第四話

「さむっ……」

 準備を終え、事務所から出た僕の頬を、夜の冷えた風が引っ掻く。

「さてと、じゃあ行きますか」

 自然と独り言がこぼれてしまう。

 二人で仕事をしていた癖が抜けないのか、なんて事を頭の片隅で考えながら、僕は目標位置まで移動する。

「あの建物だな」

 時刻は夜の十二時。頭にたたき込んだ情報と、ビルの上から見える建物を照らし合わせた。

 目標は三階建ての廃事務所。無人に見せかけているが、窓から周囲の様子をうかがっている人間を二人確認した。

「中にいる人間の数は未知数、やっぱりキツいな……」

 何度脳内でシミュレーションしても、この仕事が成功する確率はほぼ無い。

 足りない情報、足りない戦力、何一つとして万全なものは無い。確かにこれは成功させる気の無い、殺す気しかない仕事だ。

「バイトやめたい」

 ならるしかないだろう。逃亡すればキルコーポレーションとの全面戦争は避けられない。選択肢など無いのだ。

「ま、成功したらしたで結局殺されるんだろうけど……やってから考えるか」

 生憎あいにく、こちらも殺る気満々だ。

 今回の任務、違法薬物をさばく組織の壊滅。

 建物はボロボロで窓も割れたままだ。そのすきにつけ込まない手は無い。

 僕はビルを降り、間違っても見張りに気づかれないよう移動を開始する。

「ここからなら狙いやすそうだ」

 別の建物の陰に隠れ、見張りの様子を窺う。

 たまにはあの飲んだくれの先輩のように、勢いに任せて突っ込んでみる事にしようか。

「全員殺す」

毒蛇どくへび兵器へいき スモークグレネード】

 ピンを抜き、バイパー製の毒ガスが噴出するスモークグレネードを、割れた窓に向かって投げつける。

 建物の一階からは黄色の煙が立ち上り始めた。

 因みに毒の成分は不明。アタッシュケースに雑に入っていた道具の説明書には、『しびれさせる』とだけ書いてあった。

 適当すぎる。毒のプロフェッショナルだろアンタ。

「な、なんだこれ!」

「攻撃されてるんだよ! 敵襲だ!」

 き込む音と、パニックになっている声が建物から聞こえてくる。どうやら予想していたよりも人数が多いようだ。

「オイ! 早く外に出ろ!」

「あ……あれ……からだが……」

「全員煙から離れろ! この煙を吸うのはまずい!」

「そうですよ。気がつくのが早いですね」

「なっ!」

 ガスマスクを装着し、窓から建物内に侵入する。

 視界に入ったのは九人。倒れているのは五人。思ったより効果が薄いな。

「お前は……っ!」

「さよなら」

【毒蛇兵器 猛毒ナイフ】

 緑色のいかにもヤバそうな液体が付着したナイフ。

 飲んだくれいわく、『取り扱い注意。間違ってもめないように!』

 馬鹿にしすぎだろ。

「こいつ……っ!」

 致命傷を負わせる必要は無い。かすり傷をつければ十分。

ぎんきょう兵器へいき サイレンサー付きピストル】

 銀色に輝くピストル。元々は先輩用に特注されたものらしく、グリップや銃の重さに至るまで、とにかく使いやすくなっているらしい。

 先輩曰く、『銀梟の鉤爪かぎづめ』。

 格好良すぎる。正直書いていただいた説明のほとんどは理解できなかったが、使いやすいのは明白だ。

 両手に持った二つの武器で、毒煙に巻かれなかった四人を始末していく。

 腕を刺し、頭を撃ち抜き、首の動脈をき切って、胸の辺りに数発弾丸を撃ち込む。

「想定内だったな」

 気づけば建物の床と壁は血まみれだった。

 いくら無人と思われている廃事務所だからと言って、あまり派手にやりすぎると第三者に気づかれる恐れがある。出来る事なら面倒なのは避けたい。

「な……んあ、おあえ……」

 まともに舌も回らなくなった男が、地面にいつくばったまま僕を睨んでくる。

「ひゃ……ひゃめ……」

 命乞いをしているのか、男は涙と鼻水を垂れ流しながら僕を見上げる。

 そんな彼に、僕は銃口を向けた。

『君は人を殺す時、一体何を考えているんだい?』

 そんな声が、銀色の銃身から聞こえた気がした。

「ごめんなさい……」

 僕はびる。彼にではなく、先輩に。

「ごめんなさい……僕は嘘をきました。正直先輩に笑ってほしくてウケを狙いに行きました」

 本当は夕食の事なんて考えてはいない。僕は……

「僕は、本当は何も考えていないんです」

 彼にも家族がいて、友人がいて、恋人がいて……そんな事は心底どうだっていい。

 ただ、仕事だから殺すだけだ。心なんて痛むはずもない。

 彼はなんでもない、ただの人間だ。

 家族でも友人でもない、ましてや大切な人でもない。

 分かった上で、理解した上で、僕は引き金を引く。

「『お客様を仏様に』。安心と平穏をお届けする、キルコーポレーションです」

 せめて、これを言うのが最後になるよう、祈っておこうか。



 想定内なのは組織を構成している人間の戦闘力。粗悪な武器しか持たされていない、ただのチンピラ崩ればかりだ。

「想定外なのは……人数……」

 そのせいで、思っていたより時間と体力を使ってしまった。

「いたぞ!」

「クソッ……」

 少し休もうとしても、その数と建物自体の狭さから簡単に見つかってしまう。建物外に出ようとしても、窓や扉、建物の外にも人員が配置されている。

「正面戦闘は避けて、なるべく一人ずつ……」

 万事休すと言いたい所だが、やる事は変わらない。逃げずに僕を追いかけてくるのなら、むしろ好都合だ。

「チッ! あの野郎どこに……」

 僕を追って先行しすぎた大柄の男。

【毒蛇兵器 超硬質ワイヤー】

「がっ!」

 男の背後からワイヤーで首を絞めた。首に食い込んだワイヤーから逃れようと男はもがいている。

「大人しくすれば、すぐ楽になりますよ」

 使えるものは全て使わせて貰おう。

「すみませんが、あなたには僕の盾になっていただきます」

 話しかけても泡を吹く音しか返ってこない。

「あそこだ! 撃て!」

 仲間を盾にしたのに容赦なくぶっ放してくる。人の心の無い奴らめ。あっという間に僕の盾が粉みじん寸前だ。

「これでもらってろ!」

 残っていたバイパー製スモークグレネードを投げ、空いていた小部屋に転がり込んで扉を閉める。

 あれぐらいでは大した時間稼ぎにはならないだろう。

「今は二階だったよな……一階よりも人が明らかに多くないか?」

 どっからこの人数が湧いて来るのか不思議でならない。薬をさばいてるだけの組織のはずなのに……

 僕の思考をさえぎるかのように、やけに軽い音が部屋に入り込んできた。

「なるほど、それくらいは持ってる訳か」

 休憩終了。窓から投げ込まれたグレネードは、再開の合図にしては、いささか物騒すぎる。

【銀梟兵器 ショットガン】

 部屋の扉を蹴破けやぶり、待ち構えていた男たちにぶっ放していく。

 一発で男の上半身が消し飛んだ。

 壁に汚い臓物と赤いシミが飛び散る。

「威力たっか……」

 こんなものを扱っていたなんて、恐ろしい先輩だ。

「ひっ……」

「あぁ、なるべく動かないでいただけると助かるのですが」

 もちろん、ここでの『助かる』は僕が助かるという意味だったが、返事は無い。抵抗も止まらない。

 ショットガンで男たちの身体を吹き飛ばしながら、上の階を目指していく。いつまで経っても、この火薬の匂いと、鉄棒のような血の匂いは好きになれない。

「ほんと……バイトって面倒だな……」

 何人殺した? あと何人殺せばいい? そんな事を頭の隅で考えながら、歩を進めた。

 罪悪感は微塵みじんもない。ただ、引き金を引くたび、全身にけだるさが纏わりついていく。

「考えてたら死ぬな。とりあえず前に進もう」

 そしてたどり着いた階段。僕が三階に上がると、なぜか銃撃がピタリと止んだ。

「え?」

 うるさいくらいの発砲音が、一瞬で静寂に化ける。振り返っても誰かが追いかけてくる様子はない。

 どう考えても怪しいが、逆にこれはチャンスになり得る。今のうちに体勢を整えよう。

 弾薬の装填を行いながら、脳は変わらず回転させ続ける。

 なぜ撃つのを止めた? 弾切れ? 僕を油断させるわなか?それも多分ない。他に考えられる事は……

「撃たないんじゃなくて、撃てないのか?」

 その考えを裏付けるように、廊下の突き当たりの部屋からガタン、と物音がした。何かが倒れたような、そんな音が。

 言い表せない嫌な予感が、加速度的に膨らんでいく。

 ふと、先輩の言葉を思い出した。

「対策の上に対策を……」

 ショットガンを構えたまま、部屋の扉を開く。ピストルとナイフはいつでも抜けるように準備してある。

 部屋の中はボロボロだった。段ボールが部屋中に積まれていた事だけが、他の部屋と違っている。

「これは……例の薬物か?」

「あぁ、そのとーりだ」

 声のした方に、反射でショットガンの引き金を引いた。

 至近距離で当てた。かわすのは不可能。この威力のショットガンでなくとも、当たればはちの巣になるのは間違いない。

 しかし、当たった男は衝撃で壁に激突しただけで、何事もなく立ち上がった。

「いてて……いきなりご挨拶あいさつだなー」

 まるで僕の方が撃たれたような感覚だ。息が荒くなる。

 コイツはまずい。今まで出会ってきたどの人間とも違う。まず、人間かどうかさえ怪しい。

 ショットガンで撃たれて一滴も血が流れていないのもそうだが、もっと奇妙なのはその姿だ。

 地面まで伸びた真っ黒な髪、絵の具でも塗ったように血走った両目。反対に死体のように真っ白な肌。

 人間の姿をしてはいるが、その様相はホラー映画に登場するバケモノそのものだ。

「いろいろ聞きたい事があんだけどよー、とりあえず一回ソレおろしてくれねーかなー」

 不快だ。間延びした男の声が。大学にいるチャラい奴らとは比較にならないくらいに。

 声だけじゃない。立ち上がる所作、頭をかく仕草、ショットガンを指さすその人差し指さえ、不快で不快で仕方ない。

「……あなたを、殺します」

 僕が辛うじて出せた言葉は、そんな子供じみたものだった。

 恐怖している。多分、人生で一番。

 鼓動が速すぎて、まるで心臓が汗をかいているみたいだ。

「なるほどーお前殺し屋かー。まだ若いのになー」

 今度は確実に頭にぶち込む。そう思ってほんの少し、ほんの少しだけ姿勢を前に動かした。

 それだけのわずかな時間で、男は距離を詰め、ショットガンの銃身を素手で握りつぶしていた。

「なーお前、学生だろー? 何でこんな仕事してんだー?」

「何でって……アルバイトですから」

 答えになっていない。会話に脳のリソースを割くほどの余裕が無いのだ。

「そっかー、お前にもいろいろあるんだよなー」

 男は目線も銃身も離さない。僕は身体が硬直して、思うように動けなくなっていた。

おれもなー金がいるんだよー、じゃなきゃこーんな仕事しないよなー」

 衝撃が全身に伝わるのとほぼ同時、視界が暗闇に包まれる。

 次の瞬間には、自分が部屋の外で瓦礫がれきに埋もれている事だけが理解できた。

 殴られたのか? 分からない。身体が全く動かない。一瞬意識を失っていたようだ。

 ポタポタと液体が落ちる音が聞こえる。どうやら頭から血が流れているらしい。

「妹がなーあー血はつながってないんだけどよー。俺の親もアイツの親も、借金だけ作って蒸発してーだから二人で暮らしてんだー」

 妹? 意味が分からない。コイツは何を言ってるんだ?

「妹、まだ小学生でよー。こーれがまたかーいいんだよー。俺の後ろをついて回ってなー、兄ちゃん兄ちゃんって。アイツにこれ以上ひもじー思いさせたくねーんだわー」

 身体の硬直は解けた。どうやらコイツへの恐怖よりも、死にたくないという生物学的な本能が勝ったらしい。

 それでも、今は動くな。

「だからさー、お前にはほんっっっとーに申し訳ねーんだけどよー」

 奴は僕が気絶していると思っている。その隙につけ込んでこのナイフを……


「死んでくれねーかー」


 男はまるで友人から金を借りるかのようにそう言って、僕が振り下ろしたナイフを軽々と掴んだ。

 そしてそのまま腹を思い切り殴られる。

 今度は気絶しなかったので、自分の肋骨ろっこつが折れる音という聞きたくない音を聞いてしまった。

 身体が壁にめり込んだ気がする。口から内臓が飛び出しそうだ。

「おー、まだ生きてんのかー。すごいなー」

 もう一発喰らったら死ぬと、本能的にそう悟った。

 血を流しすぎたからか、頭の奥が冷え切っている。いつもの仕事と同じコンディションだ。

 外から流れ込んでくる夜風が気持ちいい。

「アンタの馬鹿力、例の薬物か?」

 話せるくらいには回復したらしい。

「あーそうみてーだなー。変な注射何本も打ったら、こーんな感じ。笑えるだろー」

 立ち上がって男と向かい合う。

 体格も小柄で、むしろやつれているようにすら見える。しかし、その病的に細い四肢からは考えられないほどの出力。

 正面からやり合うのが非推奨なのは、身体で理解している。

「全くもって笑えねぇよ。仕事でそこまでするなんて、どう考えても馬鹿だろ」

「そーだよなー、まったくそのとーりだ」

 抑揚の無い声で男は笑う。もうなんとも思わない。

「お前おもしれーなー。名前はなんてーんだー?」

 答えず駆け出す。身体の動きはぎこちなかったが、今はそんな事を言っている場合じゃない。

 走らなきゃ殺される。距離を取らなければ死ぬ。

「おーい、なーまーえーはー?」

 当然、男は追いかけてくる。振り返らず階段を駆け下りた。

 二階にはやはり、屈強な男たちが銃を構えて僕を待ち構えていた。

「いたぞ! あのガキだ!」

「そこ、気をつけた方が良いですよ」

 僕の忠告が終わらないうちに、二階の天井が崩れた。

「踏み抜いたのかよ……コンクリートだぞ?」

「んあー? なんか踏んだかー?」

 見事に、屈強な男たちは崩れた天井の下敷きになった。

 瓦礫の上に立つ男の頭に向かって、ピストルの引き金を引く。

 ショットガンでも死なない男に、ピストルが効くはずもない。けれど、それでいい。今は注意を引くだけで十分だ。

「おーい、どこ行くんだよー」

 階段を降りて一階へ。男も再び二階の床を、つまり一階の天井を踏み抜いて追いかけてくる。

 一階にいる奴らも、僕が直接手を下すまでもなく一掃してくれた。どうやらアイツには、僕以外の人間は視界に入っていないらしい。

「アンタの身体どうなってんだ? それ、明らかに人間じゃないだろ」

「そーかもなー」

 簡単に距離を取らせてもらえない。しかし、これで邪魔な奴らの排除は終わった。

 正直、ここまでは期待していなかったが、使えるものは全て使う。それが標的だとしても。

「そーいや名前、まだ聞いてなかったわー」

「知りたきゃまず自分から名乗れ!」

「あー……」

 すると、途端に男は動きを止めた。

「名前……あーなまえな、なまえ。なまえ……」

 ブツブツ何かを呟きながら、男は二日酔いの先輩くらい千鳥足ちどりあしで僕を追いかけてくる。

 僕はもう一度、上に向かって階段を駆け上がった。ただでさえボロボロだった三階が、怪力で荒らされて見る影もない。床も壁も穴がひどい。

「なまえ……あれーなんだっけなー? つーか何で俺こんなことしてんだ? なんか忘れてる気がすんだけど……」

 男はほとんど歩いて追いかけてきていた。独り言はまだ続いている。

「あーくっそ、思い出せねぇ……俺なんでこんなことしてんだっけ……」

「間に合った!」

 たどり着いたのは屋上への扉。鍵がかかっていたが、壊して進む。

 僕が屋上に出てからしばらくして、男がゆっくりとやってきた。

「妹……そうだ、妹がいるんだよー、だから俺はこんなことしてんだー」

「アンタ、しばらく鏡で自分を見てないだろ。酷い顔してるぞ」

 男はピタリと足を止め、こちらを見据える。

 せこけた顔に血走った目。その顔にもう恐怖は感じない。むしろあわれみすら感じる。

「最後に飯を食べたのはいつだ? 最後に寝たのは? 最後に髪を切ったのは? 何も覚えてないだろ。自分の名前すら覚えてないんだ」

 男は何も喋らない。ただ僕を見つめるだけだ。

「でもよー、仕方ねーんだ。俺がやらねーと、妹が生きてけねーんだ。クソ親も蒸発して、もう妹には俺しかいねーんだ」

 男は笑う。笑顔以外忘れてしまったかのように、ただ笑い続けている。

「俺には妹がいてー、俺の家は貧乏だからさー、二人で生きていくためには金が要るんだよー、ほんと面白いよなー」

「……だから、何も笑えないんだよ」

 まるで、仕事をする理由を探しているみたいだ。僕じゃない、自分自身に言い訳を並べている。

「俺は兄ちゃんなんだよー、んで、アイツは俺の妹なんだよー」

「……なら、妹の好きなものは?」

「あー?」

 きっと、コイツには何も無い。コイツの全部が、誰かのどす黒い悪意で塗りつぶされている。

「妹の誕生日は? 妹との思い出は? 妹の名前は? 何か一つでも妹の事を覚えてるのか?」

 コイツにとっての優先順位が狂っている。妹と仕事、人生と仕事、生きがいと仕事。

 本当、不愉快だ。

「いい加減、目覚ませよ」

 スマホで電話をかける。コール二回が合図だ。

 雷が落ちたような轟音ごうおんが響き渡り、男を中心に屋上の半分が消し飛んだ。

「やぁ、子犬くん。順調そうだね」

 スマホからは聞き覚えのある女性の声が聞こえる。

「先輩、一体何使ったんですか? 明らかにやり過ぎですよ」

「何でも一つ願いをかなえると言っただろう? それに、仕事は全力でやるのが私の流儀だ」

【銀梟兵器 何でも一つ願いを叶えるチケット】

 手に入れた時には、全力で脳を回転させて願いを考えたが、やはりこれが最善だった。

 変な気を起こして、先輩の海外行きを止めるなんて願いを口走らなくて良かった。

「まさか、こんな事をお願いされるとは思ってなかったよ。子犬くんは本当に強運だ」

「強運? 何の事ですか?」

「いや、こちらの話だ。それじゃあ、『次の仕事で一発だけ君を支援する』という君の願いは完了したよ」

「先輩、一つだけ僕の質問に答えてもらえませんか? かわいい後輩の、最後の頼みです」

「いいとも、私に答えられる事ならね」

 建物全体が崩壊するような、そんな予感を頭の隅に感じながら、僕は口を開く。

「先輩は引き金を引く時、何を考えていましたか?」

 しばしの沈黙を経て、先輩は答える。

「人の命を奪う。私はこの行為に誇りを持っている。私が私であるための存在意義、生きがいと言い換えてもいい。だから私が引き金を引く時、きっと私は自分自身について考えているんだろうね」

「そうですか」

 やっと認識する事が出来た。この心にある不快感を。

「それじゃあ、後は頑張ってくれ」

「先輩」

 通話を切ろうとした先輩を引き留める。


「僕にとってこれは仕事で、僕はただの人殺しです」


 それだけ言って電話を切る。

 画面には先輩の電話番号と、通話終了の文字だけが映っていた。

「いもうとが……いるんだ……」

 瓦礫の中から男が這い出してくる。先ほどの砲撃とも呼べるような狙撃を喰らって、まだ原型を留めているのは不思議でならない。

 男はただすがるようにそこにいた。

「だから……おれがやらなきゃいけないんだ……ハルをまもれるのは……おれだけなんだ……」

「それが妹の名前か」

 これだけの出血、普通の人間ならそう長くはない。

 丸出しになった傷口からなら、先輩のナイフに付着した毒が効くはずだ。

「……やっぱり、お前らは馬鹿だ」

 血まみれで這いつくばる男を、僕は見下ろしている。

 今なら何でコイツを不愉快に感じたのかが分かる気がした。

「単なる仕事のくせに、さも人生を犠牲にするのが当然みたいな顔しやがって……本末転倒だろ」

「あー……ほんと、そのとーりだな……」

「アンタ、ただ利用されてただけだろうが。変な薬打たれて、バケモノに改造されて、今の自分を見たら妹がどう思うのか、分からない訳じゃねぇだろ……!」

「かえすことばも……ねーよ……」

「妹にとってお前はたった一人の家族なんだろ! それを放って! 妹の事も全部忘れて! これが生きがいとか使命とか薄ら寒い事ばっか並べやがって! お前らの自己犠牲なんかただのアホらしい自己陶酔だっての! いい加減気づきやがれクソ馬鹿野郎がッ!」

 まっていたものを全て吐き出す勢いで、息を整える間もなくまくし立てる。

 男はどこか穏やかな表情でそれを聞いていた。

「おまえ……ころしや、むいてねーよ」

「知ってる。だからもう辞める」

「そーか……じゃーこれが、おれたちにとって、さいごだ」

 男は全て諦めたようだ。何もかも投げ出して、僕からもたらされる死を待っている。

「そーいや、なまえ、きいてなかったな……」

「……まず、お前から名乗れよ」

「そーだったな……フユヒコだー」

 フユヒコ。覚えておこう。

「でー? おまえはー?」

 ナイフを握りしめ、僕は答えた。

「僕の名前は──」

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