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 美知香が死んだ。享年二十六歳。

 東京の自宅アパートで倒れていたという。死因はくも膜下出血。発見が早ければ一命は取り留められたらしいが、一人暮らしで在宅ワークが主だった彼女は、激しい頭痛と嘔吐の後、意識を失い、そのまま亡くなった。メールの返信がないことを不審に思った仕事相手が、アパートの管理人に連絡してくれたおかげで発見に至った。警察による現場検証も行われたが、不審な点はなく、病気による死亡で疑いなかった。

 美知香の遺体は掛川に送られ、その翌日には通夜が執り行われた。私は親から借りた礼服を着て、春菜とともに通夜に顔を出した。私と同じく掛川に暮らす春菜はときどき会って食事をする仲だが、美知香とは高校を卒業して以来になる。こんな形で再会するなんて、想像すらしていなかった。

 セレモニーホールに入ると、すでに読経が始まっていた。中央に座るお坊さんの向こうに、美知香の遺影が掲げられていた。青い背景の前で微笑むその写真には見覚えがあった。

「あれ、卒業写真だね」

 春菜の言葉に、私は、うん、とだけ返した。写真の中の美知香は、当たり前だけど、私の記憶にある美知香のままだった。

 にわかに足が重くなった。自分自身の想像力の欠如ぶりにうんざりする。何の覚悟も持たずにこんなところに来てしまった。あそこの棺の中には美知香がいて、私がそれを目にした瞬間に、美知香の死は確定してしまう。このまま踵を返して、春菜からのLINEを削除してしまえば、少なくとも私の中では美知香の死はなかったことになるかもしれない。こんな馬鹿げた発想に逃げ込みたくなるほど、私は動揺してしまっていた。

 小学生の時からの付き合いだもの。忘れるわけがなかった。いや、忘れようとしていた。忘れたかった。でも、忘れられなかった。遺影を見て、胸が締め付けられる類いの記憶まで、全部思い出してしまった。私と美知香は親友だった。それも「大」がつくほどの。

 焼香の列の最後について順番を待つ。列はそれほど長くはなかった。美知香と同年代の参列者はおそらく私と春菜だけで、他は親族か、自治会の人と思われる人たち。大学の友人や仕事仲間は明日の告別式に参列するのかもしれないが、そうでなくても、ただでさえ美知香は友達が少ない。春菜だって私が行くと言わなければ、参列しなかっただろう。きっと大学でも、社会人になっても、美知香は相変わらずだったに違いない。

 いよいよ次が私の番というところで、美知香の母親と目が合った。美代子さん、相変わらずきれいだ。加齢のせいか少ししぼんで見える瞳に、みるみる涙がたまっていく。私は思わず、美代子さんの手をとった。あの頃と同じ、冷たくて、細い指。

「ありがとう」震える声で彼女は言った。「ごめんね……」

 私は小さくかぶりを振った。美代子さんは何も悪いことなんてしていない。

 最愛の一人娘を病気という不幸に奪われた彼女の悲しみは、いったい誰が受け止められるだろうか。自分自身の想像力の欠如ぶりに、本当にうんざりする。彼女の手をとることはできても、寄り添うことはできない。なぜなら私はまだ、涙の一粒もこぼしていないのだから。

 美代子さんの手をそっと離し、私は焼香台に向かった。相変わらず手順のわからないその行為をなんとなくの雰囲気で済ませ、いよいよ美知香とご対面。

 棺の中で、美知香は安らかに眠っていた。本当に眠っているようだった。卒業写真よりもずっと大人びた表情で、静かに横たわっていた。青白い肌。薄桃色に染められた唇。記憶の中のどの彼女よりも、美しく見えた。何より、私の目を強烈にひいたのは、彼女の前髪を押さえるためにつけられた髪留めだった。プラスチック製の、目玉の形を模したそれは、この状況においては不謹慎とも言えるほど、軽薄で、馬鹿っぽくて、なんだかとてもおかしかった。彼女との思い出が、強制的に思い出された。目玉が、私の頭の中をのぞき込む。

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