09 王弟殿下
「無事で良かった」
救護室の個室の外、王弟殿下の声だ。
侍女が、カーテンを少し開けて、王弟殿下の衣服着用を確認してから、大きくカーテンを開いた。
黒い瞳が潤んでいるように見える。男性が安心する時の顔って、こんなに優しい表情なんだ……久しぶりに心が温かくなった。
「申し訳ありません、お心を、わずらわせました」
私がお礼を言っている間に、侍女がカーテンの外に出て、二人きりにしてくれた。これも、大人の配慮なのだろう。
「フランは、冷たい水が苦手だと知っていたのに、対応が遅れてすまなかった」
王弟殿下が、悔しそうに顔をゆがめた。
でも、私のことを、フランソワーズ嬢ではなく、愛称のフランと呼んでくれた。
「兄さまに、また、助けられました」
私は、王弟殿下ではなく、幼い頃のように兄さまと呼んだ。
お互いの瞳を見つめ、温かい沈黙の時間が流れた。
「クロガネ様、急ですが、正妃様と国王専属メイド長が、フランソワーズ様に面会に来ております」
カーテンの外から、侍女が、王弟殿下に報告した。
「正妃か……仕方ない」
「フランソワーズ嬢、正妃が来ている。たぶん、第一王子との婚約の話だろう。中に入れても良いか?」
王弟殿下が私の意見を訊いてくれた。
私たちは、現実に戻っている。少し悲しい。
「大丈夫です。王弟殿下が……側にいてくれるから」
◇
「フランソワーズ様、具合はいかがですか? あ、そのままで、挨拶を省いて、どうかベッドの上でと、正妃様は申しております」
ベッドから起きようとした私を止めたのは、国王専属のメイド長だ。
私の母親くらいの年齢だろうか。金髪で青い瞳、紺色のメイド服に、白いロングエプロンで、けっこうな美人だ。
国王専属であるメイド長が、正妃に付き従うのは、珍しい。
「そのまま聞いて頂戴。タロスとの婚約契約書へのサインを、次週日曜日、今日と同じ午前中に、泉の前で行います。遅れないように王宮に来なさい」
王妃は、金髪にグレーの瞳、艶のあるライトグレーのロングドレス、金糸の刺しゅうが高価さをアピールしているが、これでも普段着だ。
顔は、なかなかの美人である。容姿を重視したトロフィーワイフと言われているが、国王は、貴族院のバランスを重視するため、容姿に関係なく、政略結婚を受け入れたとも聞いている。
王国の安定のためには、私は第一王子と政略結婚するしかない。正妃の命令じゃ断れないし、私の独身生活は、あと七日か……
「わかりました」
丁重に承諾したが、内心はいやいやだ。
「本当なら、今すぐサインを求めるところだけど、婚約契約書が、どこに行ったのか不明なの。全く、役に立たない兄だわ」
正妃の兄は筆頭侯爵である。婚約契約書の紛失は、筆頭侯爵の落ち度になっているようだ。王弟殿下が持ち去ったのに。
犯人である王弟殿下は、ニヤリと私に目でサインを送ってきた。正妃に見えないように、指でグッドジョブと返す。
「……タロスのこと、頼むわね」
正妃は、あんなゲスな第一王子でも、我が子であり可愛いのだろう。子供のいない私には、分からない気持ちだ。
それだけを命じて、さっさと帰った。
◇
「クロガネ様、緊急の報告があります」
侍女マーキュリーさんの顔色が変った。廊下から何かメモを受け取り、目を通した途端だ。不器用な私でも、余程の事が起きたんだと判るくらいだ。
「どうした?」
王弟殿下が不審そうに報告を促す。
「エメラルティー侯爵が、爵位を返上して、屋敷に籠城、ストライキを始めました」
「はぁ?」
殿下は、報告の内容を飲み込めないでいる。
……え? エメラルティー侯爵って、私の父じゃん。
「不当に高い税額など払えない、領民を苦しめることは許さん、税の見直しを要求するとの声明を出しています」
侍女は、無表情で報告したが、王弟殿下は理解できないという顔のままだ。
「あのガンコおやじが!」
普段は温和な王弟殿下が、大声を上げた。
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