人面瘡

紙魚

人面瘡


「なぁ、知ってるか?組長の噂」


関西全域を支配する広域指定暴力団、十度犯トドオカ組の事務所。少しくすんだ無機質な壁に寄りかかり、団員の男がニヤニヤと話しかけてくる。

またこいつか。俺は内心でため息を吐いた。噂好きで有名なこいつのことだ、新しく仕入れた噂話を誰かに話したいのだろう。


「あぁ?」「無限にあんだろそんなん。ロケットランチャーをぶっぱなしただの、その建物を木っ端微塵にしただの…」


「いやそうだけど、そういう武勇伝じゃなくてさぁ」


嬉しそうに語る団員が、わざとらしく声を潜める。


「なんかさ、組長って敵をシメる時、左腕を撫でるらしいぜ」


「なんだそりゃ?」


どうせまた、誰かの頭を破裂させただのなんだのという類の話を想像していたので拍子抜けした。撫でるからなんだというのだ。


「儀式かなんかか?」


「さぁ…?」「なんでかは分からないけどほら、この間の丹斗組との抗争の時さ」「全員沈めた後、こう、左の二の腕のあたりをポンポンって…」「実際に見たやつがいるらしいぜ」


「ふーん」


奇妙な話である。あのトドオカさんに限ってケガでもないだろうし、願掛けに頼るような人だとも思えない。どんな意味があるのか。


その時は、たわいもない噂の一つとして聞き流し、さほど気にも止めなかった。


────────────────────────────────────



月末。今月のアガリを報告に向かう。途中で使が増えたせいで遅くなってしまった。

とうに日も落ち、人気のなくなった事務所の廊下を早足で歩く。トドオカさんの部屋の扉の前に立つと、微かに話し声が聞こえてきた。


「……そうは言っても……あるんや」


「時には……頭数……」



来客があるのはさほど珍しいことでもない。

耳を疑ったのはその口調だ。宥めるような、諭すような…。

"あの"トドオカさんが、そんな口調で話す相手がいたとは。


あまりのことに、つい聞き耳を立ててしまう。


「……分かった………の機会……」


少しして我に帰った。報告をしてしまわなくては。緊張した面持ちの男が扉をノックすると、中から声がかかる。


「おう、入ってええで」


「失礼します」


ガチャりとノブを回し、軽く頭を下げて部屋に入る。中央のソファーに、筋肉の詰まったトド面の巨漢がどっしりと座っていた。

他に人の姿はない。さっきまで話していた人はどこに行ったのだろう。どこかに隠れたのだろうか。いったい何のために?


「どないしたんや、怪訝そうな顔してぇ?」


「あ…いや、その……」


心臓が跳ねる。しまった。不躾だっただろうか。


「誰も、いらっしゃらなかったものですから…、」


「ああ、聞いとったんか、ハッハッハ!」


トドオカさんが口を開けて笑う。

そして、左の二の腕に手をやった。


「こいつはなぁ、厳しいやつやねん」

「大変な暴れん坊でな、ワシが宥めてやらんとみーんな殺してまうからな」


ゆっくりと、あやすように自分の腕を撫でるトドオカさんから目が離せない。


あの噂が脳裏にちらつく。


『敵をシメる時、左腕を撫でる』


冷や汗で手が湿っていた。

いつのまにか自分の息が荒い。


「ところで君なぁ」


ゆっくりとした動作でトドオカさんが立ち上がる。こちらへ歩いてくる顔が笑っている。しかしその目は冷たく、暗く、まるで洞のようだった。


逃げなくては逃げなくてはと思うのに、凍りついたように体が動かない。


「盗み聞きはあかんよ?」


左腕が男の頭に伸びてくる。


刹那、チラりと見えた袖の下で、気味の悪い皺まみれの顔が笑っていた。

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人面瘡 紙魚 @simi_honnomusi

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