第7話 修行の始まり

 連れてこられた場所は何か危険な実験台を閉じ込めて観察するような部屋だった。おそらく過度な衝撃や騒音を防ぐシェルターのような役割をしている部屋だろう。優気ゆうきの目の前に腕を組んだスサノオが立ち、楽し気な表情を浮かべている。うぉおぉおぉしっ!じゃあ修業すんぞ、と意気込むと優気も勢いの良い返事をして気持ちを昂らせる。


「まずは『神力じんりょく』の扱いについてだな。じゃあ四神化してくれ」


「四神化ってのは『変身』、みたいなことですか?」


「そう!昨日体育館でなってたやつだな」


「実はあの感じは」言いかけたところで、「あっ!さっき全然わからんって言ってたな。わりぃわりぃ」と先程ジャンジャンと話していたことを思い出してバッサリと会話を途切れさせた。「すみません」と謝辞を述べ優気の自信が段々となくなっていく。


「大丈夫!大丈夫!この時のために『これであなたの相棒に!四神の器を扱おう(今なら特別フードとフリスビー付き)』っていうテキストがあるから」


「まさかの俺ペット扱いかぁ」


とても分厚い事典のようなテキストのページをひたすらめくるスサノオが優気の呟きに答える。


「昔はさ、人間の生命力を吸収してこの世を荒らす迷惑者だったんだ。その時には人間の自制も効かなくて、第三者が落ち着かせないといけなかったんだよな。今は大人しく人間を敬う者になっているから安心してくれよな」目的のページが見つかり、改めて息を整える。


「それじゃあ、テキスト通りに進めるぞ。『まずは目を瞑って、心の中で自身の宿る四神の名前を呼んでみましょう。すると、あなたの四神が姿を現してくれます』ってことだってよ。試しにやってみてくれ」


テキストを信じ、優気は目を閉じて心の中で朱雀の名前を呼ぶが姿を現す者は何もおらず、無言の虚無感だけが身に残る。


「どうだ。四神出てきたか?」「いや、全くですね」


「まぁそんな上手くいくわけないわな。じゃあ次の方法を試そう。『もし四神が姿を現さないのであれば、もう一度目を瞑って少し話しかけてみましょう。挨拶やご飯の誘いなどなんでもいいので、ご友人と会話をする感覚でトライしよう』だってよ。じゃあやってみよう」


スサノオの言うことに従い、もう一度目を閉じて四神に話しかける。しかし、これまた反応はなく無言の虚無感が身に残るばかりだった。


「出てきたか?」「ダメでした」


「ちなみにどんな会話をしてみたんだ?」


「ちょっとお茶しない?って勧誘してみました」


「お茶に誘ったのか。じゃあ『お茶に誘った』だから154ページだな。『お茶に誘ってもダメならばアクティブな性格なのかもしれません。今度は焼肉やスポーツに誘ってみましょう』だってよ」


「なんだその唐突な心理テスト形式は。初手の選択から次の選択肢に進む本なんて心理テストの本以外見たことないんですが」


「いや~、このテキストは親切でな。必ず四神の扱いをマスターしてくれるから安心してくれ。じゃあ次のアクションに移ってくれ」


胡散臭い本に見え、この手順も本当に正しいものなのか疑問に思えてくる。とりあえず優気はもう一度目を閉じて指示された通りに挑戦を試みる。しかし、またしても四神の反応はなく、再び虚無感溢れる気分に晒される。


「今度はどうだ。姿見れたか?」


「もう全く見えません。これは本当に正規のやり方なんですか?」


「もちろんそうだって。ちなみにどんなことを話しかけたんだ?」


「フォーマット通りに焼肉に誘いました」


「焼肉に誘ったから8610ページだな。『焼肉に誘ってもダメでしたか。あなたのパートナーは余程のシャイボーイ、失礼、シャイ・ディバイン・ビーストと言ったところでしょうか(笑)ならば、相手の気持ちに寄り添ってみましょう。落ち着きながら読書やゲームといったインドア系について会話を試み、誘いましょう。こうなれば必ずこちらを振り返るはずです。というか、あなたの問題のような気がしてきました。やる気がないならこの心理テストを受ける権利はありません。もうこの本は閉じて、現代の社会問題に取り組んでみてはいかがでしょうか?』」はっきりとテキストを読み上げるスサノオは、返答のない優気に視線を向けるととても不満げな表情を浮かべていた。


「これ完全にふざけてますよね?何が失礼、シャイ・ディバイン・ビーストだよ。ドヤ顔で上手いこと言ったと思ってるかもしれないけど、ただ英語に直訳しただけでクソだせぇからな?しまいにはこっちのせいにしてるし、心理テストだって認めちゃってるよ。さっきまでの俺の真面目な取り組みの時間返してよ。あれ結構虚しくなるし、ハズイんだからさぁ」このテキストに対する優気の怒涛のツッコミにおもわずたじろいでしまうが、スサノオは笑顔を作ってもう一度声援を送る。


「その、なんだ、フランクに接しやすいようにしてくれてるんだって。まぁさ、とりあえずもっかいやってみようよ。な?」笑いながら肩をポンポンと叩くスサノオの一押しで渋々もう一度やってみることにした。深呼吸して気分を落ち着かせ、指示通りに四神に呼びかける。


「できたか!?」少しの間を置くと、興奮気味にスサノオが声をかけた。


「読書に誘いましたが、全く現れる気がしません」


「こればっかりは仕方がないからな。じゃあ22753ページだな」


「いや、さっきから思ってたけどページ多すぎるでしょ。なんですか22753ページって、宝くじの番号でもあるまいし。ちなみにこの色んな選択肢は全体で何通りくらいあるんですか?」「42講通りだな」「42講?講ってなんだ。聞いたこともない桁数だぞ」本当に今までで聞いたことがなかった桁数だったため、表情が曇る。常人には『兆』や『京』までが聞きなれた桁数だろうが、『講』とは一体どのくらいの桁数なのか。


「『講』は『兆』の次の次の次の次の次の位だな」「言葉通りに桁違いだ…そりゃページも増えるわけだわ。この本の全体で何ページなんですか?」スサノオがページを捲るのに少し間が空いたが、その様子は沢山のページがあるからか優気にとって大変そうに見えた。


「えっと、45001ページだな」


「42講通り聞いたらインパクト薄っす。45001ページって微妙すぎるだろ。1ページどうにかしてくれよ」残りの手順はどのくらいあるんだろうか、先の見えないアクションといつにたっても四神化ができないため、かなり気が滅入っていた。


「大丈夫!大丈夫!次のページで終わりっぽい。とりあえずテキスト読んでみるわ。『正直最初から思ってたけど、無理な雰囲気醸し出してたから怪しんでたんだよね。というか、あなたの体臭きつすぎ。ちゃんとお風呂入ってますか?(笑)こんな臭いがするようであればまずは身をk』」


おもわずスサノオが吹き出し、大笑いをする。それに対して優気はしょうもなさと今までの鬱憤により堪忍袋の緒が切れ、言葉にならない大声で発した。こればかりは第三者目線だと笑ってしまっても仕方がないと心のどこかでそう思っていたが、実際に笑われると改めて惨めな気持ちになる。


 「わーりぃわりぃ。気を取り直して続きから読むぞ」オホン、と笑わないように敢えて冷たい表情を浮かべて音読し始める。


「『こんな臭いがするようであれば身を洗い、清めるところから始めてみてはいかがでしょうか?…しょうがないですね。どうしょうもないあなたへ絶対に四神化できるアドバイスを送ります。本当に本当の出血大サービスですからね。このページをめくり次のページのことを実行してください』」


途中で再び耐えられず少し笑いを浮かべながらだったが、スサノオも優気も必死に耐えしのぎ、次のページを捲る。そこに書かれていたことは『四神に力を貸してください』と嘆願する旨が綴られていた。今までやってきたことが無に返るかのアドバイスで、思わず「最後の最後でそんな単純なやり方かい…」と文句が零れ、いまいち信憑性がないことから優気はがっくしとしてしまった。スサノオはとりあえず前向きにやってみろと背中を押すスタンスを貫いていたこともあり、改めて自らを落ち着かせ、目を瞑って「四神に力を貸してください」と心の中で懇願する。

 

 すると、不思議と全身に力がみなぎり、適応感のあるエネルギーを感じる。それは瞬く間に全身を包み込み、自身の表面に現れた。


「おぉ!できたな!!」スサノオが煽てる中、向かいに貼られた鏡で全身を一部一部確認する。薄いオレンジ色の甲冑が全身を纏い、髪の毛の色も茶髪と金髪の中間付近の色に変わっていた。


「かっけぇえ!!」目を光らせながらその場で色々なアクションを取る。

「こういう超ミート人みたいなの憧れてたんだよなぁ!いや、テンション上がるわぁこれ」


「よかった、よかった!ひとまず第一関門突破ってとこだな。よし、じゃあ続けるぞ」咳払いをして再度意気込んだ。運動が人一倍苦手な優気は改めて兜の緒を結びなおす。


「この本が言うに、その四神化の維持は『神力』を使う。『神力』ってのはまぁ、なっつんか、そうだな、エネルギー!エネルギーだ!これがあってさっきのジャンジャンのやってた呪術が使えたり、昨日のお前みたいにすぐ治らない傷を回復できたりするわけよ。これでわかったか?」


「なるほどなるほど。そして、多ければ多いほどいいってことですね」そうそう、とスサノオは首をロックバンドで巻き起こるヘドバンのように高速で首を上下に揺すり納得の意を示す。その動きから優気の四神化に興奮していることが分かるが、何度も戦場を経験しているため、実戦と日常との感覚の帳尻合わせが難しいように感じられる。


 「今日は『神力』の扱いをマスターすることが目的だったが、初めて四神化したからな。どうしようかなぁ」想定外の展開で少し頭を悩ませたが、何か閃いた様子でこちらを見た。


「そうだ。今から実戦形式のおいかっけっこしよう!」


先ほど手にしていたテキストから付録のフリスビーを取り出し、握りやすいように入念にほぐす。おいかっけっこに何の意味があるのかはわからなかったが、とりあえず続きの説明を受ける。「俺はフリスビー持って全力で逃げるから、それをゆうきは奪い取ってくれ。もちろん殴る蹴るなどの力による抵抗もするし、お前もしていい。なんてったって実戦をイメージしたもんだからな」


「わかりました!最初はちょっと離れた方がいいですかね?」


「そうだな。俺はちょっと奥に行くからお前は部屋入り口に移動してくれ。あの時計で4時半になったら開始な」


2人は定位置に立ち、向かい合う。昨日見たレベルの高い戦闘能力からフリスビーを奪い取れるのかいささか疑問ではあるが、取り敢えず全力で追いかけるだけだ。


「ちなみにこれはテストみたいなもんだからな。全力でこーい!!」


「全力で行きます!!」


 部屋の壁掛け時計の秒針が12時を指し、時刻が4時半となる。優気はスサノオに向かって真正面へ走りだした。すると、スサノオはいきなりフリスビーを持っていない手で拳を作り、顔面を目標に殴りかかってくる。優気は不意打ちに驚きながらも直前で上体を反らし、右手でフリスビーを取りに狙う。しかし、手首を後ろにスナップさせ、スサノオの背中に巻き付くように回転していくと、先程拳を振った反対側の手でキャッチする。スサノオは優気の体制が整うと同時にみぞおちに向かって蹴りを入れ、優気は再び入り口に戻るように付近の壁に衝突した。今まで味わったことのない苦しさを感じておもわず嘔吐してしまいそうになる。


「おい、この部屋で吐くんじゃないぞ。掃除すんの俺なんだから」蹴られた方が悪い。そんなスタンスだったが、向こうの感覚では今の蹴りが当たることの方が非現実的で、下の下の動きと思っているだろう。


「いや全然大丈bおろろろろろろろろろろr」


瘦せ我慢の限界が尽き、意図せずに吐いてしまった。優気の苦しむ顔を目の当たりにしてスサノオはおもわず困惑する。


「おいおいマジかよ!これじゃ神耐久ならぬ紙耐久だな」


上手いことを言って調子に乗っているところが少し優気の気に障る。口元を拭い、奮起に燃える声を出しながら再びスサノオの元に向かって行く。そっちもその気ならこっちもぶん殴んぜ。そう意気込みながらこちらも右手で拳を握り、顔をめがけて殴りかかるが案の定躱され、またカウンターの膝蹴りが腹部を狙ってかまされる。だが、優気も負けていられない。先のことを学習して、左手で受け止めたのだ。予測したカウンター対処の芸当におぉ、とこれにはスサノオは関心を示していた。当の優気は受け止めた左手に衝撃が走り必死に痛みに堪えるが、これで終わってはならない。


 すぐさま股を抜くように、対角線上の軸足の膝裏を狙って右足で蹴りを入れる。これも不意を突かれる格好となり、体制を崩すことを狙った攻撃は無事に命中した。初めて攻撃が当たり、心の中で大きなガッツポーズをしたが、安堵するのも束の間。スサノオは後ろに向かって体制が崩れることを察知し、軸足を蹴られる前に爪先に力を入れることで、走り幅跳びでバーを飛び越えた後の体制のように高々と宙で体を捻り、その遠心力を纏った勢いで優気の顔面に蹴りを入れた。


これには手応えのあった優気は分からなかった。それもそのはず、優気の攻撃はからだ。しかし、その攻撃動作を食らった後に対応したとなればどうだろうか。つまり、神がかり的なフィジカルの強さが優気の策を上回ったのである。


 蹴りを食らった優気はまたもや同じように入り口近くの壁に激突し、鼻血が溢れ出て自然と涙が目に浮かんでしまう。


「意味わかんないフットワークと蹴り…超次元サッカーかよ…」と有り得ない戦闘技術に理解ができずに落ち込んだ様子だったが、目元を拭い、「まだまだ!」と自らを鼓舞し切り替える。


「その意気だ!」とスサノオも優気を鼓舞する様子はそれほどの期待があったからだろう。

 

 その後何度もフリスビーを取ろうと試みるが、ペットのように扱われたり返り討ちに合ったりなどばかりで、約10分ほど経過したところで四神化が解けてしまった。また、普段運動をしない優気にとって過度な動きの継続により汗は止まらず、体力も底尽きていたため、急な眩暈がやってきて視界をぐちゃぐちゃに乱した。そんな状態に陥り、倒れそうになったが、前に強くて温かいものに支えられた感覚が現実に引き戻す。


「大体10分くらいもったな。お疲れ様。よく頑張ったぞ」


ありがとうございます、と細々と伝えるがまだ意識は朦朧としており、先ほどいたリビングまでスサノオが肩を組んで連れていく。ソファーに座らせて冷蔵庫から栄養ドリンクのようなものを開け、優気に渡した。ホワホワとしている状態ながら手渡されたドリンクをぐびっと飲むと、強烈な苦味と辛味が舌を刺激し、即座に現実へ引き戻した。


「何なんだこのバカマズドリンクは!!ペッ、ペッ」


思い通りのリアクションだったのだろうか、スサノオは優気の反応を見て高笑いする。


「それはうちのメンバーお手製の『メガ目がドリリングドリンク』だ。朦朧としている状態から一気に目を覚ましてくれる戦闘必需品よ。ちなみに1日に5本飲むと死ぬから気をつけろよ」「飲む気も無いし、なんならもう一生飲みたくないですよ!」スサノオは軽く笑い、そうだわな、と納得の意を示した。


優気はドリンクによって喉と舌がおかしくなった状態のため、スサノオはキッチンで汲みに行き水道水に氷を入れて優気に手渡した。勿論それを有難く頂戴し舌を平常に戻すため一気に飲み干す。喉も舌も潤ったところで「それじゃあ最後に題を課すぞ」とスサノオが口を開いた。


「今日習得した四神化を続けるのに現状10分が限界だったな。そこから今日よりもたくさんダメージを受けて、能力で回復するとなると神力をより消耗することになって、もっと短い時間しか継続できなくなる」


確かに戦闘においてのことを考慮すると今のままでは殆ど戦力ならないことを思い知らされる結果となったのを優気は痛感していた。


「そこで、今日を含めた金・土・日の間に四神化を継続する自主練をすること!やり方は四神化状態で神力をフルで解放すること。いいな?」


「はい!わかりました!」


「いい返事だ!質問が無ければ今日は解散な」


「2ついいですか」手を小さく挙げて質問をするアピールを施す優気に対して軽く頷いた。


「神力を解放したら敵とかにバレたりしちゃうとかはないのでしょうか??」


敵に神力を探知することが得意という者がいたら一瞬して優気の居場所が分かり、昨日の怪物が再び日常を脅かすだろうとの考察から出た質問であった。


「いい質問だ!!さっきお前の部屋に結界を張ったとの連絡が入った。結界ってのは神力を遮断してくれる区域のことだから心配しなくていいぞ」


「何から何まで対応されていてちょっと怖いな。なんならめちゃくちゃ怖いな」


「大丈夫!!俺のからの連絡だから安心してくれ。じゃあ次の質問!!」


先手先手を打たれて不安になるこの感覚は恐れに値する感情であるが、ここまで濃密なコミュニケーションを取り、能天気なスサノオに言われたら信じざるをえなかった。これで1日だけ仲良くして今度会うときには別人のような扱いを受ける新手の詐欺の可能性を考えるが、そんなことをして不利になるのは相手側のため信じることにした。優気は続けて次の質問を問い始める。


「昨日助けてもらったときに僕ともう1人、友達がいたと思うんですけど、まだ正体とかこの組織のこととかバレてはないんですけど、すっごい怪しんでて、むっちゃ困るんですよ。だからあいつにだけこの組織や僕の立場を口外しちゃダメですか?」少し考えを巡らせているがなかなか答えが出ない様子だった。


「うーん、これだけは何とも言えないなぁ。バレてないならこのままやり過ごすしかないかな。もしバレたら今日送られたメールに返信してくれ。そしたらこの組織のみんなで話し合ってみるよ」


「申し訳ないですが、ホントにありがとうございます」下校したあとに普段から通っている塾へ行かなければならないため、教室へ戻るべくリュックを背負い、部屋を出ようと立ち上がる。実のところ、塾は怜真れいまと同じところに通っており、どう対処するかを再び考える。


「じゃあまた来週な。バイバ~イ!!」スサノオが元気に手を振って優気を見送った。


 時刻は5時を示しており、下校時間に差し掛かっていた。入ってきた窓へ戻ろうとするも、ただのベランダへ続く窓にしか見えず困惑するが、窓を一歩超えると空き教室を出た時と同じ視界が広がった。


あの部屋に入った時も驚いたが、部屋を出た今も理解が追い付かない。そのため、優気は何度も前後を振り返って見てしまう。夕陽が沈み、暗くなる空き教室を視認したところで帰宅の意思に駆られてその場を離れた。


_____________________________________ 


 「学校内のどこかで昨日の人に会ってきただろ?」

塾の授業始まる前に怜真が隣の席で筆記用具とテキストを机に出す傍ら、何の変哲もない声でそう尋ねてきた。おもわず驚きの声を上げてしまい、それに続いて怜真は深く問い詰める。


「そして、激しい運動というか動きをした」


「ゲゲゲゲェ」


「ビンゴ。お前わかりやすすぎ」


「なんでわかったの!?」はぁ、とため息をつき、準備を止めて優気の方を見る。焦った表情で口が半開きになっており、自身より巨大な動物に相対した時の小動物のような顔にそっくりだった。少し怜真は笑いが漏れそうになるが、落ち着いて堪え、説明に取り掛かった。


「部活が早めに終わって教室戻ったら、お前のシャーペンが机に置きっぱなしだったから夜の塾の時に返そうとしたんだけど、空き教室から出てくるお前を見たんだよ。追いかけようとしたけど、お前走ってたから後でいいかなってポツポツ歩いてたら、鼻を衝く腋臭の匂いとすげぇクセェ汗の臭いがしてさ」


「あちゃ~そりゃ詰みですわぁ~」核心を突かれた優気は抵抗も言い訳も全く思い浮かばないお手上げ状態だった。怜真にバレるのは時間の問題だと思ってはいたが、こんなに早くバレるとは想像もしておらず、焦りを感じるよりかは呆気に取られた感じだった。自分の机に忘れたシャーペンを返してもらい、両手で端と端を持ち、何故こんな時に忘れたんだと自分を責め立てる。


「まぁ、今の全部噓だけどな」


「…へ??」


再び怜真がため息を吐くと思いもよらない言葉を聞こえた。一瞬どういうことか理解ができなかったが、数秒空白の時間が割き入り理解の歯車が動き始める。


__________はめられた、その結果が頭によぎる。


「今のは全部俺の妄想創作だよ。空き教室から出てきたとか汗臭かったとか。お前

の口から昨日何があったのかを聞き出すための噓だよ」


「…」終わった。何も言葉が出ない。おもわず口がポカーンと開く。


「リアクションから察するに妄想もどうやら当たってたみたいだな。ありがと」


「…かぁ」


「これぞ『返答なしのしょぼくれカラス』だな」


「…かぁ」


「あっ、今度学校行ったとき俺を昨日の人達と会わせてくれよ。お前だけ色々知ってるのはズルいし、俺も気になるからさ。おっ、先生きたな。じゃあよんしく」


「…かぁ」


見事に怜真の罠にはまり、すべてバレてしまった。返答する気も何も起こらず、単純な機械のように1つの音声を発することしかできない状態となっていた。


塾講師が教室に入り集団授業が始まった。塾講師は坂藤さかとうという者で、酒を飲みながら授業するといった有り得ない授業スタイルだった。一般的な塾ならば一発退場ものだが、何より説明がわかりやすく、有名大学への進学実績も豊富なため保護者の評価も高くクビになることはなかった。


実際優気も去年の秋ごろに塾に入ってから1度も指導に不満を思ったことはない。難しいことをわかりやすく言語化し伝える、このような難しいことを淡々とこなす姿はまさに天職という言葉がピッタリと当てはまる存在だった。


そんなわかりやすい授業が始まったが、優気は自分のやった行いを悔いながら自身を責める。この酒飲み塾講師よりも俺の方がクビになるんだろうな。そんなことをボーっと考えながら、授業ノートの端に『すみませんでした』と丁寧な字で書き込んだ。

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