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 大学生のとき、一度だけ美知香から電話がかかってきたことがある。

 大学生活は、まあまあ楽しかった。偏差値的に唯一の選択肢だった文学部で、主に源氏物語を中心とした日本文学について学ぶことは、悪くなかった。高校からの見知った顔も多く、バスケ仲間の誘いで小規模なバスケサークルに加入した。それほどレベルが高くなく、程よく体を動かすには十分だった。

 一学期最後の懇親会の最中に、着信があった。一瞬出るのを躊躇ったが、明日の朝まで着信履歴を残したままにしておきたくなかったので、緑のボタンをタップした。

「もしもし」

「あ……」私が出ることを想定していなかったかのような間があいた。「久しぶり、だね」

「うん」私はスマホをあてていない方の耳を指で塞ぎながら、店の外に出た。「どうしたの?」

 努めて明るい声を出したつもりだったが、美知香の反応から、それがうまくいかなかったことを知らされた。

「ごめんね、急に。飲み会?」

「あー、うん。そうだけど、大丈夫。何かあった?」

 電話口から聞こえるその声は、卒業式の日のことを、否応なく思い起こさせる。美知香の、困ったような、微笑んでいるような、曖昧な表情を。急に居た堪れなくなって、ごめん、とだけ言い捨てて、走って帰ったことを。胸に広がる後悔と、大切なものを失ってしまった絶望感を。

「八月にコミケあるでしょ? 一緒にどうかなと思って」

「あー、何日だっけ?」

「十二、十三」

 私は手帳を開いてさも悩んでいるという感じの間をあけた。

「あー、ごめん、その日サークルの旅行だわ。関西方面」

 サークルの旅行が計画されているのは事実だ。十二、十三かどうかは、知らない。

「そっか、そうだよね」努めて明るい声を出しているつもりだろうけど、バレバレだ。「大学生だもんね」

「やば、料理どんどんなくなってる。戻らなきゃ」

「あ、そうだね、ごめんね急に。ありがとね」

 私はスマホを耳から離して、画面を見つめた。これで良かったのだろうか。私は、何か間違えていないか。小五から高三までずっと一緒だった美知香との電話の終わり方って、こんなんだっけ?

「祐子」引き留めるような美知香の声が聞こえ、私は再びスマホを耳に当てた。

「あのね、大学の友達と合同でイラスト集を販売するの。夢だったんだ。自分の描いた絵でお金をもらうのが。まだ売れたわけじゃないけど、ようやく認めてもらえる。祐子以外の、いろんな人に。それにね--」

「だから何?」口をついて出た言葉は、自分の身を守るためだったとはいえ、あまりに攻撃的だった。「それを私に言って、どうしたいの?」

「え……? いや、私はただ--」

「美知香みたいな人にそんな話をされても、惨めな気分になるだけなんだよね」

 わかっている。これは、単なる八つ当たりだ。あの日、卒業式の後の、あの屋上で、求めていた答えが得られなかったことに対する、子どもじみた八つ当たり。

「ごめん、そんなつもりじゃ--」

「夢が叶って良かったね。才能のあるあんたがうらやましいよ」

 こんな嫌みったらしい言い方もないよな、と我ながら思う。大切な人だったからこそ、傷つける言葉を吐くのはいとも容易い。 心の中のもう一人の私は、違う、そうじゃない、そういう意味で言ったんじゃない、そういう言い方がしたかったんじゃない、と言い訳を早口でまくし立てたが、言ったことも思っていたことも事実であることは否定できないし、取り返しがもうつかないということもまた事実だった。

 美知香の声は返ってこなかった。泣いているのか怒っているのか、確認するつもりにはなれなかった。

「ごめん切るわ」私はふうっと大きく息を吐いたが、胸の内側から湧き出るクソみたいな感情はその程度では収まらなかった。「コミケ楽しんできてね」

 赤いボタンをタップして通話を終了した。

 それから長い時間が経って、彼女は死に、私は謝る機会を失った。

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