせて、色褪せた花びらがアスファルトを汚染する。今は新緑の葉を生い茂らせているだけで、他の名も知らぬ木々と見た目が変わらず、実際のところ目印にはなっていない。この木が桜の木だと断言できる人は少ないと思う。春にだけ目立つので、時期が良かった。でなければ次の日も迷っていたかもしれない。  


 「015」と地面に記された場所に車を駐車し、事務所の一階にある更衣室へ向かった。幸いにも更衣室には誰もおらず、悠々とツナギに着替えることができた。爪先に鉄板の入った黒い作業靴に履き替え階段を上り、二階の事務所の扉を開けると、上司の川原が他人の椅子の肘掛けに足を乗せながらテレビを見ていた。そういう偉そうな態度をとるのはひ弱な内面を守るためなのか、その姿勢でないと腰が痛むのか、事情は知らなけれど毎朝見るたびに不快な気分になった。態度から見てわかる通りこの上司は、傲慢で自己中心的で他責思考な性格の持ち主なので、とても年下の人間がどうこうできるタイプの人間ではなかった。ましてや自分の息子ぐらいの年齢の奴に注意されようものなら、激昂するのではないかという非常に厄介な雰囲気を漂わせていた。


 私は溌剌とした声音で「おはようございます」と挨拶をした。挨拶が返ってくることもあれば、返ってこないこともある。今日は返ってこなかった。ということはつまり機嫌が悪いということを暗示しているわけだ。それが分かったからといって何ができるでもなく、怒り出したら面倒くさいだけで、何もなければラッキーとただそれだけのことだった。


 「ハンコ」と上司が嗄れた声で言った。私は「はい」と返事をし、デスクの引き出しから自身のシャチハタを取り出して上司の川原に手渡した。川原は担当と記された箇所に私の印を押すと、ハンコと共に一枚の書類を添え、押し付けるように手渡した。受け取りに少し手間取っていると、チッと舌打ちをされたので、「すいません」という機械的な謝罪で事を収めた後、押し付けられた書類に目を通した。書類に書かれている内容は至ってシンプルで昨日の引継ぎと、本日の点検内容や留意事項だ。特段変わったことは書かれておらず、今日も先週と同じことをやるだけだと思った矢先、「13番のコンベアの電源を切ってこい」と川原に指示されたので、仕方なく一階の電源室に向かった。電源室は階段を降りてすぐの右の扉の先で、階段の真下には更衣室が配置されている。私は重い扉を開き、薄暗い電源室の中に足を踏み入れた。お目当ての13番のコンベアは電源室の左奥に位置し、その他にも四十種類以上の機械用のモータ電源がここに集約されている。


 私は図書館の本棚のように立ち並ぶ長方形の電源BOXの間を抜けて、13番コンベアの電源を落とした。ガチャンと大きな音がなってグリーンランプが消えた。大方コンベアのクリーナでも点検するのだろう。そう思いながら電源室から出て階段を上り、川原に電源を落としたことを報告した。川原は両耳にイヤホンをしており、声が届いていないように見受けられたのだが、それ以上伝えようとはしなかった。無理に伝えたところで機嫌を損ねてしまうため、意味のないことはしない。あと二年で定年退職だ。さっさとくたばってくれやしないかなあ。このクソの役にも立たないデカ物は、指示をするばかりで自分では一切動こうとしない。それでミスが発覚した時には、「全部お前らの責任だ」「俺はそんなこと言ってない。お前らが勝手にやったことだ」の一点張り。ただでさえ人不足ではあるが、こいつに関してはいない方がましだと思えた。一番厄介なのは敵ではなく無能な味方とはまさにその通りで、こいつに関しては役職内の権限まで持ち合わせているため、邪魔な存在でしかなかった。


 私はソーセージパンを水で流し込み、現場に向かうことにした。外は蒸し暑くて決して居心地が良いとは言えないが、川原と同じ空気を吸うよりは大分とましに思えた。私に任された仕事の内容は、石炭を運ぶために揺れ動くコンベアなどの機械が健全に運転されているかの確認をするというものだった。回転しているローラから異音や異臭が発生していないか、石炭が漏れ落ちていないか、コンベアの黒いゴムに亀裂がはいっていないかといった異常が発生していないことを祈りながら現場を見て回るお仕事。他の人が祈っているのかどうかは知らないが、トラブルが発生した日とそうでない日とでしんどさが全然違うため、祈った方がいいと思う。神でも仏でもイエスでもムハンマドでも何でもござれ、祈って損はないだろう。やりがいもクソもないし、夏は暑いし、冬は寒いし、年がら年中、石炭で顔が黒く汚れるしで溜まったもんじゃない。でもこれが仕事だから食ってくには仕方ないと、言い聞かせて働くだけ。歯車に意見など求めていないし、替えの歯車はいくらでもいるといった具合に、会社も親会社も強きな姿勢で給与は上がらない。残業代が出るだけましだと先輩がよく口にしているけれど、その残業代の時給が法定内の金額なのか怪しかった。


 私は更衣室のロッカーから防塵マスクを手に取り、ヘルメットを被って外に出た。太陽は完全に雲に覆われていて、曇天の空に様変わりしていた。雨に濡れずに戻ってくるのは不可能に近いだろうなと思いながら、どうせ汗で内側からもびちゃびちゃになるしなあとも思いながら、一番コンベアの方へ向かって歩き始める。なんてことはない。何もなければ少し息苦しい散歩にすぎない。できるだけゆっくり歩いて、時間を稼ぐ。時々立ち止まって海を見ながら時間を潰す。さぼっているわけではない。こういう仕事は休憩も仕事の内なのだ。ただでさえ暑いのにサウナのような粉塵まみれの建屋内で、顔の半分以上を覆いつくすようなマスクを付けて作業をするのだから、適宜小休憩を挟まないと死んでしまう。


 私は防塵マスクを装着し、一番コンベアの建屋内に足を踏み入れた。途端に空気が変わり、暑さと粉塵に嫌気が差してしてくる。建屋内はモータの回転する音と、コンベアを支えているローラの回転する音で満たされていた。コンベアの上には並々に盛られた真っ黒な石炭が、かなりのスピードで流れている。どれくらいのスピードか例えるなら、私が全速力で走ったぐらいのスピード感だ。ちなみに高校の時の五十メートル走のタイムは9.32秒で走るのは苦手だった。今だったら10秒を切れる自信がない。そんなことを考えながらコンベアに沿って歩いていると、ローラの下に石炭が渦高く積み上がり、今にもローラに接触しそうになっているのを見つけてしまった。よく見るとその奥にも似たように積みあがっている場所が数箇所あった。見て見ぬふりをすることもできなくはないが、それを繰り返して最後に馬鹿を見るのが自分になる可能性の高さを鑑みると、無意識に体が動き出していた。


 全身の穴という穴から汗と溜息を吹き出しながら、トンボを使って積みあがった粉末状の石炭を均してゆく。川原の大馬鹿が言うには、石炭がローラにくっついてしまうとローラと石炭が擦れることにより摩擦熱が発生し、火災に発展する恐れがあるとのことだ。だから積み上がった石炭を見つけた際には、必ず平らにするようにと口酸っぱく言っていた。言っていることは理解できるが、自分はやったこともない癖に偉そうな態度を取るのは許し難いものだった。お前のその出っ張った顎や前歯や腹を均せという話なら喜んでやってやるのだがな。まずトンボの先を鋭利なノコギリ状の刃に変えてだな、腹の肉を抉り取った後、ハンマーで顎と前歯を叩きわってやろう。ついでにその醜い面も、のっぺらぼうみたいに平らにしてやろう。お前が血しぶきを上げながら喚きちらして、死んでいく姿は爽快だろうな。最初は強気に「こんなことをしてただで済むと思うなよ」と脆弱な自尊心を振りかざしてくるんだろう。次第に「やめてくれ、悪いことをしたと思ってる。すまない。土下座でもなんでもするからこんなことをするのはやめてくれ」と懇願してくるのだろうな。上司である川原貴史惨殺のプランを練ったり、苦しむ姿を想像している内に仕事が一つ終わった。


 私は石炭がこびりついて真っ黒になった壁にトンボを立て掛けた。まさか中学校の時、運動場を均すのに使っていたトンボを毎日のように使う羽目になるとは。人生何があるかわからないものだ。中学生のいつだかに初めてトンボを触った瞬間、我々は目に見えない運命の糸で結びつけられてしまったのか。だとしたら今すぐにでもハサミで切ってしまいたいところだが、トンボと離れ離れになってしまった世界は今よりましなのか。トンボの方がましだったと思える何かに結び付けられやしないか。こういう時、楽観的に捉えて何事も考えず、ただ目の前の苦痛から逃げ出せる人間だったらと何度自分を憎んだかしれない。やめたらやめたでもっと辛いことが待っていると、ありもしない蜃気楼しんきろうに怯えるのだ。しかしその怯えも強ち間違っていないというのが、目を背けることができない厄介な現実だった。やめて正解の奴もいれば、不正解の奴もいるわけで、しかしその答えはやめてみないとわからない。まるで死後の世界が存在するのかどうかについて議論しているような感覚に陥ってしまうのは私だけだろうか。考えても埒が明かないのは重々承知の上で、暇つぶしとして割り切ることができれば良いのだけれど、やはりかげりの多い未来を想像してしまうと少なくないダメージを心に負ってしまうわけで、それは必然性に限りなく近い自傷行為のようなものだった。


 そもそも何故石炭がローラの下に落ちてくるのか、一度考えたことがあった。それはベルトコンベアの構造上仕方のないことではあった。ベルトコンベアというのは両端にある大きなローラに縦長のゴムベルトを巻き付けて、その大きなローラとローラの間を無数の小さなローラで支えている。簡単に言えばそんな感じだ。当然ゴムベルトの上面にあたる部分には、石炭が常時積載されているわけだ。では下面はどうなっているか。当たり前のことではあるが、ベルトコンベアはグルグルと同じゴムベルトが永遠と回転を繰り返している。つまり上面を終えたということは下面になってまた来た道を戻っていくことになる。例えるなら競技水泳のターンみたいな感じだ。すると湿り気のある石炭がベルトに付着したまま、下面を通過していくことになってしまう。そうなってしまうと間をを支えている小さなローラが、付着した石炭をこそぎ落す役割を兼ねてしまうのだ。だから対策としてベルトにクリーナが取り付けてあるのだが、クリーナとベルトの接触が甘かったりすると、今日みたいなことになってしまう。理屈が分かった所でやらなくてはならないし、知らない方が良かったことに分類されるのかどうかわからないが、仕事は残っているため残された選択肢は次の2番コンベアの状態を確認することだけだった。


 幸か不幸かその後8番コンベアまでは特に問題なく動いていた。ローラの下も綺麗な状態だった。綺麗と言っても、悪魔で石炭の粉塵が飛び交う環境にしてはという前置きが必須ではあるが。しかしある箱の点検窓を覗いた瞬間、私は絶望の淵に追い込まれた。私を絶望に追いやったその光景とは、山のように積みあがった石の山だった。いつもなら多くても踝ぐらいの高さまでしか積みがっていないのに、今日は異常だった。胸の高さまで石が積みあがっている。加えて一個当たりの大きさもいつもの倍だ。マスクで見えていないだろうが、あんぐりと開いた口が塞がらない。こんなの初めてだ。昔あったとかも聞いた記憶がない。


 ぼけーと呆けている間にも一つまた一つと石が積まれていく。こんなの一人でどうにかなる量の範囲を遥かに超えている。冗談抜きで人が死ぬ。その人は私だ。親会社の連中は石炭と間違えて石を買ってしまったのだろうか。それこそ数メートル規模の石垣を作れるだけの量があるんじゃないか。石垣と言えばあのフナ虫たちは元気にやってるかな。いやいやそんな悠長なことを考えている場合ではない。とりあえず川原へ報告しなければ。どのみち一人では無理だ。


 私は胸ポケットからPHSを取り出し、川原へ電話をかけた。四回目のコールの途中でようやく川原の低い声が聞こえた。「あん?今忙しいんやけど」どうせイヤホンを付けていて気付かなかっただけだろと悪態をついてやりたいところだが、グッとこらえて事の経緯を説明した。


「そういう状況なので一人では無理です。応援をお願いします」

「チッ。とりあえず向井の奴を行かせるから」

「ちょっと二人でも無理ですよ。ちゃんと話を聞いてましたか?」言い終わった後、聞こえてきたのは、電話の切れたプープーという音だけだった。たぶん何も伝わっていないだろう。どうしようもないので向井が来るまで一つずつ石を運び出すことにした。二,三個運び出した時点で、私の中にある何かが吹っ切れた。このまま石を運び続けていれば、確実に倒れることができる。そうなれば死ぬか、病院のベッドの上だ。どちらも比べるまでもなく、今より素晴らしい世界だ。そうとわかれば早く倒れたい。倒れたい。倒れたい。血液の中に倒れたいが混ざっているかのような衝動に体が勝手に動き出した。

 

 私は只管に石を外に運び出した。石を掴んで、箱の敷居をまたぎ、少し歩いて荒れた芝生の上に石を放り投げる。それをロボットみたいに繰り返した。汗をかきすぎていて、小雨が降っていることに気付くのに少々時間がかかった。雨に思いを寄せる間もなく、体は吸い込まれるように建屋の方へ向き直った。まるで無作為に積み上げられた石の中にブラックホールが紛れ込んでいるみたいだ。一刻も早く倒れることを願っている体が動きだそうとしたその時、肩の辺りに抵抗を感じた。力強いその抵抗は私の肩をがっちりと掴んでおり、離れる様子がなかった。続けて声が聞こえた。最初は物凄く遠くから何か音がした程度にしか聞こえなかったのだが、その声は次第に明瞭になってゆき、鼓膜に届いた。


 「おい、大丈夫か。声聞こえてるんか」私は咄嗟に振り向いて、声の主と相対した。声の主は向井だった。茶髪の毛をクルクルと遊ばせ、丁度目にかかろうとしている前髪は紫色にメッシュが入っている。間違いない。こんなにチャラついた人は向井しかいない。三十代も半ばを迎えようとしているのにも関わらず、よくもまあこのようなチンケな容姿を維持しているなと呆れに限りなく近い感心が、倒れたいを含んだ様々な感情の類を大きく上回った。これで妻子持ちだというのだから、逢沢にしても向井にしても催眠術か何かをやっているんではないかとさえ思えてきた。それとも世の女性たちが、私の感知しえぬ所でたくさん狂ってしまったのだろうか。


 もしかするとあれか。二年ぐらい前に皆が半強制的注射させられたmRNAワクチンの後遺症か。もしそうならとても気の毒に思う。何も言わずに突っ立っている私の態度に痺れを切らしたのか、結露で水滴にまみれたペットボトルを差出しながら向井は言った。「おい岩本。お前フラフラやないかい。とりあえずこれ飲め。熱中症で死にたいんか?」喉元まで出かかった「はい。死にたいです」の返事を押し殺して私は言った。「いやまだ大丈夫っすよ。なんせ石が馬鹿みたいに多いんで、見てくださいよこれ。これでまだ十分の一どころか二十分の一も終わってないっすよ」向井は芝生に転がっている石を一瞥し、鼻で笑った。

「まあまあええから。一旦これ飲みながら座って休憩しとけ。俺は写真とってくるわ。後であの馬鹿に報告せんと何言われるか」あの馬鹿とは勿論上司の川原のことである。我々平社員の間では、「あの馬鹿」がいつしか共通の呼び名になっていた。


 私は差し出されたペットボトルを受け取り、その場に座った。手が疲れているせいか蓋を開けるのに手間取った。これを飲んだら倒れることはできなくなってしまうだろうな。スポーツ飲料水だから塩分までしっかりと補給できてしまう。一度我に返ってしまうと、本能に逆らうことはできず、気づいたときにはペットボトルの半分まで飲み干していた。「あーこりゃあかんわ。わやじゃ、わやじゃ」向井が石を二つ抱えながら出てきた。「こりゃーあかんわ。二人でどうにかできる代物ではないなぁ。まあでもやれるだけやってみるか」そう言い捨てて、向井はまた建屋の方に戻っていった。


 こんなに絶望的な状況なのに、何故あの人はあんなにも楽観的でいられるのか不思議で仕方なかった。あの石の山を見て、「やれるだけやってみるか」と明るい声音で言えるか?あの人はおかしい。もしかすると既婚者という奴は皆どこかおかしいのかもしれない。妻と子供を養っていかなければならないので、端から逃げ出すという選択肢が存在しないからこその境地なのか。


 向井と私の決定的な違いはなんだ。筋肉量か?それともあの浮ついた髪型か?いや違う。妻子がいるかいないかだ。なんだつまりは妻子がいるならば、あの石の山を全て人力で運べと命令されても平気なかのか?或いは、あの石の山を全て人力で運べと命令されても平気だから妻子を持てるのか?ってことは逢沢は平気なのか。鶏が先か卵が先かみたいな話になってしまうけれど、父親という生物はこれほどまでに強くないと務まらないのか。


 「あの向井さん辛くないんですか。なんで少し笑顔なんですか」思わず口から飛び出たその疑問は、私が最も知りたいことだった。

「辛いなんては思わないなあ。こんなんで辛いなんて言ってたら子供は育てれんわ」向井はこちらに満面の笑みを向けて言った。やはりそうか。今日ではっきりわかったことがある、それは私は父親にはなれないということだ。どうやら子供を育てる重責とやらは、あの石の山の数倍は重たいらしい。そんなものを常に担いでいるなんて正気の沙汰ではない。

「そうっすよね。子供育てるの大変っすよね」そう言って私は石の山に吸い込まれていった。

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