どうせ世界は終わるけど

橋本秋葉@書籍発売中

ただいまって言いたい



 どうせ世界は終わってしまうんだよ。知ってた?


 なんて誰かが得意げに放った言葉を僕は結構本気で捉えてしまって気分が落ち込む。え。世界って終わっちゃうんだ? クラスメイトの誰が言った言葉なのかを認識できていないのに、僕は言葉そのものの深刻さは認識していて放課後に検索してしまう。「世界 滅亡 いつ」。するとわりとマジで世界がずっとずっと未来の果てに終わってしまうことを知る。どうやら地球という惑星は爆発してしまうらしい。


 はーあ。


 もちろん僕の寿命が尽きたあとの出来事であるのは理解している。でもやっぱりちょっと悲しいっていうか、なんか僕が生まれてきて死ぬまでの軌跡みたいなものっていうのは、ああ永遠には残らないんだなって思うとすごく悲しい。いま僕が必死にテスト勉強をしているのも意味がないんじゃないかな? 部活を頑張っても意味がないんじゃないかな? どうせ地球が終わるのなら。世界に名を残すような功績を打ち立てたとしてもなんの意味もないんじゃないかな……?


 って考えて僕は夏の夜に家を出てなんとなく外を歩きながらアリスに連絡する。


 アリスはもっと日本人ぽいような名前を親から授かっていたはずだけれど、小学生のときに「不思議の国のアリス」の絵本を昼休みにずっとずっとずっと……それこそ一年を通して読み込んでいたからアリスというあだ名を付けられて、延々とアリス。本人もまんざらではなさそう。というか嬉しそう。たぶんアリスは延々どころか永遠にアリスだろう。


 僕はアリスが好きだった。


 夏の夜は僕の感傷的な、それこそ詩的な思いに感化されて晴れていてほしいんだけれど曇っている。いや。あるいは感傷的かつ詩的だからこそ曇っているんだろうか? 月の銀光は隠れて仰げず、湿気も強くてねばねばしていて不快指数は高め。


 僕はアリスに恋していた。


 いやどうだろう。これは恋なのだろうか? 愛なのだろうか? 単純に異性とか同性とか関係なく、つまりは性別とかまったく関係なく単純に好きなだけじゃないんだろうか? 人間として? でも人間として好きってなんだ? 人間として好きとか嫌いとかってそういう概念はあるのだろうか……? いや考えすぎるのはきっと僕の悪い癖なんだろう。


 僕が思うよりも世界はたぶん僕に興味がない。なにせ終わってしまうんだから。


 っていうのを僕は恥ずかしげもなくアリスにLINEする。



「ハチタの良いところは自分の行動を客観視できていないところだよね」

「それ褒めてる?」

「褒めてるよ。さすがハチタ。空気の読めない男」

「褒めてないじゃん」

「褒めてるんだって。分かってないなぁ」



 なんて会話は随分と前に交わしたアリスとの会話で、あのときのアリスの表情っていうのは呆れているようななんというか。もしも僕に姉がいたのならばこういうやりとりを頻繁に行っていただろうなって思えるもので、なんというか、気が安い。


 気安いから僕はアリスが好きなんだろう。


 僕は公園に歩く。格好は中学のときのジャージ。残念ながら僕の背格好は中学から高校に上がってもそんなに変化しなかった。時間帯は午後十時。もしも警察とかに見つかっちゃったら補導されちゃうんだろうなって思う。でも人気のない道だからまったく気にしない。そのまま住宅地の奥まったところにある、ベンチだけが寂しく佇む公園に入る。


 LINEを確認するとアリスの既読がついている。返信はない。僕側の文章が長すぎて返信を考えているんだろうか? って思う。あるいは無視されるかもしれないなーって僕は思う。それならそれでもいいかもしれない。僕はアリスに自分の心情を一方的に伝えることによってある種のカタルシスを既に得ていた。


 ベンチに腰掛ける。


 視界の端っこで蜘蛛がうごうごと手足を動かしている。


 スマホが震える。


 それはメッセージではなく通話。LINEの通話。アリスから。それで僕はちょっとだけ救われたような……なんで救われたような気持ちになっちゃうのかは分からないけれど安堵を覚えつつ応答する。



「あ。もしもし」

「あ。もしもし。じゃないけど?」

「え?」

「てか、あれなにさ」

「ん? あれ?」

「メッセージのことに決まってるでしょ」



 やけに淡泊な口調で言われてああそういえば僕はちょっと病んでるようなメッセージを送ったんだなあって思い出す。つまり思い出しちゃうくらいにはどうでもよくなっている。地球は終わる。世界は終わる。だからなんだ? ってなっている。僕はたぶん本当に致命的なまでに気分屋なのかもしれない。


 アリスは言う。



「どうしたの。てか誰に言われたの?」

「ん? いやべつに。誰に言われたわけでもないっていうか。自分で考えすぎているだけっていうか」

「なにそれ。馬鹿なん?」

「いやどうだろ。それなりに成績は良い方だと思うんだけどね、これでも」

「そういう意味じゃないし。てか分かってて言ってるだろ。おい」

「うーん」

「なに。生きる意味とかなんとか。メッセージ全部は読んではないけど。明らか様子おかしいでしょ、あれ」

「いまは大丈夫だけどね。全然。べつに。平気っていうかなんていうか……ほら。あれだよ。一億年後に地球が終わるとしてさ、じゃあ僕達ってなんのために生きているかっていうか。どうせ終わるならなにやってても無駄じゃない?」

「それさ、どうせ死ぬから生きてる意味なんてない。っていうのと同じ論調じゃない?」

「うん。かも」

「かも。じゃないけど。やっぱ馬鹿なの? ハチタ」



 まあ僕は馬鹿なんだろうなと心の中で思う。言葉にはしない。なんとなく言っても意味がないような気がするから……意味。意味ってなんだろうなってまた僕はちょっとだけ深く潜るようにして思う。一瞬だけ思う。意味意味意味意味。意味ってなんだ。



「意味なんてないでしょ。何事にも」

「……そうかな? あると思うけどな。僕は。なにをするにも、意味は」

「それ意味じゃなくない?」

「え? いやいや。だってほら、僕がいまこうして電話してるのもさ、ある種、なんていうか、自分の気持ちをスッキリさせるためっていうか。もちろんアリスを都合の良い存在みたいに思ってはいないだけど、でもそういう意味が」

「それ意味じゃないから」

「え」

「目的だから」



 断定的な口調は僕の間違いを許さないように鋭く放たれる。まるで僕が今日の天気を「晴れ」と言って「いや曇りだから」と突っ込まれるような感覚。……でも意味と目的にそんなに差異があるように思えなくて僕は言葉に詰まる。そうしながらまた考える。でも考えようとする前にアリスは二の句を継ぐ。



「意味じゃなくて目的を軸にして考えなよ。地球がいつか終わるから頑張る意味ない、じゃなくてさ、地球が終わるとしても頑張る目的はあるんじゃないの?」

「……あー」

「分かる?」

「分かる。うん。いまので分かった。あー。確かに。うん。なるほど? 確かにね」



 それでやっと動線が繋がって僕はちょっと前のめりになる。確かに確かに確かにと何度も頭の中で咀嚼する。確かにアリスの言葉は正しい。確かに。


 自然と唇を舐めている。表面は乾燥していた。そういえば喉が渇いた。夜はまだまだ暑い。じめじめは終わらない。


 僕は言う。



「目的ね、目的。うん。目的って考え方、すごくいい!」

「でしょ。目的。で、ハチタの目的は?」

「目的?」

「うん。生きる目的。地球が一億年後になくなっちゃったとして、なんにも残らなかったとして、それでも生きる目的はいましか存在しないでしょ? てか、目的とかあるの? ハチタ」

「んー。いまのところは思い浮かばないけど。でもこれから思いつくものでもあるかもしれないし……。どうだろ。ちなみにアリスの目的は?」

「ん? んー。内緒」

「なんだよそれ」

「んふ」

「どうせ絵本の中に入りたいとかだろ」

「んなわけないじゃん。馬鹿。普通にぃ、私は……、ただいまって、言いたいだけ」

「はあ?」

「出た出た。分かんないよねぇハチタには。分かんなくていいんですけどー」



 そりゃ分かんないでしょ。なにそれ?


 っていつもの僕だったらもしかすると言っていたのかもしれない。でもいまの僕にはアリスの気持ちっていうのが分かる。なんとなく分かる。暗闇に射す一条の光みたいな感じで分かって、でも光はすぐに拡散されて広がって線から面となり僕に実感をもたらしてくれる。


 僕は訊く。まるで分かっていないような感じで。



「それ、家族じゃダメなん?」

「ほら分かってない。家族じゃないんだよね」

「ペットは?」

「馬鹿。マジで分かってないじゃん。そういうんじゃないから」

「言いたい相手とかいるん?」

「いや、べつに。てかそういうのはいまじゃないっていうか、もうすこし大人になってからっていうか」

「僕はアリスと言い合いたいけどね。将来」



 と言って僕はいきなり電話を切ってしまってああああああああああああああってなる。ああああああああああ。でもまあべつに悪いことは言っていないし別にいいよねって開き直る。スマホもなんだかちょっと絶妙に胸に悪いから電源を落とす。これで完璧。僕は攻めるときは攻めるけれど逃げるときは逃げるタイプだ。


 あーあ。


 これで嫌われたり距離を置かれたりしちゃったらどうしようっていうことを僕はほのかに考える。でも小学校から付き合いがあってなんだかんだ頻繁に連絡を取り合っているからたぶんいきなり嫌われたり距離を置かれることはないだろうとも思う。冷静に。……冷静に? なんか僕って本当に馬鹿なんだろうな。


 月はやっぱり見えない。


 夜風はやっぱり不快だ。


 夏はまだまだ終わりそうにない。


 僕はあと七十年は生きるだろう。



 そのとき、ただいまって言い合える相手がいればなと、それがアリスだったらいいなと、僕はベンチを立ちながらに思った。


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