伝説の偽聖女様

まさかミケ猫

伝説の偽聖女様

第一章 偽物の聖女様

01 今日からあなたが慈愛の聖女様です

「偽聖女ナターシャよ。貴様との婚約を破棄する」

「やったぁぁぁぁぁぁぁ!」


 無駄に広々としたダンスホール。思わず右拳を宙に突き出してしまった私へ、周囲の視線が突き刺さる。


 まぁ、いいだろう。フィリップ皇太子がこうして公衆の面前でしっかり宣言してくれたおかげで、私が喜ぼうが悲しもうが、もはや婚約破棄は決定事項になったのだ。やったね。


「ナターシャ。貴様、現状を理解しているのか」

「もちろん。婚約破棄ですよね。よしっ」


 いやぁ、ギリギリの状況だったなぁ。

 もうすぐ十八歳の誕生日。成人したら即結婚って感じの予定だったから、まさかこんな形で逃げ切れるとは思ってなかったよ。それに貞操関連の被害が軽微だったのも幸いだったね。せいぜいダンスの時に尻を揉まれた程度だし。むっつり皇太子め。


 皇太子の隣では、異世界から召喚したという黒髪黒目の「本物の聖女」が怪訝そうな顔で私を見ている。ごめんね、面倒な役割を押し付けちゃうけど。


――今日からあなたが慈愛の聖女様です。よろしく。


「ナターシャ。貴様が偽聖女だと分かった以上、もうこの帝都に居場所はない。大人しく辺境領に帰れ」

「はい、喜んで。そもそもこっちは勝手に聖女扱いされて帝都に連れてこられて、大迷惑してたんです。まったく。皇族の身勝手で、この国の魔法薬研究がどれだけ停滞したか」

「なっ……」


 くくく。婚約破棄という珍場面では、多少の本音トークをしても不敬罪に問われない。そういう前例が、この国にはちゃんとあるからね。法務大臣も茶飲み友達だから大丈夫。さぁ、叱られない範囲で本音をぶちまけるぞぉ。


「帝都で手に入る魔法薬素材なんて、鮮度の落ちた下級品。辺境だったらゴミ扱いされるレベルのものばかりです。それなのに、辺境で活躍してた魔法薬研究所の優秀な研究員を、私と一緒にごっそり帝都に呼び寄せて、しかも所長の私に何も仕事をさせないとは。高貴な方の考えることは、下々には理解できませんね」


 未来の皇太子妃だ? そんな立場、柱の影で「キーッ」ってしてる生粋の帝都貴族のご令嬢にでもくれてやれば良かったのに。


「き、貴様は私の婚約者でなくなり」

「よしきた」

「慈愛の聖女という栄誉も失い」

「どうぞどうぞ」

「そして土臭い辺境に送られるのだぞ」

「野蛮な偽聖女にはお似合いの場所だと思いますよ。えーっと……お立会いの皆さーん! この通り私は偽物らしいので、これから辺境に行って、誰かさんのせいで停滞しまくってた魔法薬研究をガンガン進めるので楽しみにしててくださいね! スーパー毛生え薬の研究も、お肌が十歳若返る美容液の研究も、全部再開しますので、ご支援よろしくお願いしまーす!」


 そうして私は、個人的に仲良くしている帝国貴族のお偉い方や奥様たちに投げキッスを送りながら、ウッキウキでその場を後にした。


 さぁ、急いで荷物をまとめて、辺境へゴーだ。


  ◇   ◇   ◇


 慈愛の聖女様。それは、皇帝の隣に立って人々を癒やす尊い存在。多くの女性の憧れらしいけど、私は別にそんな称号いらなかった。


――姉さんが死んだのは、私が十歳の時だった。


 病気で発熱した私のため、森へ薬草採取に出るなんて、貴族令嬢がすることではない。騎士にでも頼めば良かったのだ。たしかにその時は、戦争中で人手が足りない状況ではあったけど。


「姉さん……ねぇ、目を開けてよ。嫌だよ。私の熱が下がっても、姉さんがこんな……こんな風になったら意味ないよ……」


 冷たい棺。いつもコロコロと表情を変えていた姉さんは、腐敗防止のため凍結魔法で固められていた。もう二度と、笑いかけてくれることも、私の頭を撫でてくれることもない。


 姉さんは薬草採取中に、少々厄介な魔虫に噛まれたらしい。そして、魔法毒に対処することなく、傷口だけを薬で塞いでしまったため、事態が発覚した時には既に手遅れだったのだ。


 私のせいだ。私が熱なんて出すから。


『私のナターシャは可愛いなぁ』


 くしゃっと笑う姉さんの記憶が、蘇る。


『可愛くて、頭も良くて、ひまわり色のふわふわの髪。物語の聖女様みたいな黒目。顔立ちは私によく似てるから、美人さんに育つだろうねぇ……くくく、将来はモテモテだろうなぁ』


 いらないよ、モテたくなんかないよ。

 私は、姉さんがニヘラと笑いながら間抜けなことを言って、呼吸もままならないほど笑い転げてしまう時間が……それがあれば、十分だったのに。


 父さんに無理を言って、魔法薬研究所を作ったのは十二歳の頃だった。もちろん私はまだ錬金術の勉強中で、お飾りの所長ではあったけれど。

 辺境の豊富な素材を餌にして、国中から優秀な魔法薬師をかき集める。貴族男性の欲しがる毛生え薬や強壮薬、貴族女性の欲しがる美容薬や香水、そういったものを売って資金を集める。


――目指すのは、姉さんのような優しい人たちが、命を落とすことのない世界だ。


 潤沢な資金や素材を、優秀な者が自由に使えば、研究所から画期的な魔法薬が次々と発表されるのも当然の流れだった。私は研究所を運営しながら勉強を続け、十五歳になる頃には魔法薬師たちの会話にもついていけるようになっていた。

 そしてついに、魔法毒を無効化しながら傷を治せる「万能治癒薬」の実現案が見えてきた、というところで。


「今日からあなたが慈愛の聖女様です」


 突然、皇家に嫁ぐよう命令が下り、私はそれから二年半も帝都で暮らすことになったのだ。


  ◇   ◇   ◇


 ライラック辺境領に作った魔法薬研究所は、私が不在の間も魔法薬師たちが維持してくれていた。大した給料も出せなかったのに……本当に、いくら感謝しても足りない。

 私を出迎えてくれたのは、クレマンだった。彼はみんなから「長老」と呼ばれている年老いた魔法薬師で、私に錬金術を指導してくれた先生でもある。


「お帰りなさいませ、聖女様」

「やめてよぉ、クレマン。その呼ばれ方をすると、また帝都に連れて行かれるんじゃないかって背筋がゾワゾワする」

「ふふ。お変わりないようで安心しましたぞ」


 そうして、いくつか保留にしていた研究について話し合う。


 スーパー毛生え薬は、混ぜ込む鉱物の種類によって、生える髪色を変えることが可能になる。試作品はもう完成しているようだった。

 ん? 私を黒髪にしたら本当の聖女みたいだって? 絶対に嫌だよ。でも貴族需要はあるよね。ほら、表向きだけ血の繋がったことにしておきたい貴族親子が髪色を揃えたいとかさ。帝都のドロドロにはビジネスチャンスがいっぱいあるんだよ。


 クレマンの報告を聞けば、以前より研究の歩みは遅くなったものの、重要なものは前進していたようで安心した。


「そうだなぁ。美容関係の魔法薬はガルディスにお願いするとして。あとは桜の栽培場を新設しないと」

「桜。もしや帝都で、東神教に入信されたので?」

「まさか。神に祈って姉さんが蘇るなら検討くらいはしてあげるけど。ただ、東神教はすごくお金持ちだからね。彼らの大好きな桜の香りの石鹸を開発するって約束して、多額の研究費を引っ張ってきたの」

「……ナターシャ様は相変わらずで」


 ふふん、良い取引だったよ。こっちは東神教に石鹸を高値で売れて、あっちは信者にさらなる高値で売って、信者たちは大好きな桜の香りに包まれて、みんな幸せ。なんでそんな微妙な顔するの、クレマン。


 研究員は十分にいる。帝都に同行してくれた魔法薬師も一緒に帰ってきたし、むしろ帝都で知り合った魔法薬師も、みんなついて来ちゃった。なんで。

 それと資金も潤沢だ。帝都ではかなり人脈を広げたからね。帝国内の大貴族はもちろん、隣国の宰相、東神教の枢機卿、大商会の幹部なんかとも良い関係を築けているんだよ。


 そうして、クレマンと今後のことを色々と相談している時だった。


「ナターシャ様、クレマン様。なんだかクソ厄介そうなお客様が、その……」


 いつも毒舌な専属侍女のマルゲリータちゃんが、珍しく何やら言い淀んでいる。なんだろう。普通の客じゃないのかな。

 すると、部屋に駆け込んできたのは。


「か、勝手に入ってきてごめんなさい!」


 え、なんで「本物の聖女」がここに。

 というか、案内されるまで待てなかったの?


「ごめんなさい! 帝都から逃げてきて、今も追われてて、行き先がここしか思い浮かばなくて、でも追手がすぐそばまで来てて」

「うわぁ」


 まぁ、気持ちはめちゃくちゃ分かるけど、今ごろ帝都は大混乱なんじゃないのかなぁ。えー、どうしよう。


「その……僕の名前は早乙女 朝日さおとめ あさひ。こんな見た目なのでよく間違われるんですけど……僕は男なんです。誰も信じてくれなくて」

「えー」

「助けてください! そもそも男の身で聖女なんて無理ですし、あの皇太子がいきなり尻を揉んできて、背筋がゾワゾワしちゃってぇ」


 あ、それわかるー。というか、あいつ召喚したばっかりの重要人物の尻をいきなり揉んだのかぁ。こわっ。でも、どうしようかなぁ。正直、助けるメリットがないんだけど。せっかく皇太子を押し付けたところだったのに。


「僕はあっちの世界では薬学部の学生だったので、何かお役に立てることが――」

「なんだ、それを早く言ってよ」


 メリットしかないじゃん。


「クレマン、例のスーパー毛生え魔法薬の試作品持ってきて」


 私の指示にキョトンとした顔をするクレマン。

 いやいや、今こそ使い時だよね。


「黒髪じゃなくなれば、追手なんてどうとでも誤魔化せるでしょ。それより、アサヒには異世界の薬学を教えてもらわないと」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る