第7話 森の魔女

 森の奥深くには用心深く大変頭の良い魔女が居りました。魔女は大層頭が良いせいで、村の人々が放つ言葉も行動も何一つ共感することが出来ません。なので、魔女は人間との共存を諦めていました。しかし、そこに一人の青年がやってきました。彼もまた頭の良い人間で、人々の頭の悪さに飽き飽きしている種類の者でした。魔女は何十年年ぶりに話しの合う人間が出来、その数日は大変楽しく二人で知的な会話をしていました。けれど、段々と二人の会話に齟齬が出てくるようになっていきました。なにかと思えば、簡単な話し魔女の方がその青年よりも一層頭が良かったのです。魔女が高度な話題を繰り出すに従い、青年の言葉数が少なくなり、最後には青年は押し黙ってしまいました。

 青年は魔女に謝りました。

「申し訳ありません。私の力不足であなたの楽しみをこうして塞いでしまいました」

 魔女は残念な顔をして答えたました。

「いいえ。私の頭が良すぎたのがいけないのです。しかし、私は大変あなたのことを気に入りました。どうでしょうか。私の弟子になってみませんか?」

 魔女は青年を諭しました。

 青年は悩む素振りを見せ、それからこう答えました。

「大変ありがたい申し出なのですが私には村にすでに結婚を約束した女性が居るのです。私は村と彼女に尽くしたいと存じております」

 その言葉に、魔女はさらに眉を潜めます。

「そうでしたか。ですが、私はあなたのことを気に入っているのです。この私がここまで固執するものは私が研究する魔法以外にそう多くはありません。どうか、その女性とやらをここに連れてきてはくれませんか?私の目でその人があなたに似合うのかを確かめたいのです」

 青年は顔を明るくしてその問に答えました。

「それは結構なことです。私も彼女にあなたのことを紹介せねばと考えていたところでした。彼女は気難しいことはよくわからない人間ですが、愛想がありとても優しい人間です。きっと魔女様も御気に召してくれることでしょう」

 その二日後、青年は婚約者となる女性を魔女の元まで連れてきました。女性は背丈が小さく、か弱い雰囲気を漂わせていました。初めて森に入るとでも言うよに、足の進みは遅く首は常にキョロキョロと動き、その瞳は常に怯えを称えています。

 そんな彼女を守るようにして青年は腰に剣を構え、もし野獣が襲ってきた場合に彼女を守ろうとする意志を見せていました。

 魔女は二人を自分の家に案内しました。青年は何度目かの訪問で慣れていましたが、女性の方はまだ怯えの瞳のまま縮こまった子鹿のように畏まっていました。

 魔女はそんな彼女のために温かい紅茶を用意しました。その紅茶の甘味に女性の心は少しだけ余裕を取り戻すことが叶いました。

「私はクララと申します。魔女様。この度はお招きいただきありがとうございます」

 クララはしゃきっとした姿勢で挨拶をしました。

 彼女は小さな頭に可愛らしい瞳を持っていて、誰もが羨む美女であることは疑う予知もない容姿を持っていました。

「いえ。遠慮は要りません。私はあなたがそこの青年に似合う女性かを知りたいだけなのです」

 魔女はなるべくその美しさに打ち負けないよう、ハリの張った声を作り上げました。

「えっと…私は彼を愛しております。それは変えようのない事実なのです。魔女様。私は彼とは釣り合わない人間なのでしょうか?」

「それはわかりません。私は私の主観であなたを観察してそれを決めるだけです。強いて指標を上げるならば、彼に迷惑をかけない程度の能力を持っているか、という点です」

「私にはたいそれた能力はございません。ただ――彼を愛することに関しては努力を惜しまないつもりです」

 クララは悪意のない透き通った瞳を魔女へと向けました。

 魔女はその瞳の意味を深く理解し、納得しました。

「――そのようですね。では一度、ボードゲームを行いましょう」

「ボード―ゲームですか…」

「はい。これは試練ではなくただの友好を目的とした遊びなので、気軽な姿勢で挑まれてください」

 魔女は朗らかに言葉を発しました。

 魔女たちはその日一日、ボードゲーム以外にも彼女の提案した遊びに付き合いました。それはそれは楽しい一日で、三人は絆が一層深まったと思うほどでした。

 しかし、魔女はこの一日で青年はもっと賢く成るべきだ、という思いを深めることになりました。それはきっと、魔女にとって彼らの笑い合う声が心底【羨ましい】と思ったからでしょう。不覚にも、二人がお似合いであるということがハッキリと分かってしまったのです。けれども魔女にその自覚はありません。

 魔女は二人を送り出した数日後、青年だけを呼び寄せました。

「魔女様。この度もお茶会にお呼びいただきありがとうございます」

 青年は魔女に頭を下げました。

「堅苦しい真似はもう結構です。私にも妻と接するような感覚でお話ください」

「…わかりました。しかし、敬語はさせていただいます。あなたは魔女様であり、これはあなたを尊重したいという私の意地です」

「わかりました。そうしてください」

 魔女は少しだけ気分を害しましたが、それに気づく青年ではありませんでした。

「…さて、今日ですが何か議論をするわけでもありません。あなたに一つ試練を課そうと思っているのです」

「ほう。それは何でしょうか?」

「私の家の地下に私だけが解読できる暗号があります。あなたにはそれを解読して見せてほしいのです」

「それは、どういった意図の元私にそうさせるのでしょうか?」

「たいそれた意図はございません。あなたは私にその能力を証明すればよいのです。さすれば、私は魔女としてあなたの妻に【子宝に恵まれる魔法】をかけてあげましょう」

「本当ですか?わかりました。その試練を受けることにします。しかし、その前にそのことを妻に報告させてください」

「良いでしょう。では明日にもう一度ここを訪ねてください。解読は幾日かかかるやもしれません。覚悟はありますね」

「もちろんですとも」

 そうして、青年は後日妻を連れ魔女のもとにやってきました。魔女は妻を再度見、自分が彼女に嫉妬しているのだと昨日の熟考と合わさり確信しましたが、それを表に出すことはしませんでした。

 青年を地下室に案内し、自分が作成した暗号を解かすよう命じました。そして、彼が暗号を解いている間、魔女はクララとお茶をしました。

「夫はどのような暗号を解かれているのですか?」

「私が長年研究してきた古代語の解読を任せています」

「古代語ですか…」

 クララは可愛らしく首をかしげました。

「はい。古代語です」

「なんと書かれているのですか?」

「それはまだ言えません。言うと、あなたが喋ってしまうかもしれませんから」

 それから青年は一週間かけてその暗号を解き明かしました。

 一週間の間、青年は毎日二時間ほど魔女の元を通い続けたのです。その二時間の間だけ、魔女は青年に茶をだしたり、会話をすることが許されたのです。

 彼は暗号を解いたと叫び、魔女に解答を伝えました。

 魔女は解答を聞くと、それが正解であることを伝え妻をここに呼ぶよう命じました。

「さぁ魔女様。私の妻にその偉大なる祝福をお与えください」

 青年が聖職者のように恭しく頭を下げました。

 妻はそれに習います。

 魔女は深々と優しい笑みを湛えながらクララに向かい、「かの者に子宝の祝福を授けましょう」と宣言しました。

 呪言を唱えると、クララの全身に金箔のような何かが天から降りかかりました。

 それが魔法を使った現象だとわかり、青年とクララは深く頭を下げ、感謝を示しました。

 その時、誰にもわからないよう魔女は青年にも魔法をかけました。

「それでは次に合う日には子供を連れてここを訪れてください」

 魔女は優しげにそう言って、二人を森から送り出しました。


 それから約一年後のことです。


 クララが第一子である女児を出産したのを境に体調を崩し初めました。頭痛と吐き気があり、1日中寝込むようになったのです。

 最初は出産による影響かと疑いましたが、一週間が経っても病状は悪化するばかりであり、村の医者も頼りになりません。

 青年は一人、魔女の元を訪ねました。次会う日は子供を連れて、ということでしたが、生まれたばかりの赤子を抱えて森に入るほど青年は無謀ではありません。

 青年は魔女に現状を説明し、何か方薬はないかと訪ねました。

 しかし、魔女は横に首を振るばかりでまともに対処しようとはしませんでした。

「魔女様。私の言葉を聞いて下さい。クララが謎の病に犯されているのです。どうか私どもにその知恵と力をお貸しください!」

 彼は怒りの形相をしていました。

「行けません。私は今大変いそがしい時期に入っているのです。少しの知恵も力も今だけはお貸しすることが出来ないのです」

 青年はさんざん喚きましたが、魔女はすっかり家に閉じこもってしまい数時間を無駄に過ごしました。

 

 それからまた半年が過ぎた頃のことです。

 クララが死亡しました。原因不明の病はその頃すでに村中に広まっており、無症状であるものは青年とその娘だけでした。

 青年は絶望の中、最後に魔女の元を訪ねることにしました。その大変な時期というはもう終わったかもしれないと彼は考えていたからです。

 ノックをすると、扉からはクララが出てきました。

「…幻覚か?」

「どうしたのですか?」

「い、いや。でも…」

 声すらもクララものでした。魔女の面影はその言葉遣いくらいでしょうか。

「あ、あなたは魔女様でしょうか?」

「ええ。そうです。私は魔女ですよ。さぁ、中へお入りください。私は謝罪がしたいのです。あの日、あなたの頼みを断ってしまったことを」

「いえ。私は魔女様に最後のお別れを言いにきたのです。村は私とこの娘のシャルネ以外全員が謎の病で死んでしまいました。私は村を出ようと思います」

「そうでしたか。お悔やみ申し上げます」

 魔女は頭を下げました。

 青年は何か珍妙な気分でその様子を眺めていました。

「ですが、一度中へお入りください。お菓子と紅茶を用意します」

 青年は娘を見、一歳の彼女が魔女に興味を示していることに気がつくと息を整えてから魔女の家へと足を踏み入れました。

 青年は魔女にいつもの席に案内されると、娘を膝の上に乗せて静かに着席しました。しばらくして、魔女が菓子と紅茶を持ってきます。

 青年はやはり、その魔女がクララにしか見えませんでした。

 これは幻覚なのか。

 はたまた魔女の仕業なのか。

 きっと後者であることは、青年にとって納得のゆく解答でした。

 魔女は青年の眼の前に座り、カップを丁寧に取り口元に運びます。その動作はやはり、クララのそれではありません。

「魔女様。もしかして、私に幻覚か何かを見せているのですか?」

 青年は静かに問いかけました。

「いいえ。そのようなことはしていません」

「ですが、私にはあなたの容姿がクララそっくりに見えるのです。しかも、声もです。このような現象、魔法以外に説明が付きましょうか?」

 魔女は彼の問いかけに少しだけ憂いた表情を見せると、感情を押し殺した声でこう言いました。

「あなたの推測は間違っています。きっと、気の病でしょう」

「で、ですが!」

「私にはどうすることも出来ません。あなたのことを私が同行することは出来ないし、その流行病というのも結果的に治すことは出来ませんでした。見たところ、子宝にも恵まれてはいないようですし――」

「そ、それは確かにそうですが…」

「私は無力でした。あなたは魔女である私を軽蔑しますか?」

「い、いえ。軽蔑はしませんよ。あなたは立派な人です」

「ありがとうございます。私は天涯孤独の身。そのような言葉を言ってくださる人がいるのは心温まるものです」

 青年はいつしかのように押し黙ってしまいました。

 魔女が――いや、クララに見える彼女がとても可憐に彼の目に映ったからでした。

 まるで以前の生活に戻ったような錯覚を覚えるのです。

 青年は一度心を休めようと紅茶を一口飲みました。

 以前と変わらぬ魔女の出す美味しい紅茶でしたが、彼はそこに懐かしみを感じました。

「私はどうすれば良いのでしょうか――」

 不意に、青年の口からそのような言葉が溢れます。

「ここに居たらいいのです」

 魔女はそう答えました。

「ですが――」

 青年がまた反発の言葉を言おうとした時、

「ママ」

 と、娘の声がしました。

 娘は青年の膝から降りると、そのたどたどしい足取りで魔女の足元へと歩んでいきます。

 魔女は驚きながら、彼女の頭を撫でてやりました。

「ママ、ですって」

 魔女はパッと顔をあげて、青年にそう伝えました。

 青年はその言葉に嘘偽りのない幸福を感じました。

 ああ、戻ったのだ。

 こうして、青年は魔女の手に堕ちました。


 めでたし、めでたし。

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