29 そのことを理解できるのは
「――ところでナターシャ様。結婚式の準備は」
マルゲリータちゃんにそう言われ、ハッとする。
大変だ……時間の掛かりそうなドレスの注文とかはさっさと済ませていたけれど、それ以外のなんやかんやは全部後回しにしていたんだった。そろそろちゃんと決めないと、本格的に準備が間に合わなくなっちゃう。すっかり忘れてたよ。
「ナターシャ様……」
「分かってる。自覚はしてるの」
「仕方ないですね。魔法薬関係ではお力になれませんが、結婚式の準備については私にも協力できることがあるでしょうから。ナターシャ様に決めていただくポイントだけリストアップしておきますので、それ以外の部分については私の方である程度決めてしまいますからね」
ごめん、本当にありがとう。
国際魔法薬連盟の対応に追われていて、なんだか色々なことを後回しにしてしまっている気がする。アーサーにもみんなにも申し訳ないなと思うけど……とりあえず、連盟にとっても結婚式が一つの節目になるだろうからね。そこまでは全力で走らせてもらおうと思う。
◇ ◇ ◇
その夜、不思議な夢を見た。
頼りない魂だけになっていた私は、今とはまったく違う世界に生まれ落ちて、一人の女の子として育っていた。
「――ほら、
私の名前は里菜。赤ん坊の頃から、マンションの隣の部屋に住む朝日くんとずっと遊んでいた。もちろん一緒に遊ぶこともあったけど、私がお絵かきをしている間に朝日くんが工作をしたりとか、別々のことをしている時間もけっこう多かった。それを疑問に思ったことすらない。
いつしか、朝日くんが隣にいるのが私にとっての当たり前になっていた。
それに、彼が他の女の子と話をしている様子を見ると、胸の中にモヤモヤとしたものが広がっていって……あぁ、これが恋なのだと気づいたのは、小学校高学年に上がったくらいのことだった。
「朝日って、可愛い顔してるよねえ」
「うーん。もっと男らしくなりたいんだけど」
「やめてよぉ。私は男くさい感じより、今の可愛い朝日の方が好きだよ。お願い、そのままでいて」
本当は、どっちでも良かった。
だけど、きっと男らしく体を鍛えたりしたら、朝日は他の女子にモテてしまうだろうと思って。私は彼を可愛くすることで、どうにか独占しようとしていただけだったのだ。だから、なるべく身体を鍛えないように誘導したりとかして……そうしたら朝日は「リアル男の娘」だなんて呼ばれるようになっちゃったんだよね。それについては本当に悪かったなぁと思ってるよ。
――中学生になった、最初の夏休みだった。
約束はたくさんあった。朝日と一緒に水族館に行ったり、夏祭りに行って花火を見たり。朝日のお祖母ちゃんが毎年送ってくれる大きなスイカを、一緒に食べようって誘ってくれたりもして。私は、この夏こそはこの恋を前進させようって、意気込んでて。胸を張って朝日の隣にいられるように。恋人だって、そう名乗れるように。
「……心臓の病気です。治療方法がないわけではありませんが、成功率は低い。最悪の覚悟もしておいてください」
医者にそう言われ、目の前が真っ暗になった。
夏休みの約束は、何一つ果たせなかった。
それでも朝日は、毎日毎日、欠かさずに私のお見舞いにきてくれて。残念ながら、窓越しの面会にはなってしまうし、声だってスピーカー越しだ。あぁ、本当は今すぐにでも、朝日の腕に飛び込みたいのに。でもきっと、私はもう。
『里菜。病気が治ったら、何をしようか』
「そうだね……恋人っぽいことをしたいなぁ」
『恋人?』
「うん……好きだよ、朝日。勘違いしちゃ嫌だよ。これは友達としての好きじゃない。恋愛感情として、私は朝日のことが好きなんだって……それだけは、知っておいてほしかったから」
返事はしないで、とお願いした。
朝日に振られたら、私は悲しくて死んでしまうと思うけど。もし受け入れてくれたら、私は死ぬのが今よりも怖くなってしまうだろうから。だから、ずっと温めていた気持ちを伝えるだけ伝えて、私は耳を閉じた。朝日の中にほんの少しでも、私の気持ちの残滓が残ってくれたらいいと、そう願いながら。
新学期が始まっても、私は病院から出ることができず、そして……そのまま死んでしまったらしい。
私の魂からは記憶がどんどん削ぎ落とされていって、それでもずっと、朝日のことを求め続けた。その想いだけは、どうやったって捨てきれなくて。するとそのうち……私の魂は引っ張られるようにして、今とは違う世界に流れ着いた。
時間を遡り、世界を越えた、その先で。
「お母さま。もうすぐわたしもお姉さんになるのね」
「ふふふ、アリーシャが素敵なお姉さんになってくれると嬉しいわ。そうだ……このお腹の子の名前は考え中なんだけどね。アリーシャが名付けてくれる?」
「いいの? それじゃあ――」
アリーシャと呼ばれた女の子が、嬉しそうに声を張り上げる。
「――ナターシャ! わたしのかわいい妹の名前は、ナターシャにきまりだね!」
私にナターシャと名付けたアリーシャ姉さん。
その魂は、なんだか朝日とよく似ていた。
◇ ◇ ◇
夜中に目が覚めると、私は涙を流していた。
ずいぶん長い長い夢を見ていたような気がする。そして、ずっと胸の奥にあった何かが、ゆっくりと溶け出して、自分の身体に広がっていくような……とても不思議な感覚がした。
ベッドの中、すぐ隣で眠っているアーサーが急に愛おしくなって、その胸板に顔を埋める。
「……ナターシャ」
「ごめん、起こしちゃった?」
「それは構わないけど」
泣き顔を見られるのがちょっと恥ずかしくて、私は彼の胸から顔を上げられない。
「なんだか、不思議な夢を見て」
「そっか」
「うん。とても、とても不思議な夢だった」
アーサーは私の髪を優しく撫でながら、額に口づけをしてくれる。
「……僕らが出会うのは、きっと運命だった」
「うん……ふふ。昼間はさんざん、科学的根拠なんかについて語ってたのにね。今は運命について話をするなんて……変な感じ」
「そうだね。でも、他に言いようがないし」
あぁ、きっとアーサーも分かっていたのだ。
彼はいつから知っていたんだろう。明確に言葉にはしないけれど、私が理解したことと同じことを、彼も分かっている。やっぱりそうなんだ、と腑に落ちた。
「……愛してる。ナターシャ」
「私もだよ、アーサー。愛してる」
きっとそれは、表面上の言葉よりももっと深い感情が込められていて。そのことを理解できるのは、たぶん私とアーサーだけだと思うけど。
そうして、私たちは体を重ねる。
魂が求める相手を、今度こそ手放すまいと、全身でもがくようにして。
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