第6話 非人

 隣の部屋がうるさく、男は苛苛していた。男はパソコンの前に座り、ネットで若い女の死体写真を探していた。男の元に、若い女の死体写真が欲しいという依頼が来たからだった。男は死体写真を売るのを仕事としていた。注文があった若い女の死体写真は条件が細かく、その死体は死後直後であり、まだ死後硬直が始まったばかりの、頬がまだ伸びる死体であり、女は髪が短く、青く染め、日本人であり、背は小さく、高校生のような顔立ちをし、だが年齢は二十三であり、ミニスカートを履き、裸足で、上は白いコートを着ている、というものだった。今時若い女の死体など珍しく、さらに膨大なそれらの条件が付けられると、男はそんな女の死体写真を入手するのは困難だと思った。が、報酬は高く、一千万円であり、男はそれを既に承諾していた。その為、男は仕事をしなければならず、また、依頼達成期限が明日までというので、焦り、一日中パソコンの前に座り、依頼内容の写真がないのか探し、また有識者にそう言うものはないかと問いかけているのだった。そうだというのに、隣の部屋がうるさく、男はまともに休んでもいなかったため、仕事に集中できず男は苛苛していた。隣の部屋には男の恋人がいた。彼女は、男がこのような仕事をしていることは知らなかった。が、男は羽振りがよく、頭もよく、容姿もよかったので、彼女が男をすぐに好きになり、一月も付き合わず、今は同棲していた。ここは男の一軒家であり、やはり男は羽振りがよかった。女はきっと、テレビを見て騒いでいると男は思った。女はよく騒ぐ生き物だった。男は休憩がてら、あるいは現実逃避もあったが、彼女に注意をしに行こうと席を立った。扉を開け、廊下に出、隣の女の部屋をノックした。女は、はあい、と軽い返事をし、男は部屋に入った。女の部屋は汚かった。ベッドがあるが、ベッドの上は脱ぎ捨てられた服で掛け布団が見えなかった。ベッドに座って見れる位置にテレビがあり、その間に低いテーブルがあった。テーブルの上には柿の種が散らばり、彼女はテーブルの前で柿の種の袋を持ち、袋に手を入れながらテレビを見ていた。男は呆れた顔をし、女に言った。


「おい、五月蠅くて仕事が出来ないから少し黙っててくれないか」


「いやよ。楽しいもの。この番組楽しいわよ。一緒に見ない」


「見ない。僕は仕事で忙しいんだ。それに、ろくに休んでもないんだ。金が欲しいのなら、黙っててくれ」


「私はお金が欲しくてあなたと暮らしてるわけじゃないのよ。ほら、あなた格好いいし、頭もいいから、私は好きになったの。お金があるのは、頭がいいからでしょ。つまり、ついでだったの。別にお金が無くてもいいのよ。あなたが傍にいてくれれば、私は他の女にあなたを自慢できるし、満足しているの。このテレビだって、面白いけど、面白いだけで、あなたの彼女になることと比べたら、別に面白くもないわ」


 男は女はよくしゃべると思った。女は髪の毛が短く、派手好きで、青い髪をしていた。趣味で家だというのに白いコートを着、白いミニスカートを履き、裸足でくつろいでいた。それは依頼された女の姿そのものだった。だが、彼女は死人ではなかった。一度、彼女を寝かし、死体のようにし、カメラで写真を撮ろうかと思ったが、彼女に自分の仕事をばらすわけにもいかず、また、依頼主に彼女の写真を送ることも気が引け、それはやめていた。だが、ここにきて考えなければならないと思った。彼女が死ねば、男は一千万が手に入るのだった。一千万を逃すか、彼女を殺し、この生活を手放し、一千万を手に入れるのか、ついに選ばねばならなかった。彼女は男にとって、殺してもいいような性格をしていた。彼女はよく友人らと遊び、その金は全て男が仕事で手に入れた金だった。彼女は男と付き合うと、バイトを辞めた。彼女の生活費の全ては男が払い、彼女は男に一月一万円のお小遣いを貰っていた。男は、彼女は自分の人生において害でしかないと、よく思い、今もそう考えた。だが、男は彼女のことが好きだった。男は、これまで六回女と付き合い、三回同棲したが、彼女のように、自分を愛していると言いながら、男を軽く見、自分勝手に振舞う女はいなかった。その傲慢っぷりが酷く気に入っているのも確かだった。彼女は男に自由に接し、男は彼女が家に居ることで安心していた。彼女はきっと、他の女のように自分の元から離れていかないだろうという確信があった。男は一生自分を離れない女が欲しかった。彼女は男にとって、強欲に満ちた理想的な女であった。部屋に戻り、もう一度女を殺した方がよいかと考えた。が、やはり、男は自分の彼女を殺すことは出来ないと思った。その時、脳裏に思い浮かべたのが、女の綺麗な笑い声であることに、男は若干の疑問を持ったが、自分の彼女は美しいく、女とはそもそも美しいのだと悟った。

 そう悟ると、男は若い女と言う生き物を殺すことが不条理な事のように思えた。男は依頼を断ろうと思い、依頼主の携帯番号に電話をかけた。電話番号は緊急時に掛けるようにと言い渡されたものだったが、男にとって、今が緊急時だった。男は今、この選択をしなければ明日までに女を殺そうとするかもしれないと思い、それに、微かに怯えていたのだった。プルプルと音が二回し、男の声で「はい」と聞こえた。男は「依頼の件ですが、お断りさせていただきます。あのような条件の若い女は、どこにも居ませんでした。すみません」といった。「何を言っておる。居るだろうに。ほら、君、世界は広いんだ。いるはずだ。依頼を受けたんだから、しっかりしなされ」電話の向こうで男はそう言った。初めて訊く声は、しわがれ、年老いているような印象を与えた。「本当にすみません。いないんです。すみません。依頼はお断りします」男はもう一度謝った。金は後払いであり、男はまだ一銭も貰っていない。男はここで依頼を断っても、何の不利益も無いのだった。プラスが無くなるだけで、マイナスは無いのだった。しわがれた声で、電話の向こうの男は言った。「何をいう。居るだろ。ほらあんたの近くにいるだろ。その条件の女が。その女を殺せば、依頼は達成出来るだろう」男はその言葉を聞いた途端、冷汗がとまらなくなった。どうして、どうしてそれを知っているのだ。男は言葉を無くした。電話の向こうで楽しそうな声が聞えた。「戸惑っているか。戸惑っているだろうな。なに、難しいことを言ってる訳じゃないだろ。ほら、殺せ。女を殺せ。そうすれば、一千万をやろう」男はとっさに答えた。「出来ません、無理です。もう関わらないでください」男は急いで言って、電源を切った。しばらく、携帯の黒い画面を見つめ、電話がかかってこないことを確認し、安堵した。ああ、良かった、と男が声に出すと「え、あなた誰。え、何、何それ、え、ちょっと、来ないで、ねえ、ねえってば、キャー」と隣の部屋から女の叫び声が聞えた。男は瞬時に、彼女が依頼主に殺されたのだと思い、頭が真っ白になった。が、身体は自分の彼女を助けようと、部屋を出、彼女の部屋に向った。扉は開かれ、覗くと、男が女に馬乗りになっていた。男は背丈が高く、筋肉質な身体をし、ヒートテックをぱつぱつに着、灰色の短パンを履き、白い靴下を履いていた。「な、何をしている」男は叫んだ。女に乗った男が声で振り返る。その男は、老人のようなしわが沢山ある顔をしていた。ひげが白く、髪の毛は黒かったが、その顔を隠すように、顔の全面に赤い血がべったりと付着していた。男は手に、色が剥げた古い煉瓦を持っていた。煉瓦の角にも、赤い血が付着していた。男はにやりと気味の悪い笑みを浮かべ、ほら、こうすればいいんだ、と言って身体をねじり、血濡れた煉瓦を男に向けた。男はやはり、この人物が依頼主なのだと悟った。血濡れた男は立ち上がり、女にまたがったまま男の方を向き、頭を少し下げ、初めまして、私は依頼主の志賀沼康太というものです、と言った。男は志賀沼を前に、硬直していた。もう、考えることは無くなったのだと思い、その思考を意識的に白紙にした。男は老人か中年男か、はたまた見た目からして少年かもしれない志賀沼を見、薄く笑った。笑うしか、この空虚な気持ちを表現できる術は無かった。志賀沼は動かなくなった男を見、すぐに興味を無くし、煉瓦を捨て、後ろのポケットからスマホを取り出した。それから、倒れた女を仰向けに床に置き、女にまたがり、スマホで女の写真を取った。志賀沼は、ああ、これだ、これだ、最高だ、と言い、狂ったように女の顔を撮った。男は彼女だったもののほっそりとした足を見つめ、男が彼女の全体像を撮る前に、足だけでも眺めて記憶しておこうと思った。しかし、男は死んだ彼女の足を見、不思議と彼女との思い出が思い出せないことに困惑した。男は彼女は自分に取ってそれほど大事なものではなかったのだと思い、もう、彼女に執着する理由は無いのだと悟った。そしてなぜか志賀沼の行動を許そうと思った。志賀沼はしっかりと、意思を持ち、女を殺したのである。男はそこに、人間に美を感じ、膨大な生きるエネルギーを見、人の生きる理由を見出した。男は、行動しなければと思った。この志賀沼のように行動せねば、自分は一生動かずに、意味もなく終わるのだと感じた。


「なあ、志賀沼さん。俺は彼女を失った。これからどうしたらいい?」


「何をいう。生きればいいのだよ。生きれば、私みたいに、美しいものに出会えるのだから」


「どうしてそこまで、その、彼女の写真が欲しいのですか」


 志賀沼は振り返らずに答えた。


「簡単だ。欲しいから欲しいのだ。欲しいものなど、そこら中にある。だが、これ程欲しいと思い、手に入れることが難しいものはない。私は、写真でなくてもいいのだ。この女の、顔をまじかに見、身体を身近に感じることが出来れば満足なのだ。だから今、とても私は幸せを感じている」


「幸せとは、一人で完結するものなのですか?」


「その通りだ。幸せは分配することも、共感することもできない。自分で生み出し、自分で感じ、自分で捨てるものだ」


「幸せを捨てるのですか」


「ああ、捨てるのだ。行動しなければ、捨てると同じことになる」


 志賀沼はまだ、女の顔を撮っていた。


「僕は、行動出来ますか?」


「出来るはずだ。行動しなければ、幸せなど掴めん。幸せは近くにはない。見て、感じて、得るものだ。動かねば、見ることも、感じることも叶わない。人間は幸せを感じるために生きるのだ。だから、動けるはずだ」


「僕は、あなたのようになれますか?」


「なれん。私は、私しかなれん」


「ああ・・・すみません。変なことを聞きました」


「いや、それで心の迷いにケリがついたのならよい」


 男は動くことを決意し、志賀沼のように彼女を写真に収めることが最善だと思い、部屋に戻った。床に放り出された携帯を持ち、ゆっくりと歩き、彼女の部屋に戻った。彼女を撮ろうと思ったが、志賀沼が女の全体を隠していた。出来れば全体を撮りたいと思い、志賀沼がどくまで彼女の部屋のありようを撮ることにした。志賀沼が映らないよう、ベッドと、そこに積まれた服を撮り、そこに彼女の赤いブラジャーが紛れているのを発見し、男は久しぶりに性的に興奮した。それから、座椅子、テレビ、テレビとその台、テーブル、引き出し、バッグ、占いの本、食べかけの柿の種、ゴミ箱、捨てられていない空のペットボトルを撮り、壁に掛けられた韓国の男アイドルのポスターは撮らなかった。男は一通り撮影を終え、そろそろ彼女を撮ろうと思ったが、まだ志賀沼が彼女の上にまたがっていた。男はそこで、ようやく志賀沼を邪魔に思い、荒い声を出した。


「おい、そろそろどいてくれないか。僕も撮りたいんだ」


「ダメだ。後二時間は待て。ああ、それと、彼女は私が連れて行く。いいな」


「二時間も待てるか。彼女は僕のものだ。お前なんかに渡すか」


「なんだと。だが、この女は私のものだ。そうだ。二千万払う。だから、女を私によこせ」


「金で解決しようとしても無駄だ。彼女は僕のものだ。依頼料金も要らん。写真を撮ったらとっとと出てけ」


 男は怒り、志賀沼を殺そうと思った。二時間も志賀沼を彼女の部屋に入れておくわけには行かなかった。志賀沼のような、妖怪時見た男がいると、彼女の部屋が穢れてしまう。男は、床に落ちた煉瓦を見、それで志賀沼を殺そうと思った。ゆっくりと志賀沼の後ろに近づき、志賀沼の右足近くにある煉瓦を拾い、両手で持ち上げ、撮影に夢中になる志賀沼の剥げた頭に振り下ろした。志賀沼はよろけ、汚い悲鳴を吐き、歪んだ表情で男を振り向いた。が、そこで気絶し、志賀沼は、彼女にかぶさるように倒れた。志賀沼はまるで彼女を犯すように倒れ、男は無性にむかつき、志賀沼の頭を煉瓦で何度も殴った。そして、汚い死体を彼女の上に乗せておくわけにもいかず、男は志賀沼の足を引きずり、廊下に出し、そこに放置した。男は彼女の部屋に入り、扉を閉め、窓も閉め、密室を作った。男は初めて出来た恋人の部屋に入ったような興奮を覚え、仰向けに倒れる女を見、短いスカートに興奮し、勃起し、彼女を初めて犯した。男は一人、快楽に包まれ、幸せを感じた。

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一色雅美の短編集 一色雅美 @UN77on

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