第5話 かき乱す
「イルゼ!?」
母と妹は百貨店で買い物をしていた。私の姿を見ると、ぎょっとした様子で近づいてくる。
「どうしてこんなところにいるの!?」
私は突然走り出して、母の腰に思いきり抱きついた。
「ひどいわお母様! 私も連れていってくれるって約束したのに置いていってしまうなんて! レイラだけ連れて行くなんて!」
周りに聞こえるほどの大きさでそう言えば、周囲がちらちらと視線を向けてくる。母が慌てた様子で口を塞いでくる。
「な、何を言っているのこの子は……あの、違うんですよ?」
公爵夫人に訳を説明しようとするが、彼女はわかっているというように頷いて見せた。
「あなたがイルゼを将来のために厳しく躾けるのはわかるわ。でもたまには息抜きも大事だと思うの」
「いえ、その……」
「だから今日は一緒に楽しみましょう。ね、イルゼ?」
「はい。私もデニスと一緒に楽しみたいです!」
そう言って今度はデニスの腕に絡みついた。彼は私の大胆な行動にぴしりと固まった。当然だ。だって前まで触らないで、と払いのけた女が今は恋人のようにくっついてきたのだから。
「イ、イルゼ」
「私、行きたいところがたくさんあるの。だから早く行きましょう。――ほら、レイラも」
嫌いな男に自ら近づくものか。これは見せつけるためにやっているのだ。彼が好きでたまらない妹のために。
レイラは面白いくらいに顔を強張らせた。ふふん。今大人二人がいる状況でデニスに甘えることもできないものね。婚約者であるのは私なのだから。
「さ、デニス様。行きましょう!」
指を絡ませて、私は楽しくて仕方がないといった無邪気な様子で彼の腕を引っ張った。あらあら、と夫人が微笑ましそうに見ていた。
「イルゼ。もう、怒っていないの?」
デニスが恐る恐る口にする。私は目を細めた。
「ええ。怒っていないわ」
今日一日だけ。
そう心の中で付け加え、私はデニスをあちこち引っ張り回した。
「見てこれ! 変な眼鏡! デニスつけてみてよ!」
「え、うん」
デニスは戸惑いつつ、見るからにダサい瓶底眼鏡を素直にかけてみた。案の定一気に老け顔に見えて私はケタケタ笑った。
「お姉様! 笑うなんて失礼よ!」
レイラが何とか会話に入ってこようとするが、私は無視して、「次はあっちに行きましょ!」と彼の手を引っ張って逃げる。母親たちが「走っちゃだめよ」と注意するけど、基本的には子どもの戯れと思って傍観している。
だから私は思う存分デニスと妹を振り回してやろうと決めた。
「わぁ、素敵。ね、あのドレスとこっちのドレス、どっちが私に似合うと思う?」
デニスに顔を近づけて、そう尋ねると、彼は頬を赤くした。
「ね、どっち?」
「そ、そんなのわかるはずがないだろう」
女性の衣装について口にするのが恥ずかしいのかぶっきらぼうに答えられる。目まで逸らして嫌な感じ。そんな顔をされると、もっと意地悪してやりたくなり、耳元で囁くように問いかける。
「じゃあ、どっちを着た私と一緒にいたい?」
「っ……」
「赤と青のドレス、ね、どっちを着た方が、デニスの恋人、って思われるかな?」
教えてよ、と彼の青い目をじっと見つめる。彼は耳まで赤くして、やがて「……青」とぽつりと答えた。
私はぱあっと顔を輝かせて「やっぱり?」と彼の身体に抱きついた。「イルゼ!」と離れようとする彼にしがみつき、耳元でたっぷりと甘さを含んだ声で言った。
「青はデニスの瞳の色だものね。知らない人が見ても、私はデニスの恋人だって思ってくれる。青いドレスでぴったりだわ」
ぱっと身体から離れ、それでも鼻先がくっつきそうな距離。きらきらした目で私がそう言うと、彼はもう恥ずかしくてたまらないというように俯いた。
「嬉しい、デニス。早くパーティーとかたくさん出て、デニスの色を身につけたいわ」
彼が顔を上げて、私の顔をじっと見つめる。彼に恋する少女の顔を。
「イルゼは……僕のことが好きなのか」
「もちろん!」
以前の私なら頬を染めて、答えるのに数秒要しただろう。こんなふうに即答できなかった。でも今は何とも思っていないから躊躇いなく頷ける。
「私はデニスのこと、大好きだよ」
大嫌い。アンタみたいな男。
「イルゼ……」
何かを期待するように、熱のこもった瞳で私を見つめるデニス。そんな彼を裏切られたような表情で見ている妹。
私に隠れて、幼い頃からずっと裏切っていた二人のことなんて好きになるわけない。憎しみと怒りで頭がどうにかなりそうなくらい嫌悪している。
だから壊してやる。傷つけてやる。
「行こう。デニス」
「……うん」
彼が繋いだ手をぎゅっと握りしめてくる。目が合えば、はにかむように笑った。
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