28 細かいことは気にしなくていいか

 ――偽聖女印のミント石鹸。


 最近は、そんな宣伝文句が各地で有名になっているらしいと聞いた。

 石鹸の販売については、東神教に売りつける桜入りのものから、各貴族に向けたオーダーメイドのものまで各種生産を続けていたんだけど。このミント石鹸は、素材も安価で大量に作れるため、一般大衆向けに販売を始めたものだ。


「それにしても、アーサーの読み通りだったね。私はまさか、偽聖女様ってだけでここまでの付加価値になるとは思ってなかったよ」

「偽聖女ナターシャは今や世界的な有名人だからね。そのブランドを使わない手はないよ。ナターシャが有名になるごとに石鹸が売れて、石鹸が売れるごとにナターシャが有名になる。国際魔法薬連盟にとっても良いこと尽くしだろう」


 現在、ピューレシア市近郊には大規模な石鹸工場ができている。どうも先日の瘴気風の件以降、帝都から逃げ出す民が大勢いて、ライラック辺境領にもやってきていたからね。そういった新規領民の仕事先としても、石鹸工場はなかなか大きな役割を果たしているわけだ。

 まぁ、石鹸の箱に私の肖像画が描き込まれているのは、ちょっと恥ずかしくはあるんだけど。なんか現物よりもやたら美人に描かれてるしさぁ。


 さてと。今日はピューレシア市にお客さんが来ているということで、私はアーサーと一緒に久々に領城へと向かっていた。


「お客さんかぁ……あんまり良い予感はしないけど」

「これまでの来客が散々だったからね」

「そうなんだよ。とりあえず、結婚式がもうすぐなんだから、あんまり波風が立つようなお客さんはご遠慮いただきたいなぁ」


 季節は春。例年よりも冬季の死者が少なかった今年は、市民の顔もなんだか明るいように感じられた。さて、もうこれ以上の変な事態はごめんだぞ、と思いながら、私はアーサーと一緒に歩いていった。


  ◇   ◇   ◇


 応接室では、三人の貴族女性が目を吊り上げて私のことを見ていた。うーん、これは。


「お久しぶりです、ナターシャ様。といっても、きっとわたくしのことは記憶の片隅にもないでしょうが」

「そんなことはありませんよ、トリステア・バジル伯爵令嬢。バジル伯爵には帝都でずいぶん良くしていただきましたから。まぁ、貴女には柱の陰からずっと睨まれていたように記憶していますが……お元気でいらっしゃいましたか?」


 うん。なんかこう、私がフィリップと並んで歩いていると、キーってハンカチを噛んで悔しそうにしてたからすごく印象に残ってるんだよね。


 バジル伯爵は帝国の財務大臣をしている大御所で、法務大臣と共に私の茶飲み友達をしていた。まぁ、一応は将来の皇太子妃という立場だったから、人脈もちゃんと広げておかないとって思って作った縁なんだけどね。


「それで、トリステアさん。ご用件は」

「フィリップ様を解放してあげてください」

「あー……なるほど。だいたい理解しました」


 ごめん、私は貴女を誤解していたみたいだ。てっきりこう、トリステアさんが柱の陰でキーってしているのは、出世欲とかそういうサバサバした類のものなんじゃないかと思ってたんだけど、どうやら違ったみたいだ。


「トリステアさんは、フィリップのことを本当にお慕いなさっているのですね」

「もちろんです! あんなに素敵な方は他におりません。それなのに今は……皇太子の座を奪われ、どれほど心身に傷を負っているか。想像しただけで、わたくしは……それなのに、ナターシャ様は元婚約者を魔法薬の人体実験に使う始末……なんて酷い」


 なるほど、言わんとすることは分かった。

 まぁ、フィリップは自ら率先して魔法薬試験センターの所長をやっているし、今は配下の元騎士たちとも楽しそうな毎日を過ごしているから、そんなに心配する必要はないと思うんだけどね。


「……うん。それじゃあ、この後フィリップのところまで連れて行くよ。それで、トリステアさんの後ろにいる二人は、たぶん初対面ですよね」


 私がそう言うと、彼女たちは静かに俯く。

 口を開いたのは、トリステアさんだ。


「彼女たち二名の他にも、わたくしと一緒に帝都を抜け出してきた令嬢がたくさんおりますの」

「そうなんですか。それで?」

「彼女たちは皆……ギレット皇太子殿下に貞操を奪われたり、孕まされたりした者たちなのです」


 あー……うん。なるほど?

 確かにそんな立場だと、今の帝都にはあまりいたくないかもね。ギレット皇太子は時期が来れば皇帝になる。一方で彼女たちの身分はそれほど高くないだろうし、ギレットに何かを命じられるか分かったもんじゃないから。


「帝都を出た事情は理解しましたが、それがどうしてライラック辺境領へ来ることに?」

「ルビードラゴン騎士団、です……」

「ん?」


 ルビードラゴン騎士団は、フィリップが連れてきた直属の騎士たちで、今は試験センターで働いている者たちだ。それが、どうしたんだろう。彼女たちと何か関係があるってことなんだろうか。

 首を傾げる私に、トリステアさんが胸を張って説明を始める。


「ナターシャ様。ルビードラゴン騎士団の男たちは、ギレット皇太子によって婚約者の貞操を奪われた者たちなのです。心優しいフィリップ様は、彼らを集めて自分の配下に加えることにしたのですよ」

「あぁ、そうだったんだ」

「彼らは、ギレット様が皇太子になることなど認められないと思っていらっしゃいましたから。そういう方々が結集して、フィリップ様の配下として活動することになったのです。あぁ、フィリップ様はなんて慈悲深いのかしら」


 そうか、彼らはそういう事情で集まった集団だったのか。だからこそ失脚したフィリップにもそのまま臣従して、誰一人帝都に帰ろうとしなかったんだね。なんか色々と納得したよ。

 となると、そのご令嬢たちは……かつての婚約者を追いかけて、ここまで来たってことになるのかな。帝都貴族の女性ってもっとサバサバしてると思ったけど、けっこう純情だったんだね。


「彼女たちは貞操を失って婚約が破談になり、有力な結婚相手を捕まえることも見込めず、家でも腫れ物扱いをされておりました。そんな折、かつての婚約者たちがフィリップと一緒に家から放逐されてフリーになった……彼らを捕まえるなら今がチャンスだと」


 訂正。想像したより肉食だった。

 まぁでも、そういうことなら会わせてみてもいいかもしれないね。彼らは過去の行動から、まだちょっとピューレシア市民から距離を取られがちだし、女性関係の浮いた話も聞かない。お互いの感情が許すのであれば、復縁させるのも悪くない手かもしれないからね。


「お願いです、ナターシャ様。どうかわたくしたちが、意中の殿方に夜這いや色仕掛けをするのを黙認していただけませんか」

「いや、普通に顔合わせしようよ。みんな悪い顔はしないと思うけど」

「だって……フィリップ様と面と向かうと話せる自信がありませんし……」


 色仕掛けをする度胸はあるのに?

 ひとまずそんな感じで、私はトリステアさんたちを魔法薬試験センターへと案内することにした。その後何がどうなったのかは分からないけど、どうやら彼女たちは無事に殿方をゲットできたらしい。よかったね。


 それから、彼女たちは国際魔法薬連盟で働いてくれることになった。いやぁ、助かったよ。各地の貴族との手紙のやり取りなんかにはある程度の教養が必要だから、これまでは他の人に任せられなくて困ってたんだよね。その点、帝都のドロドロとした貴族社会を経験している彼女たちはとても上手にこなすわけで。私としては大助かりだった。


 シグラスの婚約者のエルシーナちゃん、フィリップを捕まえたトリステアさん、元騎士のみんなをゲットした女の子たち。みんな、国際魔法薬連盟にとっては貴重な戦力だ。

 まぁ、それはそれとして大変なこともあるんだけど。みんなが幸せそうに笑っていられるなら、細かいことは気にしなくていいか。これからよろしくね。

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