第2話 未来の扉

 小さい頃に見た、印象に残っている夢がある。

 その夢の中で、未来の僕を名乗る大人が出てきて、僕に、こう言った。

「扉を開いてはいけない。見てはいけない。見れば、君の寿命が縮んでしまう」 

 意味がわからなかった。

 けど、僕はその言葉を、それから一度も忘れたことはない。


 それから八年が経ち、僕が田舎のおばあちゃんの家に住んでいた頃のことだった。お父さんとお母さんは共働きで、しかもなぜか別居していたから、僕は父方のおばあちゃんの家に預けられていたのだ。その当時、僕は中学1年生で、地元の中学校に進学したばかりだった。

 ある日、僕はおばあちゃんの家の鍵を無くしてしまった。それは、この家に唯一ある鍵だった。家ではいつも、おじいちゃんがテレビを見ているから、おばあちゃんが買い物に行くときくらいしか鍵は使わなかった。だから、鍵の管理は僕に任されることが多かった。普段なら、無くしてもなんとも思わなかっただろう。けれど、その数日後に僕たち三人は近くのサーカスを見に行く約束をしていた。その時に、鍵が必要になるのだ。僕はおばあちゃん達に鍵を無くしたことを知られたくなくて、必死に鍵を探した。

 折りたたまれた布団の中や、ソファの下、ズボンのポケットの中何かを調べた。けれど、鍵が出てくる気配すら無かった。時折、おばあちゃんとおじいちゃんに、「なつ君。何探してるの?」と聞かれて、そのたびに僕はなんでもないと断った。けど、このまま探してると、無理にでも問いただされそうだった。

 いよいよサーカスが明日に迫った日の夜、僕は寝ないことを決意した。寝ないで探さないと間に合わないと思ったんだ。

 昼間に用意した懐中電灯を持って、布団を抜け出して部屋を彷徨った。けど、二時間も探して何も成果がなかった。

 僕は風呂場をもう一度見てみることにした。浴槽までは見てなかったからだ。浴室に入り、懐中電灯を照らしていく。すると、浴室の壁の下に、小さな扉があった。木製で両開きの扉。まるで、小人が通りそうな風情をしていた。

 あまりにも不自然な場所にある扉は、気味が悪かった。けど、不思議と、この扉の先の鍵があるのではないかと感じた。それに、今此処で見つけないと、明日僕が叱られると焦りもあった。僕はしゃがんで、懐中電灯で照らしながら、その扉をつついた。すると、扉は簡単に奥に開いた。懐中電灯を横に持って、僕は扉の中を覗き見る。

 扉の中で、映像が流れていた。

 それは、僕が朝、ポストの中で家の鍵を見つける映像だった。

 僕は急いでポストに向かった。

 あの映像の通り、ポストに鍵が入っていた。

 僕は猛烈な感動に襲われた。ようやく安心が出来て、僕は鍵を机の上に置くと、ぐっすりと布団で眠った。

 次の日、僕たち三人は無事、サーカスを見に行くことが出来た。

 当然、その時にはもうポストに鍵なんて入っていなかった。


 それ以降、僕は不思議と【小さな扉】を見かけるようになった。そのたびに僕は、その扉を開けようとして、必死でこらえた。昔見た夢を思い出すからだ。【扉を開けてはいけない。寿命が縮むから】。僕はその言葉の意味をずっと考えていた。


 それからしばらくが経って、9月。僕に恋人が出来た。

 相手は同じクラスの、桜間ふにちゃんだ。

 ボブ・ショートの黒髪で、背が低くて、とっても可愛らしい女の子だった。

 彼女の持つ最大の武器は、その天使のような微笑みだった。その微笑みと、可憐な言動のお陰で、クラスではすぐにマドンナ的な存在になっていた。そして、自慢なことに僕は、そんな彼女に対して幼馴染というアドバンテージを持っていた。だから、僕が彼女に冗談で告白したときに、彼女がすんなりそれを受け取ってくれたことは良い意味で予想外だった。

 けれど、世の中そんな安直にできていないらしい。

 僕は彼女と付き合ってすぐ、こんな相談を持ちかけられた。

「近頃、私、死ぬかもしれないから、私のこと、守ってくれる?」

 僕は最初、意味がわからなかった。

 なにそれ、とも言えそうな雰囲気では無くて、僕は「うん、わかった」と答た。

 そうすると、彼女はほっと息を漏らして、その天使の微笑みを僕だけに見せてくれた。 


 2日後、死ぬかもしれない、という意味がわかった。彼女が僕の部屋に遊びに来た時のことだった。

 ふにちゃんが僕に、お父さんから暴力を受けている、ということを教えてくれたんだ。

 僕はその証拠を、こっそり見せてもらった。服の下だった。お腹、胸、太もも、そういったところに、痣が出来ていた。

「ちょっとね、たまにこういうことがあるんだ。たまに、だけど。でも今回ひどくて…」

 どうにも、食事制限まであるらしい。

 夕食が出ない時があるんだとか。

 頼りになるお母さんは今、病院にいて、一ヶ月は退院できないらしい。

 過労で倒れたのだと、ふにちゃんは教えてくれた。

「だから、ちょっと、私が死なないように見張っててよ。恋人みたいなことも、一杯しよう」

 僕は頑固として頷いた。

 僕がそのことを警察に言おうと言うと、それはダメ、と止められた。

「どうしてダメなの?」

「絶対ダメ。それに、一月だからなんとかなるよ」

「でも」

「とにかく、誰にも言わないで」

 彼女の言葉は必死だった。

 僕はわかった、と言った。

 それから、僕にできることはなにかないか、と聞いた。

 すると、できるだけ私と一緒にいて、と言われた。

 僕はその日以降、彼女と一緒に行動することにした。わざわざ、家に帰る時間も遅くして、ふにちゃんといろんな場所に出かけたり、ゲームセンターに通うようにした。

 彼女の分の晩ごはんも、いつしか僕が作るようになった。

 けれど、そのようなことで変えられる現象では無かったみたいだ。

 10月の第二水曜日だった。珍しく、ふにちゃんは午後から学校に来た。

 理由を聞くと、右手首を骨折したんだという。

 クラスのみんなには、彼女は階段から落ちて、とごまかしていたが、僕はそうは思えなかった。

 実際、彼女に確認を取ってみると、お父さんにやられた、と言っていた。

 僕は警察に言ったほうが良いと言ったが、彼女は聞かなかった。

 僕も、ふにちゃんの家は知らなかったから、どうにも出来なかった。

 僕は家に帰ると、【小さな扉】を探した。

 扉を覗けば、何かふにちゃんを助けられるヒントを貰えると思ったんだ。

 それはすぐに見つかった。僕の机の下の壁に出現していた。

 前よりも、少し大きい。

 両手が収まるくらいの大きさだった。

 僕は意を決して中を覗く。

 すると、血だらけのふにちゃんが床に倒れてる映像が見えた。僕の知らない場所だった。そのちかくに、背の高い男が居た。父親だ、僕は直感的にそう思った。

 ふにちゃんが危ない。

 僕はとにかくそう思った。

 僕は携帯電話を使い、ふにちゃんを家に呼んだ。

 ふにちゃんが家に来る前に、おばあちゃん達には、友達が家に泊まると言っておいた。

 ふにちゃんのことはおばあちゃん達もよく知っていたから、快く職諾してくれた。

「ねぇ、危ないって、どういうこと⁉️」

 僕の部屋で、ふにちゃんが言った。

「ふにちゃん、多分、お父さんに殺されちゃう。これから、あまり家に帰らないで。僕の家に居ていいから」

「で、でも…そんなの迷惑でしょ」

「大丈夫だから。ほんとに、家は危ないから」

 その日、僕は予想外にもふにちゃんと一緒の部屋で眠ることになった。無論、布団は別々だ。だけど、お互いに緊張していて、ぐっすりと睡眠は取れなかった。

 翌朝、僕はふにちゃんと一緒に、学校の用具を取りにふにちゃんの家に向かった。 

 ふにちゃんの家は歩きで行ける距離だった。

 古びたアパートの201号室だった。

 家に、お父さんはいないようだった。車がない、とふにちゃんが言っていた。

 僕はそれから、ふにちゃんと一緒に学校へ向かった。


 家に帰ると、僕はもう一度【小さな扉】を覗いた。また、扉の面積が大きくなっていた。

 内容は変わらなかった。ただ、場所が違った。誰か知らない部屋になって、人が二人居た。二人は影ができてて見えない。ただ、床に置かれた血だらけの子供だけが変わらなかった。僕は舌打ちをした。

 

 金曜日。僕はふにちゃんをおばあちゃんの家に置いた後、一人でアパートに向かった。このままずっと、ふにちゃんを家に泊めておきたかったけど、それだとおばあちゃんに事情を話さなくちゃいけなくなる。僕はそれでもよかったのだけど、ふにちゃんは今日にでも家に帰ると行っていた。だから僕は、先手を打つことにしたのだ。


 僕はふにちゃんの家の隣にある202号室のピンポンを押した。すると、部屋から女の人が出てきた。

 気だるけな人だった。ボサボサの長髪が目についた。僕は今からすることを考えると、心臓が喉から飛び出そうなほどうるさくなった。

「あんた、誰?」

 彼女は目を細め、僕を睨んだ。

「あの、僕、隣の人に誘拐されてるんです、け、警察を呼んでください」

「あ?何いってんの?」

「い、いや」

 僕は、脚がすくんでしまう。

「ねぇ、あっちゃん、変な子が来たんだけど」

 急に、女性が後ろの方を向いた。

「ああ?」 

 太い男の声が響く。

「何だよ?誰が来たんだ?」

「んー、変な子。あんたに誘拐されたとか言ってる」

 僕はすぐに危険を感じた。

 脚を一歩下げる。走ろうとして、肩を掴まれた。

「まぁ、話だけでも聞いてあげるよ」

 女性の力は、存外、強かった。

 いや、僕が恐怖で身体が固まったから、そう思っただけかもしれない。

 

 その日、僕は死体となって、この202のアパートから、近場の海に捨てられた。

 死体は数カ月後、少し遠くの浜辺で発見される。

 犯人はすぐに分かった。

 犯人を告発したのが、ふにちゃんだったのだ。

 彼女はひどく泣いていて、僕の名前を何度も呼んでくれた。

「なつ、なつ…」と。

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