彼女の望み

僕が奈緒美さんの娘として生きることを決意してから、数日が経った。


彼女は驚くほど穏やかに、そして丁寧に僕を新しい生活に馴染ませてくれた。


もちろん、最初から何もかもが順調に進んだわけではない。


僕は長い間、男としての生活しか知らなかったし、これからどうやって女性として生きていくのか、全く想像がつかなかった。


ある日の午後、奈緒美さんは僕を彼女の部屋に呼び、そこでこれからの方針を話し合った。


大きな窓からは庭が一望でき、その窓際に置かれたソファに腰掛けながら、彼女は優しく語り始めた。


「まずは、見た目から始めましょう。あなたが新しい自分として生きやすくなるように、私が少し手助けをさせてもらうわ」


彼女が言う「手助け」というのは、具体的には僕が女性らしい外見を身につけるためのサポートだった。


奈緒美さんは、僕の体に合った女性用の服や下着を選び、一緒に買い揃えてくれると言った。


それだけではなく、ヘアスタイルやスキンケアの方法、さらには化粧の仕方まで、彼女がすべて教えてくれるというのだ。


「まずは、服を選びに行きましょう。あなたに似合うものを一緒に見つけたいの」


彼女はそう言うと、僕を連れてデパートへと向かった。


街の中心にあるそのデパートは、奈緒美さんがよく利用している場所のようで、店員たちも彼女の顔を知っているらしく、親しげに挨拶を交わしていた。


僕はこれまで、服を選ぶときに悩んだことなどほとんどなかった。


普段は動きやすいスポーツウェアや、学校の制服さえあれば十分だったからだ。


しかし、女性の服を選ぶとなると、その複雑さに戸惑いを隠せなかった。


「大丈夫よ、最初は誰でも戸惑うものだから」


奈緒美さんは、そう言って僕の肩を優しく叩いた。


彼女は僕にいくつかの服を手渡し、試着室に向かわせた。


手に取った服は、どれも華やかで、これまでの僕のイメージとはかけ離れたものだった。


試着室に入ると、僕は鏡に映る自分の姿を見つめた。


野球で鍛えた体格が、女性らしい服に包まれるのは、どこか不思議な感覚だった。


それでも、奈緒美さんの望みを考えると、少しでも彼女に喜んでもらいたいという気持ちが強くなった。


「どう?似合ってるわよ」


試着室から出ると、奈緒美さんが満面の笑みで僕を迎えてくれた。


彼女のその笑顔に、僕は少し安心した。


「少しずつ、慣れていきましょうね。無理をせず、自分のペースでいいのよ」


彼女の言葉に、僕は小さく頷いた。


これからの生活は確かに大きな変化だが、奈緒美さんがこんなにも支えてくれるなら、きっと乗り越えられると思った。


その後、僕たちは数時間かけて、いくつかの服を選び終えた。


帰宅すると、彼女は選んだ服をクローゼットに並べ、次の日からどんな服を着るかを一緒に考えてくれた。


夜になり、奈緒美さんは僕に一つ提案をしてきた。


「明日から少しずつ、日常の中で女性らしい振る舞いを学んでいきましょう。最初は慣れないかもしれないけれど、私が全部サポートするから安心して」


「女性らしい振る舞い…」


僕は、彼女の言葉に戸惑いを感じた。


これまで女性として振る舞うことなんて、一度も考えたことがなかったからだ。


でも、奈緒美さんの期待に応えたいという気持ちが、僕の中で次第に大きくなっていった。


「はい、やってみます」


そう答えると、奈緒美さんは微笑んで頷いた。


その微笑みは、まるで僕を応援してくれているかのようで、少しだけ自信が湧いてきた。


その夜、ベッドに入ってからも、僕は奈緒美さんの言葉を何度も思い返していた。


これからの生活がどうなるのか、まだ具体的には想像できなかったけれど、彼女と一緒に新しい道を歩んでいくことに、不安よりも期待を抱くようになっていた。


そして、明日から始まる「新しい自分」としての生活を、少しだけ楽しみに思うようになった。

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