02 これは斜め下だなぁ

 帝都から来た追手は、フィリップ皇太子直属の近衛騎士だった。

 うーん、この濃い顔は見覚えがあるぞ。わりと実直な騎士だとは知っているんだけど、残念ながら今は仲良くできる立場でもないからね。お引き取りいただこう。


 中庭でお茶を飲んでいる私とアサヒのもとに、騎士が案内されてくる。さて、ちょっと淑女っぽい話し方をしないとなぁ。肩が凝るんだけどね。


「ナターシャ様。お久しぶりでございます」

「あら。そんなに久しくはないけれど……そんなに怖い顔をなさって、一体どうされましたの?」

「どうしたも何も……」


 彼は鼻息を荒くして、私の対面でお茶を飲むアサヒに視線を向ける。

 たしか「騎士というのは常に冷静でなければならない」なんて部下に語ってた気がするけど、今の彼は全然冷静じゃないよね。まぁ、感情的になるのも仕方ないけど。なにせ大事な聖女様が逃げてしまった――帝都は間違いなく、大変な騒ぎになってるんだろうから。


「ナターシャ様。不躾な物言いをお許しいただきたいのですが……そちらにおられる聖女アサヒ・サオトメ様を、即刻お引き渡しください」

「聖女様? あら、この場に聖女様がいらして?」

「白々しい。目の前にいるではありませんか」


 まぁ、それはそうだよね。


「なるほど、を追ってきた怪しい人物というのは貴方でしたの。何か行き違いがあるようですが……どうやら人違いをされているみたいね」

「は?」

。勘違いの原因は、その黒髪のカツラにあるようですわ。外して差し上げたら?」


 私がそう言うと、アサヒは黒髪のカツラをズルリと脱いで、空色の短髪を露わにする。びっくりしたのは騎士だ。


「ナ、ナターシャ様……聖女様の髪に何を……」

「ですから、彼は聖女様ではありませんの。そもそもれっきとした男性ですわ。わたくしは後ろを向いていますから、しっかりと性別をお確かめください」


 そうして私が後ろを向いていると、シュルシュルと衣擦れの音がして、ほどなくして「付いてる!」と驚愕する声が聞こえてきた。一体何をどのように確かめたのか、淑女の口からは申し上げられないけどね、うふふ。


「これで理解できまして? 貴方がこのような辺境まで追ってきたのは別人でしてよ」

「しかし」

「彼はわたくしの大切な客人ですの。そもそも、黒髪でも女性でもない者を強引に連れ帰ったとして、皇太子殿下がご納得されますか? ここで無為な時間を過ごすより、早く本物の聖女様を探しに行ったほうがよろしいのではなくて?」


 そう告げると、騎士は苦虫を十匹くらい噛み潰したようなしかめっ面でをしながら、私に向かって頭を下げた。うん、ごめんね。


「分かりました。この場は一旦引き下がりましょう。しかし、このままで済むとは思わないことです。聖女様を迎えるのは皇家の義務なのですから」

「そうですか。本物が見つかるといいですね」

「くっ……後悔なさいますよ」


 そうして、騎士は去っていった。

 うーん、今さら後悔するつもりはないけど、フィリップ皇太子がどう動いてくるか謎だからなぁ。「まさかそんなことしないだろう」みたいな行動を平気でする奴だからさぁ。ちょっと対策を打っておかないと。


  ◇   ◇   ◇


 騎士を追い返して一息ついたところで、アサヒは深々と息を吐いた。


「はぁ……ありがとうございました、ナターシャ様。おかげでどうにか切り抜けられました」

「アサヒも大変だったね」

「あ、僕の名前はアーサーでいいですよ。今後はそう名乗ることにします。本名を名乗るのは、何かと面倒くさくなりそうですし」


 アサヒ――改めアーサーは、紅茶を飲みながら目に涙を浮かべている。まぁ、急に異世界からこっちに召喚されて、皇太子にいきなり尻を揉まれる生活はキツかっただろう。とりあえず、少しゆっくりすると良いよ。


「そもそも、異世界召喚って何なんですか。全く意味がわからない。僕は何のために召喚されたのか。聖女って何なのか」

「え、皇家から説明は?」

「何もなかったです。いや、フィリップ皇太子が説明するとか言って時間を作ってくれはしたのですが……なんか制限時間いっぱい口説き文句を垂れ流しているばかりで。可憐だの、守りたいだの。思い出すだけで鳥肌が……」


 え、何それ。さすがに可哀想が過ぎるんだけど。

 それじゃあ本当に、アーサーは何も知らないまま違う世界から連れてこられて、尻を揉まれただけの男の子ってことになっちゃうけど。そりゃあ逃げたくもなるでしょ。うん、さすがはこちらの予想を下回ることで有名なフィリップ皇太子殿下だ。


「分かった。じゃあ、ひとまず私が色々と教えてあげることにするね。さすがに哀れだし」

「……ありがとうございます」

「敬語も不要だよ。様付けも必要ない。ほんと、うちの世界の者が迷惑かけてごめんね」


 そうして、私はアーサーにこの世界の事情や聖女の役割を説明し始めた。


――まず、この世界は「瘴気」に満ちあふれている。


 そうだよね。私も本で読んだことがあるけど、アーサーのいたチキュウには瘴気なんて存在しないんでしょ。羨ましいなぁ。残念ながらこっちの世界では瘴気が普通に存在してしまうし、それが人類の生存域を著しく制限している。これがまず、根本的な世界の違いになるかな。

 それでね。多量の瘴気に蝕まれた人は、様々な病気にかかってしまう。だから人類が健康に生きていくためには、結界魔法というもので清浄な都市空間を確保する必要があるんだよ。だからこそ、結界魔法使いは集落において支配的な権力を持ち、後に貴族になった。


「つまり貴族というのは、結界魔法使いの末裔なんだよ。貴族家では、結界魔法を扱えることっていうのが後継者の第一条件になっている」

「ナターシャさんは?」

「私が使えるのは、お母様から引き継いだ植物魔法だから、家督の継承権はないんだ。その代わり、魔法薬研究には大活躍する便利な魔法なんだけどね」


 結界魔法をもってしても、瘴気が引き起こす病気の全てを未然に防げるわけではない。生活する中でどうしても瘴気を吸ってしまう機会はあるし、それが蓄積されれば様々な病気にかかってしまうから。


 さて。かなり昔の話だけど、世界規模の瘴気風が吹いたことがあった。そして、そんな時に異世界から召喚されたのが、初代聖女様だ。

 異世界から召喚されてきた聖女様は、各地を行脚して、病に冒された結界魔法使いを無償で治療した。結果的に人類の生存域が守られて、みんなから尊敬を集めることになったんだよ。各地の貴族が帝国に臣従するようになったのは、聖女様の慈愛に満ちた治療が大きな根拠になっている。


「――初代皇帝は慈愛の聖女様を娶ることによって、各地の貴族を束ねて帝国を築いた」

「なるほど。もしかして聖女様って、皇帝よりも偉い立場になるのかな」

「まぁ、権力の種類が違うから単純比較はできないけどね。聖女の言葉は皇帝だって無視はできない。このガイラルディア帝国で女性が持ちうる権威としては最高位と言っていいと思うよ」


 異世界召喚の儀式は皇家の秘術で、星の巡りや気候条件などが整わないと実施できないらしい。だから、歴代皇帝の大半は異世界から呼んだ聖女ではなく、貴族女性の治癒魔法使いだったり、何かしら治療技術に詳しい者から聖女を選ぶことになる。ただ、フィリップの同年代は該当する貴族女性に目ぼしい子がいなくて、魔法薬学に詳しい私に白羽の矢が立ったみたいだ。

 慈愛の聖女様は、定期的に帝国を巡って貴族や重病人の治療を行ったりするのが主な活動になっている。私もフィリップ皇太子と結婚していたら、そういう生活が待っていたんだろう。だけど……私はフィリップ皇太子とぶつかることが多かったからね。彼は私のことが気に食わなかったから、結婚直前になって儀式を強行したんだと思う。


 私をわざわざ「偽聖女」って扱いにしたのもそのためだろう。「元聖女」にしてしまうと、政治的に一定の発言権が残ってしまうって考えたんだろうね。私としては、そんなモノを行使するつもりは一切ないけど。


「なるほどね……でも、聖女の魔力か。僕にそういうものが備わってるようには思えないけど。治癒魔法が使えたりするのかな」

「あぁ、召喚されてすぐは自覚できないみたいだね。見た感じだと、魔力量はかなり多いと思うよ。たぶん皇族並みにあるんじゃないかな。あと、治癒魔法を所持しているのは召喚条件に指定されてるって話のはずだから、たぶん持ってると思う」


 まぁ、女性っていう条件を満たしていない時点で、儀式に何かしらの不具合があったとしか思えないけどね。違う魔法を持っている可能性だってあるのかもしれない。


「……ちなみに、元の世界に帰ることは?」

「残念ながら、前例はないみたい」

「そうか……まぁ、仕方ないか」


 とりあえず基本的な部分はそんな感じかな。

 さてと。この世界のことは私が教えてあげるわけだからさぁ、代わりにアーサーには異世界の薬学についてキリキリ吐いてもらわなきゃね。こうして丁寧に説明してるのは、それが理由なわけだし。ギブアンドテイクだよ。


「ふふふ。それで、アーサーは異世界では薬学を学んでたんだよね。この世界でも役に立ちそう?」

「どうだろう。あっちには瘴気なんてなかったから、根本的な部分から違いがありそうなんだけど。基本的なところからいくと――」


 そうして、私はアーサーから色々と根掘り葉掘り聞き出していった。

 たしかに、そのままだと使えない知識がほとんどだったけど、なかなか興味深い話も多かったよ。これは研究が加速するぞぉ。しめしめ。


  ◇   ◇   ◇


 その手紙が届いたのは、それから一ヶ月ほどが過ぎた頃だった。

 研究所で書き物をしていた私のもとに、毒舌専属侍女のマルゲリータちゃんがいつも通りのクールな表情で書簡を運んでくる。


「ナターシャ様。ダメップ皇太子殿下からなんか臭い書簡が届きました」

「ありがとう、なんだろう」


 書簡を受け取って開封する。

 すると、そこに書かれていたのは。


――ライラック辺境伯家は聖女アサヒを帝都に連れてこい。それが不可能な場合は、代わりにナターシャを嫁がせよ。


「なるほど。これは斜め下だなぁ」

「ダメップ皇太子殿下は何と?」

「アーサーか私、どっちかを寄越せってさ」


 さてと、これは対応を急がないといけないぞ。

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