母親の誤算
「先生までそんな事をおっしゃるんですか?」
梅雨時らしい曇り空の中、彼女は教師からの電話を怪訝な顔で聞いていた。
息子が新番組を見ていた事を声高に、しかも面白いと言いふらした結果、女の子っぽいとかギャクタイされているとかクラスで言われたらしい。
前者については半ば覚悟していたし気にするなとあらかじめ言っておいたが、後者についてはまるで意味が分からなかった。
「何でもあれを見たらずっとご飯抜きだとか」
「そんな事言ってませんけど!」
「言ってないのはわかりますけど、子どもたちの間じゃすごい人気ですからね。ああ明日、じゃなかった明後日とりあえず見てみたらいかがです」
「私が内容を精査して鑑賞に堪えうるかどうか見極めてから見せます」
「ああ次回予告は悪魔の子が現れて主人公の子に脅かされて派手におもらしをする話で」
そこまで言われた所で、彼女は電話を切った。
本当に、聞くに堪えない。見せるにはもっと堪えない。
だがそのせいで息子がなおさら孤立する?
そんなバカバカしい代物のせいで?
とても親や夫に相談などできやしない。
「奥さんどうなさったんです?」
「ああ、はい……たまにはと思いまして……」
「注文は」
「アイスコーヒー…」
息子を必死になだめながら家を出て、駅地下の喫茶店に入る。そこは自分と同じ小学校に子どもを通わせるママがたまり場としており、彼女も何度か行った事があった。
無論本来は和やかにお茶を啜れる場ではあったが実際はママ友と言う名の同業他社による虚々実々に駆け引きの場であり、それ以上に彼女自身がやたらピリピリした空気を持ち込んだせいか一挙に空気が冷えた。
「どうかなさったんです、そちらのお子さんは」
「既に帰って来ています。私もちょっとくつろぎたくて」
「嘘はダメよ」
「嘘じゃありませんから!」
「うわっ……」
感情に駆られテーブルを叩こうとするのを控えながら拳を握る姿は自分よりも十歳以上年上の母親から見て実に恐ろしかったらしく、その流れで怒鳴ってしまった物だから梅雨時と言う名の初夏だったはずの空気は一気に晩秋になった。
「ちょっとそんなに熱くなってどうしたんですか」
「いや、その、えーと、ああ……すいません、すいません、つい、最近その、嫌な事が、ああ……」
なんとか頭を冷やしてみるが、そうなると自分が今悩んでいるそれが途方もなくスケールが小さく恥ずかしくてしょうがなくなり、先ほど燃え尽きたかのように舌が回らなくなってしまう。
改めて、あまりにも下品な演出。それを当時の子どもも今の子どもも喜んで見、さらに今の子どもさえも平気で見ているとなると胃が痛くなって来る。と言うか、そんな物を見て来た元子どもが自分よりずっと年かさになって世の中を動かしているかもしれない。いや、間違いなくそうだ。
「ああもしかして、あの漫画が怖いと」
「そそ、そんな、訳が、あの、まさか、冗談はやめてくださいよねえ!アハ、アハハハハ……」
ここまでヘタクソなウソも言えないだろうほどに、痛点を突かれてしまった。
すぐさま羞恥心で顔どころか全身真っ赤になり、このまま燃え尽きて炭か灰になれば幸せだろうと思えるほどだった。単純にそんなもので動揺しているだなんて恥ずかしいし、場の空気を冷やした事自体申し訳なくてたまらない。親にさえこんなみっともない相談など出来もせずに抱え込んでいた。そのまま掻き消えるはずだったのに、むしろ肥大化してこちらを飲み込もうとしてくる。だがはたから見ればただの商品であり、子どもだましのシロモノでしかないはずだ。それに脅える気持ちを、誰が理解してくれると言うのか。
「大丈夫だよ」
「本当に大丈夫なんですか」
「大丈夫だって。まさか、自分の子どもが真似でもしないかって脅えてる訳?」
「ぶしつけ極まりますけど、えっと…」
「亀の甲より年の劫だって?」
アラフィフのママ友は、そんな自分をなぐさめてくれた。
そんな年上の友人に向かって、彼女は思いのたけをぶつける。
極めて煽情的であり、品のない演出。
正直自分としては見るに堪えないそれであり、いや自分が抱え込むだけならまだしもとても子供に見せられる気がしないそれ。
「どうしてみんなあんなのが好きなんですかね」
「子どもはああいうの好きだよ。その事を考えてきっちりストーリーを作ってるんだからプロは違うよ。うちの一番上の息子なんか憧れて高校で漫画部で描いてるらしいけどね、絵はともかくストーリーはちっとも面白くなくてさ。今やってるアニメのが数段面白いよ、本人はギャグ漫画なんかやる気はないって言ってるけどさ」
「ずいぶんお詳しいんですね」
「そりゃあたしだって昔は視聴者だったからね。今見てもあああったあったって笑ってるよ。
でもさ、ありゃダメだね」
「ダメとは…」
「スマイルレディーって奴。あんなの一話だけ見てダメだってわかったよ。息子にはアレの真似だけはしちゃダメだって教えてあげなきゃね」
—————そして、突き落とされた。
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