第三話

「驚いたな……たちの悪い冗談という訳でもなさそうだ」

 どうやら僕には、普段微笑んでいる人間の顔をぶっ壊す才能があるらしい。

 事務所のドアを開け、正面の席に座るボスは真剣な顔をしている。

 まぁ、もう全てがどうでもよいが。

「一応聞くけど、どうして辞めたいんだい?」

「学校が忙しくなるので」

「……そうか」

 そんな適当な理由で本当に納得したのか、ボスがそれ以上辞める理由を追及してくる事は無かった。

「君が辞めたいのはよく分かった。だが、やはりオススメできない」

「どういう事ですか?」

「君がうちに入った時に渡した契約書、君も目を通していると思う」

 契約書なんてもらっただろうか。覚えていない。

「何しろ仕事内容が仕事内容だ。簡単に辞められない」

 流石は闇バイトだ。僕も簡単に辞められると思ってない。

「じゃあどうすればいいんですか?」

「うちを辞めるには、何か大きな仕事……正直に言えば確実に失敗する仕事を一人でこなす事が条件になっている」

 なるほど、要は口封じという訳か。

 会社の情報が、辞めたソイツから漏れるかもしれない。だから、任務という形で始末するというのは、なかなかに合理的じゃないか。

「『確実に失敗する』なんて、これから辞めようとしてる僕に言って良いんですか?」

「君は優秀なアルバイトだ。会社としても、出来る事なら君を手放したくない。ましてやまだ若い才能を摘むなど……」

「で、僕がやる仕事は何なんですか?」

「……本気か? 確実に失敗するんだぞ? 失敗すれば待つのは死だけだ。君も分かるだろ?」

「それをやらなきゃ辞められないんですよね。じゃあやるしかないじゃないですか」

 ボスはそれ以上、僕を引き留める事は無かった。

「つい先日、君とバイパー君に伝えた例の薬物。あれを闇市場に流している大元を見つけたんだ」

「なるほど、そこをつぶせばいいんですね」

「話が早いな。実行は今日の深夜。薬物が大量に施設へ運ばれてくる所を狙う。今から準備しなさい」

「承知しました」

 ボスはまだ何か言いたげだったが、黙って事務所を出て行ってしまった。扉が静かに閉じる。

 僕は準備のため、事務所の壁に備え付けられたロッカーに手をかけた。

「今から準備するんで、用があるならさっさとしてください」

 そうつぶやくと、事務所の扉が再び開いた。

「よぉ、パピー」

 今日は酒を飲んでいないのか、神妙な面持ちで先輩はそこにいた。

「オマエ、ここ辞めるんだって?」

「はい。それで、止めにでも来たんですか?」

「止めても聞かねぇだろ、だから……ほらよ」

 先輩は持っていた黒いアタッシュケースを、僕に向かって放り投げる。薬品の匂いと酒の匂いが混じった黒塗りのアタッシュケース。中々の重量感だ。

「これは?」

「オレの仕事道具だ。パピーでも使えるやつを選んで詰めといたから、使いたきゃ勝手に使え」

 驚いた。急に何なんだ? 普段は飲んだくれているだけの男なのに、こんなにも後輩に気を遣える人間じゃなかったはずなのに……

「んだよその顔は」

「……もしかして、消毒用アルコールでも飲んだんですか?」

「バカにすんのも大概にしろよ!」

 僕の動揺に気がついたのか、先輩は奇行について説明してくれた。

「昔、オレの先輩だった人が……ってオイ待て! 最後まで話を聞け!」

 仕方なく準備の手を止め、先輩の方に向き直る。

「そのオレの先輩、優秀な人だったんだけどな。度が過ぎるほどのお人好しで、仕事に疲れちまったんだ。そんでオマエみたいに会社を辞めようとして、それで死んだ」

「だから、僕にこれを?」

「少しの間だが一緒に仕事をしたよしみだ。せいぜい殺されねーように頑張れよ」

 そう言うと先輩は、そのまま事務所を出て行った。

「……あれで励ましたつもりなのか」

 勘弁してくれ。別に先輩はただの飲んだくれチャラ男で十分だったのに。正直、少し見直してしまったじゃないか。

「準備、するか」

 先輩に渡された道具、そして僕が持っている道具。これらを組み合わせれば、達成不可能な依頼もどうにかなるかもしれない。

 そう思い、僕は事務所のロッカーを開く。

 普段、事務所にある僕のロッカーには、当然僕の仕事道具しか入っていない。

 だからロッカーにアタッシュケ―スが入っているのを見つけた時にはまた驚いてしまった。

 大きさや重さはさっき先輩に貰ったものと同じ。違うのは表面が銀色な事と、どこかでいだ事のある匂いがする事くらいだ。

 見ると裏側に紙がってある。

「子犬くんへ」

 迅速に、かつ中身を壊さないよう慎重にケースを開ける。

 中には仕事道具と思われるものと、手紙が綺麗きれいに収まっている。

「何となく、君にはこれが必要だと思ってね。お節介かもしれないけど、いくつかの仕事道具を渡しておくよ。直接渡すと君は遠慮するだろうから、こうして勝手に置かせてもらった次第だ」

 手紙には美しい字で、ケースの中に入っている道具の説明がしたためられていた。

「先輩……」

 涙が出そうだった。僕は本当に良い先輩を持ったと、心から思う。

 金属でできた道具の中には、手紙の他にチケットのような紙が入っている。

「──最後に、かわいい後輩のため、君の頼みを何でも一つ聞いてあげる事にした」

 思わず目をこすって文面を確認する。読み違いではない。

「何でもだ。どんな願いでも叶えてあげよう。内容が決まったらそのチケットに書いてある番号に連絡してくれ」

 手紙の最後は梟の絵で締めくくられていた。

 字も上手ければ絵も上手い。流石は先輩だ。

 そう思いながら、先輩の残したチケットの番号をスマホに入力した。

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