第6話 贈り物

 それからも私は幼いデニスの心を散々その気にさせてやった。喫茶店に入り、スプーンで掬ったアイスクリームをデニスに食べさせてやった。


 母はお行儀が悪いからやめなさいと止めたけれど、公爵夫人がいいじゃないと微笑ましそうに笑って、妹は冷めた目で見ており、デニスは顔を真っ赤にしながら私のスプーンをぱくりと咥えた。私にもちょうだいとねだれば、震える手つきで食べさせてくれた。


 あーあ。たった一日でこんなふうになっちゃって。ちょろすぎて馬鹿みたい。


「お母さま! これ素敵!」


 休憩した後、そろそろ帰ろうかと話していた中で、妹が唐突に母の手を引いてガラス棚に飾られたブローチを指差した。金色に輝く縁の中に描かれた白く美しい女性の横顔。絵柄が立体的に見えるよう宝石に施したカメオブローチだ。


「まぁ、本当ねぇ……」

「ね、お土産に買ったらだめ?」


 甘えるように妹がねだったが、母は難しい顔をした。貴族であっても、即決できる値段ではなかったからだ。あるいは子どもに買ってやるものとしては高価すぎると判断したのかもしれない。


「レイラ。ハンカチはどう? 普段使いもできるし、レディなら持っておくのが常識よ」


 一緒に聞いていた夫人が助け舟を出す。レイラは一理あると思ったのか、再度母を見上げた。


「お母様。それならいい?」

「うーん……そうね。何も買わないのは寂しいし、いいわよ」

「わーい。ありがとう!」


 レイラは甘えるように母に抱きついた。もう仕方ないわねぇ、と言いながら母は妹の髪を撫でてやる。私は冷めた眼差しでそれを眺めていた。


「ほら、選んできなさい」

「はーい」


 母はレイラを見送り、私には何も言わなかった。いつもこれだ。きっと私も欲しいと言えば買ってもらえるかもしれないけれど、私は母自身の口から「イルゼ。あなたも好きなものを選んでらっしゃい」と勧めてほしかった。


「イルゼ。きみはいいの」


 ――意外にも、デニスが私にそう言った。


 母がそこでようやく気づいたように私に声をかけた。


「そうね。イルゼ。あなたも好きなものを選んできなさい」

「……私はいいわ。レイラにだけ、買ってあげて」


 お姉さんぶってそう言ってしまった。長年の癖が染みついている。


「そう?」


 母は困った顔をしながらも、それ以上は勧めてこなかった。自分でいらないと言ったくせに、ひどくモヤモヤする。


「じゃあ、僕がプレゼントするよ」

「えっ」


 公爵夫人も、手を合わせてそれがいいわと賛成した。


「イルゼには、デニスからプレゼントするといいわ。なんたって婚約者なんですもの」

「行こう。イルゼ」


 デニスが私の手を引いて、ハンカチが並べられた棚へ向かう。妹が振り返り、一瞬に繋いだ手に目をとめたが、すぐに可愛らしい笑顔を浮かべた。


「ね、デニス様。わたしのハンカチも選んでくれませんか」

「いや。僕はイルゼの……」

「もちろんお姉様はデニス様の婚約者ですもの。でも、そうしたらわたしはデニス様の妹になって、お義兄様ということになるでしょう? ですから妹のために、兄として相談に乗ってほしいんです」


 ……そうきたか。まったく。次から次へとよくそんな甘言が思いつくものだ。


 私は前世の知識や死ぬ前までの記憶があるからだけど、妹には何もない。まだ少女ともいえる年なのに男心をくすぐる技を身につけているのだから将来が末恐ろしい。


「だけど、それだと……」


 デニスがこちらをちらりと見る。そのまるで私がいるから選ぶことができないという態度にイラッとする。一々私の顔色を見て判断するんじゃなくて、何が悪いか、自分で考えて判断してほしいのに。


「ね、お姉様もこれくらいお許しになりますよね?」


 憎たらしい子。その隣でおどおどする婚約者。……なんだか急に馬鹿らしくなって、「どうぞ」と私はそっけなく答えた。


「イルゼ……」

「ありがとうございます。ね、デニス様。どれがいいかしら。わたしはこちらもいいと思うんですけれど……」


 私は話すのも面倒になって、一人ぽつんと重ねられたハンカチに目を落とした。私の方を気にしていたデニスも、積極的に話しかける妹を無視できず、相手をする。


 妹が微笑むと、つられてデニスも笑みを浮かべ、周りの大人が二人を見て「可愛いらしいわね」と微笑ましそうに感想を漏らしていた。


 これじゃあ、どっちが婚約者かどうかわからない。


「私、先に戻っているわ」

「えっ、イルゼ。きみのハンカチは?」

「やっぱりいいわ」

「そんな。だめだよ」

「いいじゃない、デニス様。お姉様はいらないっておっしゃっているんだから。ほら、それよりも、お姉様がいらなくなったぶん、デニス様が欲しいのをお選びになったらいいわ。これなんかいいんじゃないかしら」

「いや、僕は、あっ、イルゼ!」


 私はデニスの声を無視して、母たちのもとへ戻った。二人はどうしたの、と尋ねたが、私はにっこり笑って内緒よと答えた。何とも不思議な答えであるが、夫人が「あなたに内緒で選んでいるのね」と勝手に解釈してくれたのでそういうことにした。


 ハンカチをそれぞれ購入して、妹はデニスと楽しそうに話していた。私は一人ぽつんと残されたので夫人が気にかけていろいろ話しかけてきたので、にこにこ笑っていた。それぞれの馬車に乗って帰ろうとした時、不意にデニスに腕を掴まれた。


 びっくりして振り返ると、彼は白い包装紙を私に押し付けるように手渡した。


「これ、あげる」


 私が目を丸くして何か言おうとしたが、その前にサッとデニスは離れてしまい、先に乗っていた母が早く乗るよう促したので、そのままスカートのポケットにしまった。


 窓から夫人が手を振ってくれる。デニスは地面の方を見ていたが、最後に私の方をじっと見た。


「見て! お母様! デニス様に選んでもらった花柄のハンカチ!」


 帰りの馬車の中で、妹はわざわざ私に見せつけるように白い包装紙を剥がし、花と蔓、そしてテントウムシが施されたハンカチを広げてみせた。


「まぁ、素敵ね」

「でしょう。デニス様が、わたしにぴったりだって言ってくれたの」


 レイラはそう言うと、私を見て可哀想なものを見る表情をした。


「お姉様も、意地を張らずにデニス様に選んでもらえばよかったのに」

「……さっき、もらったわ」

「えっ」

「そういえば、何か手渡されていたわね」

「ハンカチ、もらったの!? どんなの!?」


 見せて! とレイラが奪い取ろうとするので、私はやめてよと手を払いのけた。


「家に帰って開けるわ」

「だめ! ここで見せて!」

「なんでよ……そもそも、あなたも選ぶ際一緒にいたんでしょう」


 というかレイラが選んだのではないかと言えば、彼女は悔しげな顔をした。


「デニス様にはこれが似合います、って言ったけど、ここは女性ものばかりで、僕には似合わないから、あっちを見てくるって言って……まさかこっそりお姉様に買っていらしたなんて!」

「イルゼはデニスの婚約者なんだから、別にいいじゃないの」


 母が多少呆れた声で宥めても、妹は納得がいかない様子でなおもしつこく私に見せてくれるようせがんできた。私は嫌だと突っぱねったが、妹は諦めず、見かねた母が「見せてあげなさい」と促した。


「嫌よ。どうして婚約者にもらったのを、妹に見せないといけないの」

「ハンカチくらい、いいじゃないの」

「ハンカチでも嫌」

「お姉様。心が狭いわ!」

「ええ、狭くてけっこうよ」

「見せてったら!」


 あまりにもしつこいので、私は面倒になり、包装紙を剥がした。白いハンカチにDと刺繍が施されている以外特徴のないハンカチが現れる。


「なーんだ。ただの味気ないハンカチね」

「あら。Dって、デニスの頭文字ね」


 母はそう言うと、ふふっと笑った。


「自分の名前が入っているものを渡すって、なかなかロマンチックね」


 母の言葉に妹は偶然よと言った。


 私も深い意味はないだろうと思った。だが妹が物欲しげな目で私のハンカチを見てきたので、それは気分が良かった。


 しかし屋敷へ帰るなり、父のお説教を食らうことになったので台無しになってしまった。すっかり忘れていたが、私はメイドの目を盗んで家を抜け出したのだ。使用人たちは半泣きであちこち探し周り、敷地内のどこにもいないので誘拐でもされたのではないかと真っ青になった状況だったという。


 私は父にしこたま怒られ、また反省するよう部屋に閉じ込められたのだった。


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