2 折桜裁巳「厄介者たち」
「これは……一体どういうことですか?」
その光景を前に、
放課後。大半の生徒たちが下校した学校は、本来ならば静寂に包まれているはずだった。しかし、裁巳の目には数多の呻き彷徨う霊たちの姿が映っている。
廊下の隅を這うように進む老婆。窓を突き抜けて外を眺める少女。天井からぶら下がったまま揺れている男――その他もたくさんの幽霊たちが蠢いていた。
昼休みの時点でも目撃していたが、午後の授業中から増え始め、今やその数は数え切れない。いくら学校が霊の集まりやすい環境とはいえ、これは普通ではなかった。
――群体化した霊でも入り込んだ? でも、核となる強い霊体は感じられませんね。
強い力を持つ幽霊が取り巻きを引き連れることはある。だが、現在の校内に裁巳の感知に引っかかるほどの強い気配はなかった。心霊調査の専門家、
そうして眉間に指を当てていると、ふと、くすくすと笑う子どもの笑い声が聞こえてきた。
「ふふ、あはは。これはまたたくさん集まったねえ」
耳障りな声に裁巳は舌打ち――もちろん、淑女がしても問題ないとされるごく軽微な舌打ち――をして、手持ち鞄の中から声の出所を取り出した。
それはスマートフォンだった。澱攫いの仕事で使う物とは別の物で、裁巳が普段使いしているものだ。お気に入りの桜模様のお洒落なカバーに収められていて、そこに小さな和傘のストラップが付いていた。
裁巳はその画面を少し乱暴に叩き、耳元に当てる。
「学校ではクラス以外チェック出来ていないので、気安く話しかけるなと言ったはずですが?」
「ちゃんと近くに人がいないのカクニンしたよ。ああ、死んでるのは山ほどいるけど。でもほら、死人に口なしって言うじゃない」
本当はあるのに、おかしいね――。
笑いを隠すような声は、裁巳の相棒、じゃのめぼうずのものだった。
ただ、その声は電話からではなく和傘のストラップの方から聞こえている。祓いで使う蛇の目傘でなくとも、傘であればこうしてじゃのめぼうずに繋げることができた。通話を装うのは、万が一誰かに見られたときの保険だ。
とはいえ、本来なら学校で話し掛けられたくない。それでも繋げているのは、じゃのめぼうずが様子を見せろとあまりにうるさいからだった。
だが、その判断は間違いだったかもしれない、と裁巳は思い始めていた。
「下らない話がしたいのなら二枚におろしてあげましょうか? 面と向かって自問自答できるようになりますよ」
「あはは。そんなめんどうなことしなくても、頭くらいふやせるよ」
声を低めて言っても、じゃのめぼうずはどこ吹く風だった。
「はあ。そうでした。あなたは頭も手も自由に作れるんでしたね。流石は元祟り神。その小さな脳味噌も増やせれば、もう少し賢い子になったのに。残念です」
「なに言ってるのタツミ。レイタイに人間みたいなのうみそはないよ。レイノウシャなのに知らないの?」
「まったく。あなたの下らない我儘に応えたわたくしが馬鹿でした。この傘は繋がりを断ち、捨てていくことにします」
「ごめんごめん。そうおこんないでよ」
ストラップを外して近くの教室のゴミ箱に入れようとすると、焦ったように、けれど微かに笑いを堪えたような声でじゃのめぼうずは言う。
――まったく、このひょうきん者にまともに取り合ったらいけませんね。
裁巳は諦めるように息を吐いた。それから、スマホを耳に当て直し、小さな和傘をつまんでくるくると回す。
「それで、なんの用ですか。わたくし今忙しいのですが」
「そう思ったから声をかけたんだって」
「どういう意味です?」
「ほら、ユウレイのそうじでしょ? だったらボクの出番じゃない?」
裁巳はむすっとしたまま目を細める。
確かに、広く散らばる大量の霊を相手にする場合、じゃのめぼうずの腕は有用だ。あれならば、裁巳が霊力を注ぎ続ける限り際限なく伸ばせるし、索敵もじゃのめぼうずに任せられる。この傘のストラップも開閉できる精巧なものなので、開いてじゃのめぼうずを出すことも不可能ではないだろう。
しかし、この場所においてその選択肢は論外だった。
「却下です。ここは学校なんですよ? あなたをこちら側に出すと『悪い気』が出るのですから、こんな場所で呼び出せるはずないでしょう?」
悪い気――つまり瘴気は毒気のようなもので、霊感の有無に関わらず生者に悪影響を及ぼす。それを閉鎖空間で、しかも学友がいる場所で出せるはずがない。
「ここはわたくしの花園。そうした淀んだ空気とは無縁でなくてはなりません」
「ちぇー、たくさん喰えると思ったのに。けち」
「けちとは失礼な。そもそも、あなたこのサイズの傘じゃ腕も出せないでしょう?」
「ゆび一本くらいは出せるのに」
このストラップだと確かにそこらが限界だろう。
何にせよ、ここでの祓いをじゃのめぼうずに任せることはできない。裁巳がその手で掃いて回るしかなかった。
「それよりも、何で彼らが集まってるか知りませんか? 凪さん程ではないにしろ、あなたなら原因が学校にあるかないかくらい感じているでしょう?」
教室を出て、改めて幽霊で混雑する廊下を眺める。やはりこれが心霊番組の話題だけの影響とは考えられなかった。
だとすれば、他に何か原因があるはずだ。
階級は違うものの、同じ霊体であるじゃのめぼうずならそれを感じているかもしれない。そう考え、尋ねてみたのだが、
「そりゃあ、ボクにはどこにあるかわかるけどさ。でも、けちんぼのタツミにはおしえてあげない!」
じゃのめぼうずは拗ねたようにそう言った。
「まあ。口答えするなんて悪い子ですね。三枚におろして、お父様のお酒に漬けてしまいますよ?」
「ふん、蛇酒か。そりゃいいね。ボクはお酒大好きだからかまわないよ。あ、これぞまさに『酒が 骨身にしみる』ってやつ――」
裁巳は傘のストラップを指で弾き、じゃのめぼうずとの繋がりを遮断した。また静かになったら戻してやればいいだろう。
「まったく。時間を無駄にしてしまいました」
ストラップを鞄に押し込み、裁巳は歩き出した。
原因の情報は得られなかったが、それならそれで別の手段を取るまでだ。
――霊を誘引している何かがあるとすれば、周囲に普通でない溜まり方をしてるでしょうからね。そこに行き着くまで、消し尽くすだけです。
元より掃除はしなくてはならない。原因が校内にあればその過程で見つかるだろうし、なければ学校外にあることがはっきりする。そうしたら、外でまた同じことをすればいいだけだ。
当たりを引くまで行うローラー作戦。
それは澱攫いに協力し始める以前のやり方だった。大量の霊を祓うことになるが、裁巳の霊力量なら難しいことではない。
――とはいえ、手間は手間ですからね。時間も掛かりますし、さっさと始めましょうか。
手始めに、目の前にいる者たちから。
裁巳は微笑みながら指を立てると、彷徨う幽霊たちにその切っ先を向けた。
――――――――
それから小一時間もすると陽は大きく傾いていた。
夕日の橙にリノリウムの白。美しいコントラストの中を裁巳は歩く。その足取りは軽く、まるで散歩でもするかのように穏やかだ。
しかし、周囲では目に見えない惨劇が繰り広げられていた。
白魚のような美しい指先の一振りすると、窓際で佇む着物姿の女が真っ二つに裂ける。その光景を見ていた女の幽霊が悲鳴を上げるが、それも同じように薙いで引き裂いた。たちまち辺りに赤黒い飛沫が舞い、身体は床に突っ伏す前に塵のように崩れていく。
裁巳は淡々とこの作業を続けていた。
最初に校舎の一階を祓ったあとは、渡り廊下で続く体育館や屋内プール、講堂などを回り、校舎の周囲からきれいにしていった。そうして校舎に戻ってくると、次は上級生の教室がある上階へと取り掛かった。
――ふう。この階も霊が多いだけで、原因になりそうなものはありませんでしたね。
そうして校舎の三階まで片付け終わり、残るは四階だけとなる。四階は絵画室や工芸室、図書室など専門教室の他、昼間に使ったラウンジや屋内部活の部室などもある階だ。
階段を上って廊下に出ると、ここも溢れる霊によって雑踏と言っても差し支えのない状態だった。その光景に辟易しつつ、裁巳は目の前にいる霊に指先を向けようとして――ふと、その手を止めた。
「ねえ、これからどこいくの?」
「んー、今日は駅前の本屋に寄って――」
廊下の先から二人の生徒が歩いてきていた。
幸い、会話に夢中のようで裁巳の方を見てはいなかった。いくら霊に対してしていることが見えないとはいえ、手を不規則に振っている姿は怪しいことこの上ないだろう。
裁巳は、さも壁の掲示物を見てました、という体を装って歩き出した。
近くに来たときに会釈すると、ひとりは頭を下げ返してくる。だが、もうひとりは会話に夢中のようで、こちらに見向きもしなかった。
いや、そうではない。
「まったく」
呆れたように小さく呟くと、裁巳はすれ違いざまに二人を薙いだ。
すると、話に夢中だった方の生徒の身体が上下に分断される。崩れ落ちる最中、横目に見たその顔は生気のない青白いものへと変貌していた。
「それで、迎えが来たら……あれ? 私、誰と話して……」
背後からひとりになった生徒の不思議そうな声が聞こえる。裁巳はそのまま足を止めずに歩き続けた。
――やはり、少し霊感のある方でしたか。
裁巳や凪のように、常時すべての霊が見えるレベルはまずいない。だが、微弱な霊感を持つ者ならばそれなりにいた。そういう者は条件が重なると霊が見えたり、興味を引いて取り憑かれてしまうこともある。
――こういう状況で成りすまされると分かりにくいですね。まあ、この辺にいる霊なら、憑かれたままでも大した影響はなかったでしょうけど。
せいぜい無意識の独り言が少し増える程度。それも半日もすれば離れていくだろう。けれど、そういうことが起きること自体、一帯の霊が過密になりつつある証拠と言えた。
ただ、起きているのは悪いことばかりでもなかった。
今しがた生徒がやって来た廊下の奥――部室が集中するエリアに、多くの霊が集まっている一角があった。そこにいる霊たちはある部屋の扉を見つめていて、まるで入室の順番待ちでもするかのように集っていた。
「あらあら、思ったよりあっさりでしたね」
まだこの部屋に原因があると決まったわけではないが、この状況下で無関係とも思えない。そう考えた裁巳は、その部屋に向けて真っ直ぐ歩を進めた。
周囲の霊をさっと祓ってから、扉の前に立って上に掛かる表札に目を向ける。と、そこで少し目を丸くしてしまった。
「占い研究部、ですか。また分かりやすいものが来ましたね」
主に狩りに勤しむ裁巳の専門ではないが、占いと心霊は一部に繋がりを持つことは知っていた。『こっくりさん』など、ほとんど降霊術のようなものもある。
――とはいえ、素人が降霊術をやったところで、機能することなんてまずないはずですけど。でも、ここに溜まっていたのも事実ですからね。
扉の奥からは生気のある人の声が微かに聞こえるので、誰かしらはいるようだ。しかし、裁巳の霊感では、中に霊を引き寄せるものがあるか探ることはできなかった。本当にここに原因があるかどうかは、入って確認してみるしかない。
そうと決まれば、裁巳の行動は迷いがなかった。すぐに扉をノックし、返事があると同時にノブを回して中へと踏み込む。
「失礼します」
室内は黒いカーテンが締め切られて薄暗かった。中央の机には燭台が置かれ、その火が唯一の光源となっている。板のような物が一緒に置かれており、五、六人の少女たちがそれを囲んでいた。
想像していた通り、何かの占いをしていたようだ。
ただ、予想外のこともあった。
「あれ? 誰かと思ったら裁巳じゃん!」
少女たちの中に親友の
「光? どうしてこんな――」
発しかけた言葉は、しかしそれに気づいて途切れた。
部屋の真ん中に集まる少女たち――その頭上を妙な影が飛んでいた。
それは翼を持っているようで、羽ばたきながら天井付近を旋回している。問題なのは、時折その大きな羽が頭を掠めているのに、誰も影に見向きもしないことだった。
「裁巳、こんなとこに来るなんてどうしたの? もしかして占ってもらいに来たとか?」
「ええと……」
裁巳が返答に窮していると、宙を舞っていた影があろうことか親友の頭の上に降り立つ。
それは蝙蝠だった。
ただし、異様に大きく、頭の上半分は人の頭蓋になっている異形の蝙蝠。それは暗い眼窩の奥に光る目で裁巳を一瞥すると、クァア、と眠たげに一鳴きするのだった。
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