矛盾

矛盾(1)

 装甲列車から数日後の夕方、ウルフは首都の繁華街へと出ていた。

 ウルフの職場、ATC本社からそう遠くないところだ。

 彼は人ごみを嫌い、休日でも自宅で過ごすのだが、今日はフォックスとディナーの約束があった。


 多種多様な店舗が立ち並ぶ騒がしい街で、待ち合わせに選ばれたのは戦争記念公園だった。一等地ということだけあり、新参者が入る隙間が無い程に詰め込まれた街だが、ここだけは閑静な公園が広がっている。小さな公園の真ん中には石碑があり、ここで起きた悲劇を語り継いでいる。

 戦争の緒戦、ベルヌーイ空軍機による首都空爆があった。

 大型爆撃機を使った大規模空襲ではなく、少数の戦闘機が低空飛行でレーダ網を突破し、首都を攻撃した。計3回行われた空爆の3回目で、今は公園となっているこの場所に存在した市民病院が空爆を受けた。


 弁解の余地がない戦争犯罪だったが、これには謎が残る。

 1,2回目は国防省や陸軍司令部を狙ったものだったのに、何故、3回目だけ民間施設を狙ったのか。そして、これをやったのが黄色連隊の機体だったということだ。

 石碑に記された文字を見ながら、ウルフは静かに首を横に振った。

 あの隊長アドラーがそんなことを指示するとは思えない。


「……この公園は都市の再計画によって、取り壊されるそうだ」


「何?」


 突然、ウルフは声をかけられて少し間抜けな声を上げた。

 その落ち着いた声は待ち合わせをしているフォックスではなく、知らない女だった。

 色あせた黄色いジャケットを羽織り、ベレー帽を被ったすらりとした長身の女だった。


「ここには複合商業施設が建つらしい。石碑も取り壊される。

 この街の人々は、たった数年前起きた出来事を過去の出来事だと考えているらしいな。君もそうか? 」


「戦争はまだ終わっていない、国境沿いではまだ人々が苦しんでいる」


「知っているのか?」


 女は少し驚いたような声を出し、暫く、二人の間に沈黙が訪れる。


「だが、忘れられるというのは黄色連隊にとっては良いことなのだろうな。

 もっとも、既に忘れられたような存在だが……」


「忘れない。

 少なくとも、彼等と同じ空に居たのに、彼らを忘れることはできない」


「……君は」


 女は何かを言いかけるが、人波の中に誰かを見つけると、言葉を呑み込み、うっすらと笑みを浮かべた。


「まさかな。

 さようなら、どうやら、君の待ち人が来たようだ」


「え?」


 ウルフが、人波の方を見やると白いコートを着たフォックスが息を切らしながら、小走りをしていた。

 遅れてはいない筈なのに、とウルフは首を傾げながら、隣の女の方を振り返るともうそこには誰もいなかった。

 人波の方をきょろきょろと探すも、どこにも姿は見えない。

 そうこうしていると、フォックスが飛び掛かってくるように、ウルフの両腕の裾を握った。


「?」


「はぁ、はぁ……ウルフ、今の女性、誰ですか? 」


 背の低いフォックスは上目づかいで、ウルフを見るが、その眼にハイライトは無かった。ウルフを『そんなこと、自分が知りたい』と言いたい気持ちで、目を逸らした。


 ◇


「ふーん、そうなんですか」


 ディナーで予約した店に行く最中、ウルフは知らない女にいきなり話しかけられた

 とフォックスに説明したが、彼女は自身のクリーム色の髪先をくるくると手で弄り、どこか不機嫌そうだった。

 彼女はウルフが嘘をついているとは思っていないが、それでも他の女性、しかも美人そうな雰囲気の女性と話しているのは、少し気分が悪かった。


「どうせ、私はちんちくりんで取り柄も魅力もない女です……」


 フォックスは自嘲気味に独り言をつぶやいた。

 だが、ウルフの優れた聴力は彼女の独り言を聞き逃さなかった。


「それは違う」


「え?」


「君は優れたオペレーターだ。

 冷静で、的確な指示を出す。それでいて君の振る舞いは人を和ませる」


「え、えっ、いや、その、ただの独り言で……」


 フォックスは赤面するが、ウルフは至って真面目な顔と声色で続けた。


「今までもたくさん助けられてきた。

 俺は君程に素晴らしい女性を知らない」


「そ、そんなことぉ……」


 気まぐれで温泉に入ってのぼせてしまった野生の狐のように、フォックスは顔から湯気を出す。


 だが、ウルフは至って真面目だった。

 ウルフは彼女の自嘲を純粋に心配し、嘘偽りない言葉で励ましたのだ。

 実際、フォックスにはたくさん助けられたし、戦争難民として多くの時を過ごし、深く関わって来た人が少ないウルフにとって間違いなく一番素晴らしい女性だった。


「どうした、顔が赤いみたいだが……。今日はキャンセルして――」


「とんでもない、行きましょう! 行きましょう!」


 フォックスは、先ほどまでの不機嫌さが嘘のように、一瞬で顔を明るく輝かせた。目がぱっと開き、口元に抑えきれない笑みが浮かび上がる。


 ウルフは首を傾げながら、昔、大熊が言っていたことを思い出した。


『女っていうのはな、低速域のフォッケウルフよりも不安定なもんだ』





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